因果関係に錯誤がある場合に故意は認められるか。


 思うに故意責任の本質は犯罪事実を認識して規範の問題に直面し反対動機が形成可能であるにもかかわらず、あえて犯罪行為に及んだことに対する道義的非難

規範は構成要件の形で与えられている。


そして、因果関係も構成要件要素であるから責任主義の観点からその認識が必要

法定的符合説からは認識事実と発生事実が同一構成要件内で符号していれば故意責任を問うことができる。


したがって、認識した因果経過と発生した因果経過が相当因果関係の範囲内で一致していれば、故意が認められる


因果関係に錯誤がある場合に故意は認められるか。


 思うに故意責任の本質は犯罪事実を認識して規範の問題に直面し反対動機が形成可能であるにもかかわらず、あえて犯罪行為に及んだことに対する道義的非難


とすると、犯罪の行為及び結果を認識していれば規範の問題に十分に直面できているといえる


また、故意の要素として因果関係の認識を必要とするとこれが欠ける場合には未遂犯すら成立しないこととなり、不当な結論


そこで、構成要件的故意の要素として因果関係は不要


錯誤がある場合にも故意が認められる

不作為における作為義務の存在について錯誤がある場合、故意は認められるか。

 この点、保証人的地位を構成要件要素、保証人的義務については違法要素と二分して考える見解がある。

 

 しかしこのような区別は必ずしも明確にできない


 また、作為義務のない者の不作為を構成要件に該当すると考えるべきではない。


そこで、作為義務は構成要件レベルの問題であると解し、そして作為義務は規範的構成要件要素であるから、一般人にとって反対動機が形成可能な程度の事実の認識、すなわち作為義務についての素人的な意味の認識があれば、故意責任を問うことができる。


具体的には、父親が、客観的に自分の子供が溺れているのに主観的には他人の子供が溺れていると誤認した場合には、作為義務を認識しえず素人的意味の認識がないから、事実の錯誤として故意が阻却


他方、父親が、自分の子供が溺れているのを認識しつつ助ける義務はないと考えた場合には、作為義務を認識しえたといえ素人的意味の認識があるから、単に法律の錯誤があったにすぎず故意は阻却されない