2月22日の午後13時ごろ、「早くお昼行きたいな~」とオフィスで仕事をしていたときに地震は起きました。
初めは、「久しぶりの余震!でも、ちょっと大きな揺れ」と(いつものように)余震が終わるのを待っていると・・・
ドンドン ドンドン
大きな音になり、私の横の棚が大きく揺れ、パソコンが落ちてハッとしました。
これは、ヤバイ!!!
とりあえず、ドアに向かおうと席を立つと大きな揺れでなかなか歩けなくて、それでも悲鳴を上げながら、とにかくオフィスの真ん中に到着。私の横にあった棚は倒れました。
奥にいるスタッフを呼ぶと何もかも積んであった荷物や棚ごと倒れていて、なかなか出て来れない状態に!それでもひっしにオフィスから出て、ファイやアラームが鳴り、水がジャージャー出てしまっているオフィスの建物から出ることが出来ました。
オフィス沿いのHereford Stでは、たくさんに人が泣いていたり、人探しをしていたり、とにかく映画でしか観ない光景で、私もスタッフも何がなんだか分かりませんでした。マネージャーはランチ中で、その道路で会うことが出来き、うちの学生さんともそこで会いました。
スタッフがパソコンを忘れたから、もう一度オフィスへ入りたいというので、私が一緒にオフィスに入りました。オフィスに入るとドーーーンと大きな揺れと音があり、前の建物の屋根が落ちました。必要なものを取って、オフィスから出ると道路にいたみんなは、公園の方へ歩き出しました。
9月の地震は、早朝4時半で、大体の人たちは就寝中でした。しかし、2月22日の地震は、ランチの時間、更に2月では、フラワーフェスティバルが行われているので、街は通常よりにぎわっていました。ちなみにフラワーフェスティバルは、クライストチャーチシティ中心部にある大聖堂内にフラワーカーペットが展示されています。
公園では、びっくりするくらいの人たちが非難をしていました。
中には、頭から血を流し、既にガーゼで処置されている人や、気絶をしておんぶされている人、ネットワークのつながりにくい携帯で家族、友人達に連絡をして、なきながら安否の確認をしている人・・・
この日に限って、携帯の充電がほとんどなくてママに電話しても出ないし、私も機が動転していました。
私たちは、他の日本人の方と1時間くらい一緒にいましたが、その公園から徒歩3分先の自分の宿泊施設が気になり、スタッフと学生さんと3人で、3人の宿泊施設を確認することにしました。
まず、私のうちへ。 外見は、全然大丈夫!まず、出入りドアの鍵を開けると何も変化なし!そして、自分の部屋のドアを開けると・・・
あれ?景色が違う!?
そうです。ベット側の壁(レンガ)が崩れ落ち、隣の家が見えるではないですか!(写真は後日アップします。)
壁のレンガは、枕を中心にベットの上にたくさん落ちていました。
この地震が、夜中、寝ている間に起こっていたら。。。私はきっとここにいないだろう。そう感じました。
スタッフのうちへ。既にフラットオーナーさんがフラットに来ており、「立ち入り禁止」と命じました。しかし、他にも部屋があるみたいで、そちらの部屋に入れるとのこと。とりあえず、ほっとしました。
学生さんのフラットへ。非難していた公園から徒歩で20分のところにあります。カセドラルを越して、カジノ方面へ歩いていくのですが、既に地面から砂と水が湧き出てきて、沼のような状態。歩けば滑って転びそうになるし、粘土状のような土で、靴が吸い込まれていくような感覚で、歩き続けるのが困難でした。途中、カセドラルを見たら、半分ない!!!! 倒れたことを知りました。無事に学生さんのフラットに着くと、すでにフラットオーナーが居て、彼女のケアをしてくれるとのこと。携帯メールで、連絡取り合うといい、私とスタッフは、自分達の住んでいるところへ戻りました。
私は、前のフラットも気になり、そっちに足を進めました。車の中でいつでも逃げられるように待機しているオーナーと奥さん。彼らとフラットメイトの安否を確認し、一安心!
そして、壁のない私の部屋があるホステルへ・・・
とりあえず、母屋とオフィスのあるホステルへ向かうとみんなが、「良かった無事で」といつもより強いハグ。とりあえず、珈琲や紅茶をキャンピング用のガスで沸かしたお湯で作ってくれ、キャンピングチェアで、みんなの安否を確認しようと携帯を片手に忙しくしていました。
22日の夜のことをホステルオーナーに相談したところ、まだダメージのなかった部屋があるから、日本人3人(私含む)は、この部屋ね!と快く部屋を提供してくれた。何をしていいのか、どうしたらいいのか、不安で一杯のまま、私たち3人は、その部屋で一晩過ごしました。
次の日、私とルームメイト(1名)は、ポリテクニックという国立の専門学校で電気があるということを聞き、携帯の充電器をもって充電をしにいきました。学校に到着したのは11時くらい。食料も提供されていたみたいで、もうちょっと早く着ていれば・・・でも、コーラーとオレンジジュースはもらい、とりあえず救われました。
充電をしたあと、ホステルに戻り、これからのことを真剣に考え、話し合いました。
その日の夜、ホステルオーナーの息子さんから「シティ中心部にあるホテルが今にも崩れ層らしいよ。それが、崩れると地震より大きな振動と鳴り、壊れかけている建物はすべて壊れるんじゃないかって言われているらしいよ。ちなみにそれは、今夜らしい!」と言われた。既に6時半以降・・・ ラジオでは、6時半以降に外出をすると逮捕される区域だったので、どこに逃げれず、私は、「え?この、私たちの部屋の前にある壊れかけのホステルが崩れ落ちたら、私たちの部屋は・・・」
急に恐怖と不安でいっぱいになり、私たちは、「し 」を覚悟しました。
親に電話をして、泣いて、今の状態を伝え、「し ぬかもしれない」そう伝えました。
私たちはずっと寝れず、夜中1時過ぎなのに煙が上がり、なぜか明るい街中心部を見ながら、それぞれ何かを考えていました。
次の日。私たちは生きていました。
そして、ここから出なくてはいけない!そう強く感じた私たちは、この場を去ることにしました。
私は、ダニーデンへ。彼女達は、シティ郊外へ。
地震発生後から、水、電気、食料、トイレのない生活は、本当に本当に苦しく精神的にも不安定になる生活でした。これはトラウマなのか、いつでも涙が出てきます。
まだ行方不明の方もたくさんいます。
私は、心配で心配で・・・
本当に心が痛みます。
来週、またクライストチャーチに戻る予定です。状況によってはダニーデンに滞在する期間を延長するかもしれませんが・・・
そして、オーストラリアのビザ取れました!予定通り3月16日に出発できるか分かりませんが、とにかく早く安心して生活の出来るクライストチャーチに戻れるよう、こればかりは、神頼みです。
ご心配してくださった方々、本当にありがとうございます。
私も私の周りも安否確認は出来ております。
また、何あれば、すぐ更新します。
クライストチャーチに住んでいる人を探している方などいましたら、メッセージを下さい。
出来る限りのお手伝いをさせていただきます。