第二次世界大戦後、1972年5月15日に本土復帰するまでの琉球は、煙草の製造販売は琉球政府のもと、島内に設立された民営煙草会社が行っていました。しかし、民営会社の製品が島内に浸透するまでの10年間ほどは、輸入煙草と米軍基地からの流出品が担っていました。

 

先月、当ブログでそれらの輸入煙草をいくつかご紹介して、アメリカからの輸入品までご紹介しました。今回はその続きです。島民に人気の高かったアメリカ煙草は数多く存在するのですが、その中には後に民営煙草会社を設立する輸入業者の製品がありますのでご紹介します。

 

【池宮商会】と言う輸入業者です。1957年に【沖縄煙草産業株式会社】を設立して、1972年の復帰によって煙草の製造販売が専売公社に移行するまで営業を続けます。復帰後も会社は【池宮商会】と社名を戻して、印刷関係で継続し、現在も存続しています。

 

【沖縄煙草産業株式会社】が、自社製品として販売したアメリカの銘柄は四種類みられます。
1950年代に≪ドミノ≫≪ターバン≫≪ツーライオン≫、1960年代に≪ホリディ≫の四種類です。

 

その内の二種類≪ドミノ≫≪ターバン≫が【池宮商会】の時代に輸入販売していた銘柄でありながら、【沖縄煙草産業株式会社】設立後に自社製品として販売されます。今回はその中から≪ドミノ≫をご紹介します。

 

輸入煙草全盛当時、≪ドミノ≫はキングサイズとレギュラーサイズの二種類が輸入されていました。煙草会社設立当初、【沖縄煙草産業株式会社】が販売するのは両切りレギュラーサイズのみです。(後にフィルターチップロングサイズに変更されてデザインも変わります。)

 

 

          池宮商会が輸入していた両切りレギュラーサイズ≪ドミノ≫

 

 

 

       沖縄煙草産業株式会社になってから自社製品として販売されました。

 

                    〔輸正―3〕

            琉球政府の納税証紙として使用された封緘紙

                                 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらはキングサイズのパッケージです。沖縄煙草産業株式会社となってからも製造販売されていません。池宮商会の新聞広告がなく、輸入されていた時期も輸入業者も不明です。

 

                キングサイズの ≪ドミノ≫

 

 

資料によると、1959年の販売価格が22¢とあります。この頃の輸入とすると、民間の輸入業者は輸入煙草に対する高い税率のために販売量が低下し、衰退していたと思われます。【リウボウ】が輸入していた可能性が否定できません。      

 

                    〔輸正―3〕

             琉球政府の納税証紙として使用された封緘紙

 

 

 

 

 

 

               池宮商会による≪ドミノ≫の新聞広告

 

             1954年11月13日  沖縄タイムス

 

 

 

 

             1954年11月13日  沖縄タイムス

 

琉球では狭い島内に煙草会社は三社が競合していましたので、過剰な宣伝が行われていました。それにしても、同じ日に二か所に掲載されたようです。池宮商会として、よほど力を入れた商品だったのでしょう。

 

三日後の16日にも掲載されていて、その他にも≪ターバン≫と並べて掲載された広告も見られます

 

             1954年11月16日  沖縄タイムス

 

 

 

 

 

 

                            1955年1月23日  沖縄タイムス

 

 

闇煙草の喫煙に絡めてコマーシャルを掲載しています。当時の闇煙草の蔓延がよくわかる記事です。

 

 

 

 

≪ドミノ≫≪ターバン≫の二種類は、1954年6月28日に二種類並べて初めて新聞広告が掲載されています。どうも1954年6月28日と言う日付けが二種類の発売日と考えて良いものと推測されます。

 

 

 

 

 

 

 

 

1957年に設立された、沖縄煙草産業の製品をご紹介しておきます。全く同じデザインの両切りレギュラーサイズで、サイドに社名が印刷されています。

 

いつから販売されたのかははっきりしません。資料には1959年12月の記載がありますが、それはフィルターチップロングサイズの販売時期ではないかと思っています。

 

≪ターバン≫≪ツーライオン≫が1958年11月とありますので、同時期に≪ドミノ≫も販売を開始したものと思われます。1959年には、この二銘柄もフィルターチップロングサイズとなっています。

 

≪ドミノ≫がフィルターチップロングサイズになった時には、デザインも変更されてストライプ模様になります。

 

 

 

        沖縄煙草産業株式会社が自社製品として販売した初期の≪ドミノ≫

 

     販売期間は、1958年11月~1959年12月の1年間程度と思います。

 

                      ↑

サイド説明文の矢印部分に、アルファベットで沖縄煙草産業株式会社の社名が記載されています。

 

 

 

 

【琉球煙草株式会社】は戦前の専売局の局員が中心となって設立されました。【オリエンタル煙草株式会社】も琉球煙草株式会社に次ぐ規模の会社でした。復帰後はこの二社の従業員は専売公社に吸収されているようです。

 

一方【沖縄煙草産業株式会社】は、もともと輸入煙草業者です。復帰後は再び商社として独立の道を歩んだものと思われます。現在も存続する会社です。島内における煙草シェアーも平均すると12%程度で、三社の中では小さな会社でした。

 

 

以前、沖縄煙草産業株式会社の初期銘柄をご紹介しています。ご参照ください。

 

 

 

 

 

 

次回は≪ターバン≫をご紹介します。≪ドミノ≫と並んで、池宮商会が力を入れて推した商品です。

 

 

 

 

 

 

                  琉球民営煙草デザイン

 
ご紹介している資料の詳細は《琉球民営煙草デザイン》にてご確認いただけます。手前みそ乍ら、小生の纏めました資料です。宜しかったらご覧ください。
 
これらのパッケージは、多くの民営会社のパッケージとともに、いずれもデザイン集の作成の為にと貰ったものですが、ひとつの時代を物語る貴重な資料です。
 
 
   国立国会図書館のほか、東京都立図書館、沖縄県立図書館にてご覧になれます。
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