2024年の敦賀へ | 矢田山文庫

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写真とアート、歴史と物語、奈良と大阪、そして大和郡山、そんな風景を歩いて綴ったブログです

(赤レンガ倉庫 今は観光施設に)

 

「命のビザ」

ポカポカ陽気の一昨日、春の青春18の最終日に敦賀に。
 

3月に北陸新幹線が開通した敦賀駅、

久しぶりだが、こんな田舎にと思うほどの巨大な駅になっていました。
その昔、敦賀は国境の港町。

今は観光地になった港町を歩くと「海を超えた鉄道」とか「欧亜国際列車」という言葉が目に入ります。
 

明治の末から昭和初期、ここからウラジオストックへ渡り、

シベリア鉄道で遥かにヨーロッパにつながっていた。
その鉄道をつたってヨーロッパの人たちも日本に。
その人たちの中には、ナチの迫害に追われたユダヤの人たちもいて、

彼らが持っていたのはリトアニアの外交官、杉原千畝が命をかけて発行した「日本の通過ビザ」。
六千人ともいわれるユダヤ人がそのビザで救われたという物語。
 

ただ、これはもう昔々の物語で今はーー。
 

当時の港町の風景を再現した「人道の港 敦賀ムゼウム」は2年前にオープンしたもの。

ただこの日は水曜でミュージアムは休館で、僕が撮った写真に人影が少ないのはそのためなのかもしれません。

(昔の敦賀港の風景の再現)

 

 

(向こうの建物が敦賀ムゼウム)

 

(赤レンガ倉庫のシンボル なんですか、このワニは)

 

(昔の倉庫)

 

(敦賀ムゼウム)

 

(新しくなった敦賀駅、新幹線ホーム)

 

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(金崎宮の桜)

 

「徳川家康ゆかりの地」
前回投稿の続きで、敦賀の街角で見つけたのが2枚目の写真。
徳川家康ーー? 
場所は金崎宮の近く、というより金ケ崎跡の上り口、

大河ドラマ好きなら、いや歴史好きならお馴染みの場所。
 

元亀元年(1570)、

越前・朝倉氏を攻めていた織田信長は、浅井長政の裏切りで窮地に陥る。
 

それを知らせたのは、長政の妻のお市の方が密かに信長に送った小豆の袋。袋の両端は固く結ばれて逃げ場がない。
「京へ帰る」
直ちに撤退を決めた信長は、全軍を置いてただ一騎ーー。
 

この場面、信長の強烈な個性でいつも大河に出てくる場面、

家康も居たことは確かだが、主役ではなかったでしょう。
たぶん、この看板、立てられたのは「どうする家康」の時ーー?
 

たぶん、再来年には「豊臣秀長ゆかりの地」に変わってるーーとか考えてしまうんですが、どうでしょう?
 

あと、写真は桜のお祭りが終わった金崎宮や気比神宮の観光地、でも満開、この春見た一番。
最後のマックロケの写真は、敦賀のシンボルキャラクター、銀河鉄道999のメーテルで

この彫刻には「永遠の星の海へ」と名前がついていました。

 

(金崎城跡への登り口)

 

(金崎宮)

 

(気比神社)

 

(銀河鉄道999のメーテル)

 

(敦賀 2024−04)