がんサバイバーのパートナーシップ☆ | My Best

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急性リンパ性白血病の発病~闘病~移植~退院後の慢性GVHD治療経過などの記録を記事にしています。
白血病患者の方のための支援活動をすることを生涯のライフワークとして奮闘中です。
応援宜しくお願いいたします!


私は日頃、男女のパートナーシップについて
お伝えする仕事をさせていただいています。

私の元には
癌になった方も相談に来られることが
度々あります。
※癌のご相談は無料で受けています。

まだまだ若くて、これからという時に発病。

そんな時、大好きな彼がいたら
どんなパートナーシップを取りますか?

この春、私、立川ルリ子は

日本パートナーシップリーダー普及協会

を設立し

様々なパートナーシップを
リードしていける
ブレないマインドを持った女性を
増やすべく、活動する予定です。

私が闘病した時のパートナーシップは
動画でもお話しさせていただいていますが
(また改めて記事にします)

今日は、私の元に相談に訪れ
闘病でギフトを得たひとりの女の子が

日本パートナーシップリーダー普及協会で
これから一緒に活動して行きたいとの
意思の元に、自身の揺れ動く恋心を
自分と同じがんサバイバーの女性に向けて
書いた手記をご紹介します。


ここから先は、
彼女の直筆です。

誰かの心の光になりますように☆

長文ですので、
興味のない方はスルーしてくださいませ。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

その日、私は1人で病院に向かった。
検査は念のためであり、
恐らく乳がんではないと先生から
説明を受けていた。

予想と反して、検査で悪性腫瘍が見つかった、
乳がんだった。

私の場合、
多くの乳がんの発症と増殖に関わる
3つの受容体、
エストロゲンとプロゲステロンという
2種類の女性ホルモン受容体と、
HER2というタンパク質の受容体とは関係しないトリプルネガティブ乳がんだった。

厄介なのは、
治療法が抗がん剤のみに限定されてしまうこと、一般的に予後が悪いと言われていることだ。

私は、治療法に選択肢がある
他の乳がん患者を羨んだ。

私は、家族、友人に検査結果を連絡した。
とても淡々としていた。

でも、好きな人には、
病名を伝えることができなかった。

ただ、検査結果が悪かったとだけLINEをした。
その日の夜、少しだけ気持ちが落ち着いた私は、重い内容のLINEを送ってしまったことを悔やんだ。
彼にもう一度LINEをしようと、
アプリを開いたとき、彼から返信が来た。
彼らしい正直で優しい私を励ます内容だった。

その後、彼に病名を伝えるまでには、
かなりの時間を要した。

私自身が、がんと言う病気にネガティブな
イメージを持っていたからだ。
がんである事を伝えたら、彼に逃げられてしまう。
そう思うと、なかなか言葉にできない私は、ずっと元気な振りを通すことに決めた。

検査結果が出てからは、とにかく忙しかった。

他の臓器、骨へ転移していないかを検査をし、治療方針を決めなくてはならなかった。

泣いている暇もないほどだった。

検査の一部には、遺伝性検査も含まれていた。
60歳以下のトリプルネガティブ乳がん患者については、遺伝性乳がんである可能性が高いからだ。

結果は、遺伝子に病的変異が見つかった。
将来的に、反対側の乳房にもがんが発生する可能性が高いということだ。

今では、アンジェリーナ・ジョリーと一緒だよって笑って話せるけど、当時は絶望的な気持ちだった。

その気持ちに反して、
私の中に、私が泣いていたら家族が悲しむから、強くならないと、そんな気持ちが芽生えていった。

私は、家族にも友人にも会社の誰にも甘えて頼ってはいけない、ずっとそう思っていた。

私は、強い人間ではなかった。
とても弱い人間だった。

私自身が信頼し甘えたい人たちに、
もし病気を受け入れてもらえなかったら?
本当に1人になってしまう。
だから言えなかった。

この頃の私は、死への恐怖に支配されていた。
ネットで乳がんについて調べたり、
主人のいないブログを読み漁り、
不安を募らせていった。

そんな時期だった。
立川先生のカウンセリングを受けたのは。

自分の中で整理できてない感情を
先生に吐き出しながら、
心が軽くなっていくのを実感した。

私は、がん、悪性、転移、再発、
ネガティブな言葉を自ら引き寄せて、
自分を重病人に仕立て上げていたことに
気づかされた。

そして、病は他の誰でもない自分自身が治すということを教えていただいた。

それまで、私にとってがんは憎しみの対象でしかなかった。

でも、がんは私の身体の一部であり
愛すべきものの一つであること。

愛を送ることで役割を終わらせて、生まれ変れるようにしてあげること。

それには、過去の憎しみ、嫉妬、悲しみなど押さえつけていた感情を全て認めること。

それからは、毎日、胸に手を当てて
愛を送り続けた。

私の中で、病気で可哀想な私が小さくなっていくのを感じた。

抗がん剤の治療による副作用は、インフルエンザの数倍の倦怠感、節々の痛み、気分の落ち込みがある。

それらの症状についても、副作用だから数日乗り切れば大丈夫、そう思えるようになった。

可哀想な私から解放された私は、
家族、友人、会社の仲間に
自然と甘えることができるようになっていた。

いつものように、彼からLINEが来た。

ごくごく他愛ない内容で、
いつもなら笑って返信をしていた。

でも、その日は違っていた。

こんなに毎日、連絡を取りあっているのに、
辛いときに支え合うこともできないなら、
連絡なんていらない、彼を失ってもいい、
そう思った。

現在、月2で治療をしていること。
治療後、数日間は全身の痛みで寝たきりになること。
薬の副作用で、
精神的に辛く泣いてばかりいること。

私は、正直に伝え、彼に辛いときは泣き事を言ったり甘えても良いか聞いた。

彼からの返信は、

いーよー( ´ ▽ ` )ノ

だけで、拍子抜けしてしまった。


それからは、彼に対しても素直に甘えた。
彼は、いつも優しく励ましてくれた。

手術のため入院した際は、毎日、何時間もかけてお見舞いに来てくれた。

罹患する前、彼のはっきりしない態度に
フラストレーションが溜まっていた。

私が欲しい言葉を言わない彼。
私の中で優しさや思いやりの定義があり、
それに相反する行動を取る彼。

カタチに捉われていて気づかなかったけれど、彼はいつも愛を与えてくれていた。

友人、恋人、そう言った言葉だけの関係性は、とても脆いものであり、心の繋がりを感じられているかが大事なんだとわかった。

今、手術を終えて、
私に残ったものは胸の大きな傷跡だ。

でも、不思議と悲しくはない。
むしろ、傷跡を見て、良く頑張ったなーよしよしと撫でてしまう。

誰にもない私だけの頑張った証。

もし、私と同じように傷を抱えて傷つき悲しんでいる人がいたら聞いて欲しい。

乳房は女性の価値を決めるものではない。

私は、治療に耐えて手術を乗り切ったあなたを尊敬する。
時間がかかるかもしれないけど、新しい自分を愛せる日がきっと来る。

私は、父親が亡くなった時、人はいつか死が訪れることを知った。

そして、罹患したとき、私にも死が訪れることを知った。
限られた命の尊さ、大切さを感じることができるのは、死に直面した人だけかもしれない。

だからこそ、誰かのために笑い、自分のために笑い、誰かのために泣いて、自分のために泣く、そんな些細で優しい時間を幸せに思う。

時々は、死に対する恐怖心が振り返すかもしれない。でも、私は思う。

コンクリートの隙間から必死に強く咲く小さな花、夜空に輝く星々の中でささやかに輝く小さな星も、きっと誰かが見ていてくれる。
私も誰かの心にきらきらと咲く花でいたい。
私の心の中に生きる父のように。

がんサバイバーとしての私に何ができるのか?

時々、考える。

私は、幸運にもたくさんの人の支えがあり、穏やかな気持ちで治療をすることができた。

それでも、乳がんであることを大切な人にカミングアウトするには勇気がいる。

罹患した人の中には、大切なパートナーを失った人もいると思う。
私自身、彼を失う覚悟を決めた時があった。

身体的な痛みだけでなく、精神的な傷みを伴うのが、がんなのだ。

世間のがん=死という誤った認識がある限り、罹患者は救われない。

私が明るく元気で生きていることで、そういった世の中の認識を壊す力になりたい。

そして、言葉に対して少しだけ。
悪性腫瘍という言葉はいらない。
せめて非良性腫瘍にできないものかと思う。
再発という言葉もいらない。

再発に怯えて無駄な治療に走る人は少なくない。

再発を意識して過ごすことは、いつまでも病気の自分と共に生きることになる。

大切な1日を不安や恐怖に支配されずに、愛が溢れる日々を過ごして欲しい。

私も再発は怖いけれど、また治せばいいと思っている。
そして何より、jelly beansみたいな可愛いく甘くときめくような小さな幸せをたくさん集めようと思う。