昭和45年(1970年)3月15日、大阪万博の開催に併せて新たに《チェリー》が新発売されました。万博の開会式当日より万博会場で試験販売が実施されています。今回は《チェリー》のパッケージに見られる変遷をご紹介します。

 

大阪万博は昭和45年(1970年)9月13日に閉幕されましたが、9月1日には新デザインが用意されていて、北海道で試験販売が実施されました。その後、全国展開されたと考えられます。

 

昭和の時代の馴染み深い銘柄として長く愛されてきました。しかし残念ながら、2011年5月をもって製造が中止されました。販売期間 41年の歴史に幕を閉じています。

 

デザインには金色で桜の花枝が描かれていますが、これは大正15年(1926年)から登場したパッケージに描かれた桜のデザインが復活して、そのまま踏襲されています。

 

〚日本専売公社〛の時代には2度の試験販売(テストマーケット)が北海道で実施されていて、話題も提供しています。多分2回目の試験販売は低迷していた売り上げの打開のためと思われます。

 

 

 

《チェリー》が登場した頃には人気銘柄だったようで、当時の記念たばこや観光たばこには常に利用されていました。それは人気が《セブンスター》に移っても変わりません。

 

私が観光たばこに興味を持った昭和51年(1976年)頃には《セブンスター》が人気トップでしたが、それでも記念 観光たばこの台になる銘柄は《チェリー》でした。私は購入した《チェリー》の中身の扱いに苦労していました。自分で消費できないからです。

 

実は、私は《チェリー》の喫味が好きではありませんでした。パッケージだけ外してセロファンに戻して、よく《チェリー》を愛煙していた伯父に引き取ってもらっていたものです。

 

 

 

その後、昭和56年頃にはさすがに記念たばこも観光たばこも、台になる銘柄が《マイルドセブン》に交代していました。その頃には《チェリー》を好んで喫煙する一定数の喫煙者はいたようですが、全体のシェアーでは売り上げにも陰りが見えていたようです。

 

 

 

昭和51年頃には〚日本専売公社〛の用意した、たばこやパイプ関連の知識やコラムなどの冊子の他 ポケット吸い殻入れなどには、《チェリー》の写真やイラストがけっこう見られました。

 

1976年に〚日本専売公社〛が用意したコラムなどが掲載された冊子です。表紙のイラストはたばこがモチーフになっていて、この2冊には《チェリー》が描かれています。

 

        

 

【痛快ライフ】と言う冊子は4冊所持していて、以前表紙をご紹介しています。ご参照ください。

 

専売公社の無料パンフレット?いえ、コラム集と言えそうです:痛快ライフ | アリタリアfujiのブログ (ameblo.jp)

 

 

 

 

こちらのロングサイズ《チェリー》は、フィルターたばことしては前日に発売の《ハイライト25》に続いて登場した、〚日本専売公社〛による18番目の新製品となります。

 

 

 

 

桜のデザインの事で軽く触れましたが、《チェリー》と言う名称は初めてではありません。たばこの製造販売が政府に移管して〚煙草専賣局〛が発足した時に、最初に発売された両切り銘柄です。

 

明治37年(1904年)7月1日の発足とともに4銘柄の〈口付きたばこ〉と一緒に〈両切りたばこ〉として2銘柄が発売されました。それが《スター》と《チェリー》でした。

 

その後《チェリー》は大正4年に廃止され、大正15年3月に桜枝が描かれたパッケージで再販売されます。その時の桜のデザインが昭和45年に復活してデザインに描かれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

昭和50年(1975年)頃より、当時集めていたたばこは全て開いています。1972年に刊行された〚日本のたばこデザイン〛にペーパーの展開写真が掲載されていて面白いので真似をしてみました。

 

ペーパーには大正15年のパッケージの桜が描かれています。とても手の込んだデザインです。この頃には、たばこ1本1本にデザイン画が描かれたペーパーが見られ、どれもとてもおしゃれです。

 

 

サイドに四桁の数字が印刷されています。上二桁は製造工場の番号で、下二桁はその工場の製造機械の番号だと言う事です。2番工場の53号機と言う事でしょう。たばこの製造履歴が分かる数字の記載が始まったのは、昭和44年(1969年)5月からです。

 

 

 

 

 

 

 

              手元で確認している《チェリー》の変化

 

① 昭和45年(1970年)  3月15日    初期封緘紙 (大阪万博)でテストマーケット

② 昭和45年(1970年)          封緘紙 変更 全国展開 

③ 時期不詳(1970年~1972年)     空港販売 海外専用封緘紙

④ 昭和47年(1972年)  7月       健康表示 印刷

⑤ 昭和50年(1975年)  7月       ≪np≫ マーク印刷

⑥   昭和51年(1976年)  6月       レジスターマーク印刷

⑦ 昭和55年(1980年)  6月       証票変更 

 

 

 

 

 

       〚日本専売公社〛の時代に実施された定価改定は下にまとめています

 

 

                   チェリー

 

 

   ①昭和45年(1970年)3月15日  20本入   定価 100円

    昭和45年(1970年)      封緘紙変更により中止 

 

昭和45年(1970年)3月15日、大阪国際万国博覧会の開会式当日より会場で試験販売が実施されました。その時にはこちらの封緘紙が使用されたようです。

 

この封緘紙がいつまで使用されたのかは不明です。9月1日に新しいデザインのパッケージが北海道で試験販売されます。そちらでも試験販売のごく初期にだけはこの封緘紙が見られます。いずれにしても使用期間は1970年内の、ごく短期間だったと思われます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ②昭和45年(1970年)      新しい封緘紙  使用

    昭和47年(1970年)7月     健康表示のため中止 

 

昭和45年9月の大阪万博終了の頃には販売が全国に展開されたと思います。その時にこちらの封緘紙に変更されているようです。このパッケージは多くの人に馴染み深いデザインでしょう。

 

万博終了の12日前、9月1日からは新しいデザインの《チェリー》が北海道で試験販売を始めます。そちらのデザインは採用される事なく廃止されて、このデザインが長期間販売されました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

               ③ 空港販売 海外用   

 

          このパッケージの時代、空港販売の証紙が見られます。

 

 

 

 

当時《ハイライト》に使用していた封緘紙に似ていますが、英文で国外用と書かれています。私の手元には、琉球たばこの研究でお世話になった方にいただいた《ホープ》《ピース》《セブンスター》《チェリー》の4種類があります。

 

その内、両サイドフラップの糊付け部分に白抜きが見られるのは《ピース》と《セブンスター》です。《ホープ》は地色が全て白地のため白抜きはありません。《チェリー》には白地の部分があり、白抜きを計測できません。

 

白抜きの分かるパッケージでは、《セブンスター》は白抜きのサイズが ≪70㎜≫ しか確認できていませんが、《ピース》では ≪68㎜≫ と≪70㎜≫の2種類が揃っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ④昭和47年(1972年)7月  健康表示印刷

    不明(昭和52年 以降)   レジスターマーク印刷により中止

    昭和55年(1980年)     証票変更 

 

私がパッケージを集め始めたのはこのパッケージの時代です。こちらのパッケージを最初に購入したのは、確か昭和50年(1975年)秋頃の事です。過去のパッケージは全て琉球煙草の研究でお世話になった方にいただいたものです。

 

糊付け部分にはのちにレジスターマークが印刷されるようですが、私が初めて購入した時にはまだ見られません。この年の7月に印刷された ≪npマーク≫ は既に販売していませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

           昭和51年(1976年)頃のポスター

 

    このパッケージの時代に、自宅と同じ商店街のたばこ店からポスターを貰っています。

 

1976年頃の縦長ポスターです。長さはB4判サイズで37.5cm.なのですが、横幅は17.2cm.と、本来のB4判サイズの26.5cm.より細くなっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ⑤昭和50年(1975年)7月     ≪np≫ マーク印刷

 

  昭和50年 12月 18日 (外装セロファンにシール貼付)  定価改定   定価 150円

  昭和51年   2月まで   (外装セロファン白開封テープ)

 

昭和50年5月1日にはたばこの値上げが予定されていました。そこで沖縄たばこと《おおぞら》を

除く銘柄に ≪np≫ マークが印刷されますが、国会を通過せずに値上げが見送られてしまいます。

 

口付きたばこ《朝日》はもともと値上げが予定されていないので印刷されていません。

 

≪np≫ マークの印刷されたパッケージはごく短期間、何事もなく旧定価で普通に販売されていました。この印刷にはコレクター以外、一般の喫煙者はあまり気が付かなかったと思います。

 

                       底面に≪np≫マーク

                            

 

 

 

 

結局、たばこの値上げはこの年に実施されます。昭和50年12月18日《朝日》を除く銘柄に定価改定が実施されて5割もの値上がりとなりました。新価格の製品には、新たに赤いシールが貼付されています。昭和51年2月まで貼付されました。

 

 

 

 

昭和51年3月から ≪np≫ シールを貼付しないことを周知するポスターです。たばこ店の店頭に貼り出されました。サイズがB4判で長さが38センチ近いのでスキャナーに収まりません。

 

上下2枚の画像を繋ぎ合わせたので合わせたので色の違いがありますが、一枚のポスターです。このポスターは自宅と同じ商店街のたばこ店で貰いました。《チェリー》のポスターと同じサイズです。

 

 

 

昭和52年12月には法改正が実施されます。そこから値上げは国会の承認が必要なくなり、管轄大臣の認可で公社が独自で行えるようになりました。〚日本専売公社〛に限らず、〚日本国有鉄道公社〛国鉄の運賃も同じです。

 

 

 

 

 

 

 

 

               白い開封テープ 〖暫定〗

 

昭和51年2月まで、値上げされた新価格の製品には、セロファンのない3級品以外の全ての銘柄で外装セロファンの開封テープが白色に変更されていました。


 

 

外装セロファンの開封テープが暫定的に3ヶ月間ほど白く変更されます。当時8銘柄だけ白いテープのパッケージを残しておきましたが、その中には《チェリー》も含まれていました。

 

本来は金色の開封テープが白に変更されたパッケージです。外装セロファンをそのまま残しています。セロファンが縮んでパッケージには皺が寄ってしまいました。セロファンの上部糊付けだけを剥がして、たばこを抜いて代わりに綿を詰めています。

 

 

 

 

 

昭和55年4月1日にも〚日本専売公社〛の値上げが実施されます。この時の定価改定以降は、旧価格製品と新価格製品の区別がなくなりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

               ⑥ レジスターマーク   

 

両サイドフラップ部分の白地に黒色で長方形の印刷が見られます。これは印刷を検知するためのレジスターマークと呼ばれ、健康表示入りパッケージの途中から印刷されています。

 

印刷された時期は不明ですが、銘柄によってばらつきがあります。早い銘柄では1976年に見られますが、多くの銘柄は1977年~1978年以降ではないでしょうか。遅いと1980年以降もあります。

 

私の手元にある最も早い印刷は《カレント》です。1976年6月にデザインが変更されて新たに発売されたパッケージに印刷されています。当時、新《カレント》は発売と同時に購入していますがその時にはレジスターマークが印刷されています。 

 

 

        

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ⑦昭和55年(1980年)3月15日  新しいマークになる

    昭和60年(1985年)4月  1日  社名変更により中止 

                          〚日本たばこ産業株式会社〛となる

 

右サイドに印刷されている証票が、これまでの【専】を図案化したデザインから煙のような雲のような形に変更されました。1985年の〚日本たばこ産業株式会社〛発足により5年で姿を消します。

 

 

 

 

 

        〚日本専売公社〛の時代、《チェリー》で実施された定価改定

 

        昭和45年(1970年)   3月 15日 発売      定価  100

        昭和50年(1975年) 12月 18日           定価  150

        昭和55年(1980年)   4月 22日         定価  180

        昭和58年(1983年)   5月   1日         定価  200

 

 

 

 

 

 

〚日本専売公社〛の時代のパッケージ変化はいくつか見られます。他の銘柄でも同じ事が言えます。共通した変化を挙げておきます。

 

  ● 昭和45年9月頃から、U字Ⅱ型包装ではサイドの白地部分の長さがレギュラーサイズ 59㎜

                      ロングサイズは 70㎜ となる。

  ● 昭和47年7月から、サイドに健康表示が印刷される。

  ● 昭和49年9月から、金色が彩色されている銘柄では、金付けが金インクに変更される。

  ● 昭和50年7月には、ごく短期間、パッケージに ≪np≫ マークが印刷される。

  ● 昭和51年6月から、順次レジスターマークが印刷される。多くは昭和52年以降です。

  ● 昭和55年6月から、公社のマークが変更される。

 

 

昭和58年10月頃より《ゴールデンバット》《しんせい》《わかば》《エコー》では、パッケージに製造年月日が印字されています。《しんせい》と《エコー》はその頃にレジスターマークが印刷されるようになりました。

 

また昭和59年頃には《しんせい》《わかば》《エコー》の封緘紙の糊付け部分の白抜き幅が、それまでの 14mm.から 17mm.へと広くなっています。他の銘柄は確認できないので不明です。

 

 

 

 

〚日本専売公社〛の時代はパッケージの印刷もキッチリとしていて、印刷会社による変化が見られません。そのためこちらの大きな変更は共通しているし、各銘柄の変化もしっかり管理されています。

 

 

 

 

 

 

パッケージの変化ではなく、定価改定などによる外装フィルムの変化。セロファン包装の第一号は

昭和28年からで、高級たばこ《富士》だったそうです。《チェリー》にいつから外装セロファンが装填されていたのかは分かりません。

 

  ● 昭和46年頃から、 外装セロファンが広く普及する

              (旧3級品にはセロファン包装がありません)

 

  ● 昭和50年12月から、3か月間、外装セロファンに ≪np≫ シールが貼付される。

              (セロファンのない旧3級品は直接シールを貼付)

 

  ● 昭和51年 2月まで、 ごく短期間、外装セロファンの開封テープが白色となる。

              (セロファンのない旧3級品は暫定封緘紙)

 

  ● 昭和58年10月頃    外装セロファンに製造年月日が印字される。

              (セロファンのない旧3級品は直接パッケージに印字)

 

 

外装セロファンが装填されなかった〈旧3級品〉の銘柄とは、両切りの《ゴールデンバット》と

《しんせい》、フィルター付きの《わかば》と《エコー》の4種類です。

 

 

 

 

パッケージの変化に対して番号を振っています。この番号は私が把握している封緘紙の変化にも与えています。しかし外装セロファンの変化には付けていません。

 

 

 

 

 

 

 

 

          見本たばこ

 

               4本入 見本 昭和45年 頃

 

大阪万博の試験販売の後、全国展開した頃に用意された見本たばこだと思います。全く同じ体裁の

4本入見本たばこが〚日本専売公社〛によって【Smorkin’ Clean】のロゴでキャンペーンが行われた、昭和50年前後にも用意されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

            日本たばこ産業株式会社            

 

1985年4月1日、〚日本専売公社〛に代わって〚日本たばこ産業株式会社〛が発足します。私がたばこのパッケージを集めていたのは〚日本専売公社〛の時代ですが、社名が変更されて収集を全くやめてしまったわけではありません。

 

全てを集める事はなくなりましたがふと思い立った時などに購入していましたし、友人からもパッケージを貰っていました。手元に残している初期のパッケージだけ一緒にご紹介します。

 

 

 

 

               1985年4月1日~1990年

 

新しいマークに替わりました。その後文章の変更が何度も行われています。1988年10月以降からは【JT】のネームが導入されます。実際にパッケージに印刷されるのは1990年頃からです。


 

 

〚日本たばこ産業株式会社〛になると健康表示の文字が横書きになり、バーコードが印刷されました。それまでの(製造年月日)が(賞味期限)にも変更されています。パッケージのデザインは変わりません。従来の太い封緘紙は1988年2月頃まで使用されていました。

 

 

                   太い封緘紙

 

封緘紙は〚日本専売公社〛の時代と全く同じです。こちらの太い封緘紙はだいたい3年弱ほど販売されていました。1985年4月~1988年2月までの期間です。

 

新裁断の【スタンダード型包装】しか手元にありませんが、【U字Ⅱ型包装】でも用意されていると思います。この頃にはいろいろな銘柄で2種類の包装形態が並行販売されていました。

 

〚日本専売公社〛の時代にはロングサイズの【スタンダード型包装】は三種類の銘柄にごく僅かの量が見られただけですが、〚日本たばこ産業株式会社〛の時代には主流の包装形態となります。

 

 

 

 

 

 

 

                    細い封緘紙

 

1988年2月頃から封緘紙の幅が狭くなりました。古くからの銘柄は封緘紙の幅が全て細くなり、このサイズに統一されています。

 

1988年10月以降は順次マークが【JT】へ変更されますが、印刷は1990年頃の事です。こちらの〚日本たばこ産業株式会社〛のマークで細い封緘紙の使用はだいたい1年~2年程度です。

 

                  (所持していません)

 

       細い封緘紙がないのでサイズの違う2種類の封緘紙の比較ができません

 

 

 

 

 

 

 

                     JT

 

            1990年~1997年

 

1988年10月以降【JT】のロゴが採用されますが、印刷されたパッケージが登場するのは1990年からです。【JT】になるとパッケージのデザインは同じですが文字表記が目まぐるしく変化します。

 

サイドに【JT】と大きく描かれ、その下に小さく〚日本たばこ産業株式会社〛と書かれています。アルファベットと数字を組み合わせた定価の記号が印刷されていました。

 

〚日本たばこ産業株式会社〛の最初のデザインが第一期とすると、サイドに【JT】と大きく印刷されたデザインは第二期と言えます。

 

 

 

 

 

                  1997年  以降

 

1997年頃からロゴのサイズが小さくなり、社名表記と並んで印刷されてます。現在も続く表記で、〚日本たばこ産業株式会社〛第三期の印刷と言えるでしょうか。2005年からは〈健康表示〉が表面と裏面に大きく描かれるようになりました。

 

 

 

 

【JT】の表記もとりとめなく残していますが、あまりにもパッケージの変化が激しくて、もともと所持している種類が少ないので細かい変化は全く分かりません。《チェリー》はありませんでした。

 

 

 

 

 

 

次回は北海道で試験販売が実施された《チェリー》をご紹介します。試験販売は2回実施されましたが、どちらも北海道でした。