第二次世界大戦後、アメリカの統治下にあった琉球に設立された、四社の民営煙草会社の中から最も規模の大きな【琉球煙草株式会社】の製品と、新聞に掲載された広告をご紹介しています。
四社のうち一社は半年程度で撤退していますので、復帰まで製造販売が続いていたのは三社と言う事になります。
前回は【琉球煙草株式会社】1950年代の銘柄を見てみましたが、今回は1960年代以降をご紹介します。1955年から始まった煙草製造ですが、当初種類の多かった銘柄を1960年頃に整理しています。
それまでに発売された、両切り煙草、フィルター付き煙草など、数多く存在した銘柄が姿を消してしまいます。そのため、1960年以前の煙草のパッケージは、現存数が極めて少ない状況です。
売り上げの良かった銘柄は製造が続きます。少数精鋭で特定の銘柄を集中的に宣伝して販売量を上げる方式になりました。そして1960年には≪日本専売公社≫向けの輸出煙草【うるま】の製造が始まります。
島内では≪うるま≫は1961年から発売になりましたが、島内の販売はとても順調で、会社を代表する銘柄に成長します。記念煙草、標語付き煙草、広告付き煙草などほとんどに使用されています。
琉球人名年鑑
琉球人名年鑑に掲載された広告の切り抜きが2種類残っています
1961年度 琉球人名年鑑 掲載広告
単独銘柄の宣伝ではなく、会社自体の広告です。当時の代表銘柄が揃っています。
1966年度 琉球人名年鑑 掲載広告
≪ピンク≫と≪バイオレット≫の広告です。≪ピンク≫は1956年に販売が始まります。≪ピンク旋風≫と呼ばれる程に大ヒット商品となりました。そのため1960年の大整理を生き延びて製造が続けられました。
1959年に販売を開始した≪バイオレット≫は、当初免税煙草でしたので価格も低く、人気商品でした。琉球政府の方針で1960年まで、島産葉煙草を100%使用した製品には税金が免除されていました。
沖縄タイムス 1960年1月26日 掲載
印刷されている≪バイオレット≫の封緘紙には【免税煙草用証紙】が使われています。
ピンク
1956年6月に新発売されました。ごく初期には、手作業で行われていた【スタンダード型包装】です。≪ピンク旋風≫と呼ばれる程の大ヒットとなります。1957年には(U字ⅡL型包装機)が導入され、機械化されました。初めは淡い灰ピンク色でしたが、間もなく濃いピンク色に変更されています。
1956年6月に新発売され、1957年には(U字ⅡL型包装機)の導入で(U字Ⅱ型包装)に変更されます。スタンダード型包装での販売期間は、1年程度と言えるでしょう。
しかし≪ピンク≫は大人気で膨大な量が販売されました。そのため、どの民営会社でも数が少ない初期のパッケージの中では、比較的目にする機会の多いパッケージと言えそうです。
バイオレット
1959年10月10日、免税煙草として発売された最も初期のパッケージです。封緘紙は琉球政府の納税証紙ではなく自社で用意した免税証紙を貼付しています。免税は1960年8月20日までの措置です。
1959年10月に登場して、1960年には琉球政府の免税措置が終了します。こちらの免税証紙が貼付されたパッケージは、紙質も悪く褐色で艶がありません。ごく初期にだけ見られるパッケージです。コレクター泣かせの一枚と言えるでしょうか。
〚免税煙草〛は5銘柄が存在します。その5銘柄には〚免税証紙〛が貼付されていました。
《バイオレット》 琉球煙草株式会社
《ニューキング》 琉球煙草株式会社
《マーキュリー》 オリエンタル煙草株式会社
《ヨット》 沖縄煙草産業株式会社
《ビクトリー》 沖縄煙草産業株式会社
≪バイオレット≫だったか≪ハイトーン≫だったかのどちらかですが、学生時代に沖縄の友人が言っていました。「煙が紫色をしているんだヨ」と。話のネタは、復帰当時中学生だった頃に聞いた事で、多分都市伝説のひとつなのでしょう。
≪プロバー≫と≪うるま≫の掲載された広告です。≪プロバー≫は1959年に販売を開始しました。
1968年まで製造が続き、何度もデザイン変更されています。これは最も初期のデザインです。
≪うるま≫は1960年、【日本専売公社】向けの輸出煙草が始まりです。島内では翌1961年に新発売されています。会社を代表する銘柄で【琉球煙草株式会社】の代名詞とも言えそうな銘柄です
1964年 沖縄展覧会 目録 掲載広告
プロバー
1959年1月に新発売されています。ごく初期には(スタンダード型包装)で、手作業で包装作業が行われていました。同年7月、二台目のU字Ⅱ型包装機が増設されて、間もなく(U字Ⅱ型包装)に変更されます。
≪プロバー≫は人気商品でしたので、1960年の大整理を生き延びて1968年まで製造が続きました。その販売期間中に何度かデザインが変更されています。(第一期~第四期まで)
包装形態を見ると、1950年代に販売されていた(スタンダード型包装)だった多くの両切り煙草の銘柄が1959年以降(U字Ⅱ型包装)に変更されていますが、1960年の整理でいずれも姿を消してしまいます。
こちらのスタンダード型包装は、U字Ⅱ型包装機が増設される7月までの、だいたい半年程度の販売期間だったと思います。ごく初期の使用例です。
そして、こちらがデザイン変更された≪プロバー≫の新聞広告です。1964年8月18日に登場してます。9年以上の販売期間中、デザイン変更は4回程度行われています。
販売途中にハードボックス20本入りで用意されました。これは第三期のデザインで、この後第四期チャコールフィルターに変更されます。第二期のデザインには(瑞雲)が描かれています。
沖縄タイムス 1964年9月7日 掲載
こちらの新聞広告ではハードボックスですが、この後全く同じデザインで(U字Ⅱ型包装)でも販売されていました。
うるま
1961年に島内で販売された最初のパッケージです。復帰まで販売が続きます。デザインはほとんど変わりませんが、社名の表記などに色々な変化が見られます。デザインとしては、タツノオトシゴの尾の描き方が変わる程度です。
≪うるま≫は、沖展のパンフレットに掲載された大きな広告が残されています。
1962年3月30日 第14回沖展パンフレット 掲載
尾の形が古いデザインです。
那覇市全図に掲載された、有力企業紹介のページです。民営煙草会社三社が掲載されています。
尾の形が新しいデザインに変更されています。
右側に掲載された≪エース≫は、1966年10月に新発売されたフィルターチップロングサイズの銘柄です。サイドの社名表記に変化が見られますので、社名部分を並べます。
1966年には所在地が【壷川】銘で、1967年に【古波蔵】に変わります。また、【古波蔵】銘では書体のサイズにも変化が見られます。
【琉球煙草株式会社】を代表する銘柄≪うるま≫と≪バイオレット≫が掲載されています。販売店の写真もあり、銘柄の宣伝もあるのでしょうが、会社の宣伝目的が大きいようです。
1966年10月号 沖縄グラフ 掲載広告
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店舗写真に、≪【沖縄国際見本市】記念タバコ販売中≫とあります。この店は≪琉球煙草株式会社≫の代理店なので≪うるま≫だけが表示されていますが、≪オリエンタル煙草株式会社≫でも用意されていて、あわせて三種類の記念煙草があります。
琉球煙草株式会社 ≪うるま≫
オリエンタル煙草株式会社 ≪ロン≫ ≪ハイトーン≫
《うるま》だけは記念たばこを掲載しておきます。【オリエンタル煙草株式会社】の記念たばこについては、いずれ三社の記念たばこをまとめてご紹介すると思います。
会社を代表する銘柄≪うるま≫と≪バイオレット≫の広告です。この頃から復帰までは、この二銘柄で煙草販売量のシェアを見ると、だいたい40%程度を保っていました。そして残りの42%程度を維持していたのは【オリエンタル煙草株式会社】の≪ロン≫と≪ハイトーン≫の二種類の銘柄です。
沖縄タイムス 1968年11月19日 掲載
≪うるま≫と≪バイオレット≫は本土復帰後も【日本専売公社】によって販売が続きますので、以前銘柄別に琉球政府時代に用意された、歴代パッケージの画像を歴史とともにご紹介しています。