この写真の集落は大和郡山の満願寺町です。
遠い昔、このあたりに聖徳太子建立の満願寺があって、それが地名の由来とか。
満願寺は聖徳太子46ヵ寺の結願の寺。「幾星霜の久しきを経て廃寺となり」、今はその堂塔は失なわれたが、このあたりは壮大な伽藍が並んでいたのだという。
集落の向こう、富雄川を挟んだ高台にある西岳院は、その満願寺の塔頭だったと伝えられ、聖徳太子の夢を今に伝える寺院。
本尊の十一面千手観音は3mを超す巨大な仏様。
ケヤキの寄木造りで「藤原中期の作としての手法が見られ、我が奈良においても真似の出来ない屈指の立像」、県の指定文化財です。
先日、この御本尊の伝説を地元の人から聞きました。
伝説とは
「昔、この西岳寺の御本尊は村の東側にあったお堂におられた。
ある年の大雨の時、富雄川が氾濫して、一帯が水に浸かって家が流され、お堂も流されそうになった。
村人たちはこの御本尊だけは守らなければいかんと必死になって、川の西側の高台に運んだーー」。
昔の富雄川はこのあたりでは幾筋にもなって、満願寺の村はその中の砂州のひとつなんだという。
このときの洪水は1kmほど上流の「御坊」と呼ばれる所で決壊したのだという。
そこは今の郡山西中学校のあたりだという。
ただ、この出来事がいつ頃なのか、なにせ立ち話で聞いたことなのでよく分からないんですが、その人は満願寺で3番目に昔の歴史に詳しいという人なんで、たぶん本当にあったことだと、思っているんです。
満願寺の集落、ここに聖徳太子建立の大寺院があった?ーー、字古屋敷とよばれ、堂之前や堂後の字名が残る
(満願寺町/大和郡山 2024−07)
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これは、大和郡山ボランティアガイドクラブ主催のウォーキングのポスターです。
(満願寺/大和郡山 2024−07)