〚日本専売公社〛の〈フィルターたばこ〉を発売順にご紹介していますが、前回で《カレント》まで進みました。今回の銘柄は、昭和47年(1972年)5月15日に沖縄の本土復帰に伴って新発売された、沖縄限定の4銘柄です。

 

1972年5月15日に《バイオレット》《うるま》《ロン》《ハイトーン》の4銘柄が同時に発売されています。4銘柄とも【琉球政府】の時代に(民営煙草会社)が製造販売していた銘柄です。

 

 

それぞれの銘柄に琉球島内での歴史がありますので、〚日本専売公社〛のパッケージをご紹介する前に、先ずは琉球で誕生してからの販売状況を述べておきたいと思います。

 

《バイオレット》《うるま》《ロン》《ハイトーン》の順番でご紹介します。これは【琉球政府】の時代、設立時期の早い煙草会社を先に、そして各銘柄の発売日を考慮しています。

 

 

 

この記事は、7年ほど前に(ヤフーブログ)で掲載していましたが(ヤフーブログ)の消滅により、こちらに移していました。今回〚日本専売公社〛のパッケージと並べるために、本日の日付で改めてご紹介します。すでにご高覧いただいている方はご了承ください。

 

以前はパッケージの大きな変化のみを掲載していましたが、パッケージの変化をもう少し詳細に説明し、パッケージを新しくスキャンして差し替えました。文章も全面的に修正しています。

 

 

 

 

1972年5月15日の沖縄の本土復帰に伴い、これまで民営会社が行っていた煙草の製造販売は、〚日本専売公社〛に移りました。この時〚民営煙草会社〛の4銘柄が引き継がれて販売が続きます。復帰当時、この4銘柄だけで島内の75%に及ぶシェアーを独占していたためです。

 

【バイオレット】【うるま】【ロン】【ハイトーン】の4種類です。それではこの4銘柄が琉球政府の時代にいつから登場したのか、その辺りの歴史をパッケージの変遷でご紹介します。

 

 

たばこ会社は4社が設立されましたが、外資系の1社《琉球香港煙草株式会社》は外資系ゆえに契約面で問題が多く、税制面でも不利となり半年で消滅してしまいます。

 

また、1953年11月に認可を受けたもう一社《球陽煙草会社》と言う外資系も免許更新を求めていましたが、琉球政府の許可が下りなかったようです。まだ煙草事業は未着手のままでした。

 

 

琉球では〈琉球煙草株式会社〉〈オリエンタル煙草株式会社〉〈沖縄煙草産業株式会社〉と、三社の(民営煙草会社)が競合していました。

 

〈琉球煙草株式会社〉の《バイオレット》《うるま》の2種類と、〈オリエンタル煙草株式会社〉の《ロン》《ハイトーン》の2種類が〚日本専売公社〛に引き継がれています。

 

 

 

今回は《うるま》をご紹介します。《バイオレット》の1年後となる、1961年に新登場しました。

 
《うるま》はもともと〚日本専売公社〛への輸出煙草として用意された銘柄でした。島内で販売が
開始されたのは、本土に輸出されてから3か月後です。
 
 

〈琉球政府〉の時代、特に1950年代~1960年代初頭のパッケージは現存数が少なく調査が困難です。封緘紙 ≪納税証紙≫ との組み合わせなど、今後ますます解明が難しくなると思います。

 
 

 

 

 

              封緘紙は ≪納税証紙≫ でした

 

【琉球政府】では封緘紙を納税証紙としていました。たばこ消費税はたばこの価格によって決まっています。定価によって三段階に区分され、それぞれ封緘紙の色で区別されています。

 

琉球島内では民営三社が競合していたため、価格競争が激しく定価改定が繰り返されています。また【琉球政府】の主導のもと価格協定が結ばれる事もありました。その時には値上げされるわけです。

 

第一回の販売協定が 1960年8月~1965年まで結ばれています。1960年8月22日から、三社の銘柄が順次値上げされました。販売協定が終了すると再び価格競争が始まります。

 

販売協定は復帰までに三回結ばれました。締結と廃止が繰り返され、その時に封緘紙 ≪納税証紙≫ が変更される銘柄がいくつか存在しています。

 

 

《うるま》は 12¢ で発売されましたが、発売当初は紺色封緘紙だったようです。紺色封緘紙が適用する価格帯は定価が 10¢ 以下だったと思うので、そのあたりの事情が良く分かりません。

 

 

定価改定で税率が変わる事があり封緘紙⦅納税証紙⦆の色が変化していますが、変動が激しく全体像は把握できていません。同一銘柄による封緘紙の変化には、まだまだ調査が必要だと思います。

 

封緘紙は ≪納税証紙≫ なので、破損した一部でもパッケージと一緒に残っている事がとても大切だと考えています。封緘紙で使用時期や定価などが類推できるし、何より【納税証紙】だからです。

 

 

 

                 琉球政府 納税証紙

 

《うるま》は普通たばこでオレンジ色の封緘紙、また記念たばこで紺色の封緘紙を確認しています。

1961年3月1日の発売から 、1961年5月の記念たばこまでは封緘紙が紺色だと分かっています。

 

 1961年3月に新発売の《うるま》は定価が 12¢ でしたが紺色封緘紙だったと言う事です。数ヶ月後には封緘紙がオレンジ色になっていると思います。当初は封緘紙の適用価格帯に合っていません。

 

                

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                新発売” の新聞広告

 

          沖縄タイムス  1961年3月3日 掲載

 

この頃、広告を見ると(琉球)の【琉】を(リュウ)ではなく(リウ)と記載される事が良く見られています。《うるま》発売の時は⦅リウエン⦆の表記が多いようです。

 

1950年代の輸入たばこを取り扱っていた、琉球政府が設立した【琉球貿易株式会社】が存在しますが、そちらの広告にも【琉貿】を(リュウボウ)ではなく⦅リウボウ⦆と書いています。

 

                                    

                              リウエン” と書かれています

 

    スクラップブックに収納している当時の新聞切り抜きです。縮刷版ではありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

             把握しているパッケージの変化

 

 

① 本土向け輸出用  フィルターロングサイズ  英字表記    1960年11月24日

② 本土向け輸出用  両切りレギュラーサイズ  英字表記      1962年  1月22日~1963年4月

 

              島内販売用 フィルターロングサイズ

③ 琉球政府の封緘紙 紺色    本土輸出用  英字表記    1961年 3月1日~  

④ 琉球政府の封緘紙 紺色    社名のみ   煙 左払い不明   1961年 3月~

⑤ 琉球政府の封緘紙 オレンジ色 社名のみ   煙 左払い長い 1961年~1963年

⑥ 琉球政府の封緘紙 オレンジ色 社名のみ   煙 左払い短い 1961年~1963年

⑦ 所在地名【那覇市 壺川】 封緘紙オレンジ  煙 左払い短い 1963年~1967年

⑧ 所在地名【那覇市 古波蔵】封緘紙オレンジ  煙 左払い短い   1967年~復帰まで

⑨ 見本たばこ 4本入

 

 


③の発売当初には 1960年に本土に輸出されていた、両サイドの品名や社名が全て英字表記だった〈フィルターロングサイズ〉のパッケージが在庫として残っていて、ごく僅かに流用されました。

 

④は島内販売用で、サイドに漢字で社名だけが記載されたタイプです。品名も平仮名になりました。封緘紙は紺色で、【煙】の火偏 第三画左払いが長いのか短いのか不明です。記念たばこでは短くなっています。

 

⑦はそれまで社名だけの印刷でしたが、1963年2月~6月の間に所在地(那覇市 壺川)銘が入れられます。正確な変更日時は分かりません。

 

【那覇市 壷川】は本社の所在地で、【那覇市 古波蔵】は第二工場の所在地でした。そこに新工場が落成したのが 1967年4月で、その時点で所在地が【古波蔵】に変更されたと思われます。

 

 

定価変更のために税率が変わり、 ≪納税証紙≫ としての封緘紙に色違いが見られます。発売当初の封緘紙は紺色でした。③の紺色は、1961年5月発売の記念たばこで確認しています。

 

⑥~⑦は【煙】の第三画  左払いが短いタイプを確認していますが、長いタイプは確認できません。しかし、記念たばこでは多くが長いタイプです。

 

【煙】の火偏左払いの違いは並行して利用されていて、その都度変更されているようです。主に普通たばこでは左払いが短くて、記念たばこでは左払いが長い事例がほとんどを占めています。

 

 

 

 

 

 

 

 

                    うるま

 

サイドに印刷された社名表記や封緘紙の変更のほか、見本たばこを含めて現在9種類のパッケージに分類しています。こちらでは手元にある7種類を掲載します。

 
 
 
 
 
                 輸出煙草として発売
 
        〈琉球煙草株式会社〉  1960年11月24日 
 
                   フィルターチップ
〚日本専売公社〛に向けた輸出煙草として用意されました。1960年11月24日に、フィルター付き《うるま》が本土に輸出されました。コマーシャルベースでの輸出で、数量は500万個と僅かです。〚日本専売公社〛でも、テストマーケットとして販売地域を限定していたと聞いています。
 
輸出用と言う事で、サイドには英字で品名と社名が記載されました。琉球島内では1961年3月より全く同じデザインで〈フィルターチップ〉が販売されますが、サイドの品名や社名が全て漢字で書かれていますので、パッケージの違いは一目瞭然です。
 
パッケージの在庫が残っていたようで、琉球島内での発売当初はこちらのパッケージに【琉球政府】の紺色封緘紙を貼付して販売されています。
 
 
            フィルターチップ ロングサイズ
 
        輸出専用  〚日本専売公社〛向け輸出品   数量 500万個
 
                      
 
 
サイドの社名などは全て英字で書かれています。〈琉球煙草株式会社〉が〚日本専売公社〛に輸出した最初の銘柄で、コマーシャルベースで輸出されました。
 
同じ輸出品の《両切り  うるま》と比べて数量が格段に少なく、現存数も僅かです。琉球島内で販売される《フィルターチップ  うるま》の発売より、4ケ月前の事です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
             1962年1月22日~1963年4月
 
             両切り レギュラーサイズ
 
      輸出専用  〚日本専売公社〛向け輸出品    3回 数量 3,600万個
 
1962年から本格的に輸出が開始されます。〚日本専売公社〛の要望は〈両切りレギュラーサイズ〉でした。〈両切り レギュラーサイズ〉は輸出専用で、琉球島内用の〈フィルターたばこ〉とは別に用意されました。輸出は3回に分けて行われ、合計3,600万個が輸出されています。
 
 
                      
 
 
 

〚日本専売公社〛の要請は両切り煙草でした。(民営煙草会社)三社がそれぞれの銘柄を輸出しています。喫煙者の嗜好は〈フィルターたばこ〉の時代で、本土ではあまり人気が無かったようです。

 

         うるま =琉球煙草株式会社      36,000,000個

         ロン  =オリエンタル煙草株式会社    3,500,000個

         クィーン=沖縄たばこ産業株式会社     3,500,000個

 
 
 
 
 
            〚日本専売公社〛輸入用封緘紙
 
 
          公社銘 (JAPAN MONOPOLY CORPORATION)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
             島内で販売開始
 
 
          フィルターチップ ロングサイズ
 
              1961年3月1日~1963年
 
輸出が開始された3ヶ月後の、1961年3月1日から島内での販売が開始されています。1960年度の輸出用と同じく〈フィルターロングサイズ〉です。
 
発売当初は、本土向け輸出用〈フィルターロングサイズ〉のパッケージの在庫が流用されました。
サイドの社名、品名などが英字で印刷されたパッケージです。
 
その後デザインは全く同じですが、サイドの社名は漢字、品名はひらがなで表記されたパッケージが用意されています。所在地名はありません。
 
販売初期は、漢字で社名のみが記載されていました。そして封緘紙の色は初期には【紺色】でした。その数ヶ月後には【オレンジ色】に変更されているようです。
 

 

社名表記〈琉球煙草株式会社〉に使われた【煙】のフォントが2種類存在する事が知られています。

火偏の第三画 左払いが長く伸びたタイプと短いタイプです。

 

2種類のフォントは並行して使用されていたようですが、普通たばこでは長いタイプの方が使用頻度は少ないと言えそうです。しかし記念たばこはどれも長いタイプです。

 

 

 

         輸出用パッケージ流用 (封緘紙 紺色)

 

1960年に〚日本専売公社〛へ輸出された〈ロングサイズ〉のパッケージの残部が流用されました。

 

紺色の封緘紙は1958年10月に用意されていて、10セント以下の価格に適用していたと思います。1961年3月に新発売された12¢ の《うるま》で、なぜ紺色の封緘紙が利用されたのかそのあたりの事情が分かりません。

 

                       

                  (所持していません)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

           社名漢字表記 (封緘紙 紺色)

 

島内向けに用意されたパッケージです。輸出用はサイドの社名や品名が英字でしたが、漢字と平仮名に変更されています。封緘紙は紺色で、1961年5月発売の記念たばこも同じ紺色の封緘紙です。

 

こちらも紺色の封緘紙が使用されていますが、紺色の封緘紙は1958年10月に用意されていて10セント以下の価格に適用していたと思います。1961年3月に新発売された12¢ の《うるま》でなぜ紺色の封緘紙が利用されたのかそのあたりの事情が分かりません。

 

                       

                  (所持していません)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

       封緘紙 オレンジ色   火偏 第三画 左払いが長い               

 
封緘紙がオレンジ色に変更されています。発売日の分かる記念たばこなどでは、1962年7月に販売された(交通安全標語入り)から見られます。その後は全てオレンジ色が使用されました。
 
左払いが長い字体はほとんどの記念たばこで見らますが、普通たばこでは逆に少なくて見られません。現在、普通たばこで私が確認しているのはこちらの品名のみが印刷されたパッケージだけです。
 
                      

                        

 

                サイドの社名 拡大

 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
       封緘紙 オレンジ色   火偏 第三画 左払いが短い
 
【煙】の字に見られる、火偏の第三画 左払いが短いタイプです。普通たばこではこちらのタイプを良く見かけます。その一方で記念たばこでは少なくて、1961年5月に1度だけ使用されています。2種類のフォントは並行して使用されていたようです。
 
 
                      
 
 

                サイドの社名 拡大

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
             所在地名 表示(那覇市 壺川)
 
                1963年~1967年4月頃
 
1963年からサイドに社名と共に【那覇市 壺川】と所在地が印刷され、タツノオトシゴのデザインが変更されました。【那覇市 壺川】は本社があった所在地です。左サイドに(61)と印刷されています。左サイドの番号は、普通たばこでは(61)しか確認されていません。
 
記念たばこでは1963年7月から【壺川】銘が確認されていて、そこには(11)が印刷されました。(11)の印刷は1964年1月まで続きます。その後は 1967年まで(81)を確認しています。
 
 
島内で販売された製品は発売当初から喫煙者に好評で人気銘柄となり、その人気は復帰まで続きます。《バイオレット》には(那覇市 壷川)とあり、使用された【壷】のフォントが違います。
 
普通たばこでは火偏の第三画 左払いが短いタイプだけを確認しています。所在地が【壺川】の時代の記念たばこでは、全てのパッケージで左払いが長いタイプです。
 
               火偏 第三画 左払いが短い
 
                      
 
 
 
 
        (那覇市 壺川)銘は左払いが短いタイプだけが知られています
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
             所在地名 変更(那覇市 古波蔵)
 
               1967年4月頃~復帰まで
 
所在地名が工場があった【那覇市 古波蔵】に変更されました。(那覇市古波蔵)は第二工場の場所です。そこに1967年4月、新工場が落成しています。その頃【古波蔵】に変更されたと思います。
 
このパッケージが復帰まで続きます。普通たばこでは火偏の第三画 左払いが短いタイプだけを確認しています。 記念たばこでは、ほとんどのパッケージに左払いが長く伸びたタイプが見られます。
 
左サイドの番号は、普通たばこでは(501)しか確認されていませんが、【古波蔵】銘の記念たばこでは 1967年の【国際観光年】で(81)を確認しています。その後(501)となりました。
 
 
               火偏 第三画 左払いが短い
 
                      
 
 
 

 こちらのパッケージの在庫が、復帰後の2週間程度〚日本専売公社〛の封緘紙で販売されました
 
 

 

《うるま》は記念たばこや広告付きたばこなど、長年にわたって広く多用されていました。そのため社名表記にはいくつかのバラエティが見られますが、普通たばこではほとんど確認していません。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                4本入 見本たばこ
 
              新発売の時、見本煙草も用意されました。
 
                      
 
            【バイオレット】と同じ形態の4本入です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                記念たばこの主要銘柄
 
さて、《うるま》は人気銘柄でしたので、1961年以降の記念煙草や広告付き煙草の殆どに利用されています。参考に《うるま》が【記念煙草】に最も早く採用された使用例をご紹介します。
 
新発売から2ヶ月後です。封緘紙は初期に見られる紺色が使用されています。普通たばこでは間もなくオレンジ色に変更されます。因みに《うるま》が採用される以前は《ピンク》や《みどり》が多く使われていました。
 
記念たばこには【煙】第三画 火偏の左払いが長いタイプが多いのですが、こちらは記念たばこでは唯一みられる【煙】第三画 火偏の左払いが短いタイプです。
 
 
           1961年5月20日 那覇市制施行40周年記念
 
 
 
【那覇市制施行40周年記念】のたばこは〈琉球煙草株式会社〉の《うるま》のほかにも用意されていました。〈沖縄煙草産業株式会社〉の《ドミノ》にも見られます。
 
 
 
 
 
 
 
                  琉球民営煙草デザイン
 
ご紹介している資料の詳細は【琉球民営煙草デザイン】にてご確認いただけます。手前みそ乍ら、
小生の纏めました資料です。宜しかったらご覧ください。
 
これらのパッケージは、多くの民営会社のパッケージとともに、いずれもデザイン集の作成の為にと貰ったものですが、ひとつの時代を物語る貴重な資料です。
 
 
イメージ 8
 
     国立国会図書館のほか、東京都立図書館、沖縄県立図書館にてご覧になれます。
     僅かですが残部がございますのでご希望の方はコメント欄からご連絡ください。
 

住所等の掲載ははばかられますので詳細は当ブログの(プロフィール)欄から、ページの右肩部分に掲載されているメッセージ機能を利用してご連絡致したいと思っています。