第二次世界大戦後、アメリカの統治下にあった琉球政府の時代、1972年の本土復帰まで煙草の製造販売を行っていた三社の民営煙草会社のうち、今回は【沖縄煙草産業株式会社】の新聞広告を見てみます。
民営煙草会社が設立されて製品を販売するまでの、1950年代の半ばまでは輸入煙草の天下でした。島内産業の保護育成のため、琉球政府は輸入煙草の税金を段階的に上げます。1959年頃には輸入煙草はほぼ島内から駆逐されます。
数多く存在していた輸入煙草の代理店はそれぞれ三社の民営煙草会社の販売特約代理店となります。【沖縄煙草産業株式会社】は、その時代に同じく輸入代理店だった【池宮商会】が設立しました。
民営煙草会社の中では最も遅い、1957年8月20日に設立します。会社の規模も最も小さく、煙草の販売シェアを見ると、およそ10%~15%程度でした。
因みに、【琉球煙草株式会社】が50%~55%程度、【オリエンタル煙草株式会社】が30%~
35%程度です。これはだいたいの目安となる数値で、平均値とも言えません。
売り上げを伸ばす事、すなわちヒット商品を作る事が会社の大命題です。他の二社が少数精鋭で、少ない銘柄を集中的に宣伝する方針に対して、【沖縄煙草産業株式会社】では新製品を次々と売り出しました。
もともとが輸入代理店だったためか、会社設立前に輸入していたアメリカ煙草を自社煙草として商品化しています。自身で輸入していた≪ドミノ≫や≪ターバン≫の他、他社の輸入煙草≪ツーライオン≫などです。また、1960年代にはアメリカ煙草≪ホリデー≫が見られます。
1959年11月に新発売された≪ヨット≫の新聞広告です。
琉球政府は島内産業育成のために、1960年8月20日まで100%島産の葉煙草を使用した製品の煙草税を免税としていました。民営煙草三社ともに、それぞれ免税煙草があります。
【沖縄煙草産業株式会社】では≪ヨット≫が用意されました。絵を見ても、封緘紙が琉球政府の納税証紙ではなく、自社で用意した免税証紙の封緘紙と分かります。
沖縄タイムス 1959年11月11日 掲載
1960年に入ると、免税煙草である事から値下げをする掲載広告です。抽せんで、10名に10ドルが当たるとあります。商品名をクイズにする、商魂たくましい広告です。
【沖縄煙草産業株式会社】では、こうしたプレゼントやサービスセールが、他の二社に比べると多く行われていました。もちろん三社が競合していますので他社でも色々なサービスが行われています。
沖縄タイムス 1960年3月17日 掲載
ヨット
1959年11月 発売 1960年販売終了
琉球政府の免税措置は 1960年8月20日で終了します。その頃にはこちらも販売終了となるようです。
沖縄タイムス 1960年3月23日 掲載
パ リ
1960年3月に新発売されました。当初は人気商品となり、【沖縄煙草産業株式会社】の目玉商品となりましたので、長く販売が続きます。しかし売り上げが落ちる事もあり、何度もデザイン変更されています。
販売初期のパッケージで、サイドの社名が全て英字で書かれています。1963年頃、他の二社と同様、社名と所在地がカナ文字に変更されます。
1960年、≪琉球放送テレビジョン 開局記念≫の文字の加刷された、【沖縄煙草産業株式会社】最初の記念煙草が用意されています。
その後、凱旋門から盾のデザインに替わり、再び凱旋門のデザインに戻り、チャコールフィルターに変更されて長く販売が継続され、復帰まで販売されていたと思います。
1960年6月1日の、【琉球放送テレビジョン】開局記念に記念たばこが用意されています。特別なデザインを用意したのではなく、普通たばこに赤で活版加刷されています。
売り上げが良かったためか、姉妹品に≪パリ・デラックス≫まで用意されました。
1950年代には、手作業の時代に【スタンダード型包装】が見られますが、1960年代には三社とも機械化されていて、全てを(U字Ⅱ型包装)に切り替えています。
【沖縄煙草産業株式会社】では、こちらの≪パリ・デラックス≫の他、島内用の≪ハーモニー≫の二種類のみ【スタンダード型包装】で販売されていました。
1964年の東京オリンピックに併せて≪オリンピック≫という新製品を用意しました。新聞記事として掲載されています。
沖縄タイムス 1964年9月4日 掲載記事
そしてこちらは≪琉球新報≫に掲載された【沖縄煙草産業株式会社】の新聞広告です。
琉球新報 1964年9月7日 掲載
オリンピック
1964年9月2日 発売
人気商品となり良く売れたようです。サイドの社名表記はすでにカナ文字になっています。販売継続中に、サイドの社名表記に使用された活字に違いがありますので並べて展示します。
”煙草”の、【煙】の字の活字が違います。
那覇市全図の、有力企業一覧の煙草会社のページに掲載されました。三社が掲載されています。
島内用として銘柄が並んでいますが、【沖縄煙草産業株式会社】のオリジナルは≪パリー≫だけ、と言えそうです。と言うのも≪ドミノ≫≪ホリデー≫はもともとアメリカ煙草です。
≪ハーモニー≫が島内用として見られますが、この頃は日本専売公社向けとして≪トリオ≫が三社統一デザインで輸出されています。≪ハーモニー≫は、≪トリオ≫の輸出前に日本専売公社向け輸出用三社統一デザインの煙草でした。三社統一と同じデザインで、島内向けに独自に販売した製品です。
琉球新報 1968年11月11日 掲載
スリーセブン
1968年8月に新発売されました。サイズはスーパーキングサイズです。1971年4月には全く同じストライプデザインでロングサイズが発売されています。ロングサイズでは、地色を5色にして5種類同時に発売しています。
琉球で発売されたスーパーキングサイズは、≪スリーセブン≫の他は≪ポルカ≫≪プリンス≫の三銘柄だけで、いずれの銘柄も【沖縄煙草産業株式会社】が販売しています。
沖縄タイムス 1969年9月 掲載
シルバースター
1969年9月12日より発売されました。あえて喫煙の危険性をのべて、低ニコチンをうたっています。ごく初期のパッケージにも説明が書かれていました。説明文の記載は短期間だったようです。1972年5月の復帰まで販売は継続されているようですが、その頃には説明文が削除されています。
発売初期のパッケージ
間もなく販売された、説明文が削除されたパッケージです。
≪シルバースター≫は、1970年の大阪万博の記念たばこのパッケージに利用されました。短い販売期間中ですが、サイドの数字の記載に変化が見られ、拙著≪琉球民営煙草デザイン≫では区別しています。こちらの普通煙草では確認していませんが、多分印刷されていると思われます。
【沖縄煙草産業株式会社】では、1957年に設立されてから1972年の復帰までの15年間に、普通煙草に色々な新製品を次々と発売しています。結果的に、これは琉球煙草のパッケージの世界を実にバラエティ豊かにしています。
【琉球煙草株式会社】と【オリエンタル煙草株式会社】の製品は、ほとんど目にする事の出来ない1960年までの両切り煙草と、人気商品に集中した数少ない銘柄と言う事になります。【沖縄煙草産業株式会社】の普通煙草の種類の多さが、パッケージの楽しさを倍増していると言えそうです。
銘柄数の多かったパッケージは、【琉球煙草株式会社】【オリエンタル煙草株式会社】のパッケージと併せて、拙著≪琉球民営煙草デザイン≫でご覧になれます。
国立国会図書館のほか、東京都立図書館、沖縄県立図書館にてご覧になれます。
【沖縄煙草産業株式会社】が前身の【池宮商会】だった時代の輸入品を、当時の新聞広告と共に以前ご紹介しました。宜しかったらご参照ください。