福助株式会社では、年始に営業の方が各店舗を回る際、(お年賀)として干支や縁起物を題材とした記念福助人形を配っています。古くから様々な記念福助が用意されていますが、昭和43年から(お年玉)として定例となり、特約店に毎年配布されています。【昭和42年以前の福助は前回ご紹介しました。】
私の両親は戦後用品店を開き、昭和の終わりとともに閉店しました。福助商品は足袋、肌着、ワイシャツ、ストッキングなど幅広く扱っていました。その為古くから福助人形は貰っていました。
前回も書きましたが、古い時代の記念人形は祖母の和室に飾られ、昭和42年以降の記念福助は子供たちに配りました。昭和42年の記念福助は長女に渡していました。私が「欲しい!」とごねると、「次に貰ったら渡すから」と宥められてあきらめたことを鮮明に覚えています。
昭和43年からは(お年玉)と名前がついて定例となるのですが、福助株式会社では【年玉】と呼んでそれまでの記念福助と区別しています。いずれも顧客向けや市販品ではなく、特約店向けのサービスです。
昭和46年48年51年の三体は営業の方から貰えませんでした。懐かしい人形なので最近ネットで求めました。
両親の約束通り昭和43年の福助人形を私が貰いました。お年玉福助の初年度と言う事になります。
昭和43年 申年
三河万歳
両親に初めて貰った人形です。10歳の男の子に渡すのですから両親は玩具のつもりだったのかもしれません。すぐに汚すか壊してしまうだろうと考えていたと思います。しかし私は大切に自室にしまい込み、汚さないように保管していました。
昭和44年 酉年
小槌
両親はどうもこれは兄に渡すつもりだったようです。しかし全く興味を持たないと知ったためでしょうか、箱入りのまま倉庫にしまわれていました。昭和48年、父親の他界後に倉庫の整理をしていて、前回ご紹介した3体の正座福助とともに私が見つけ出し、そのまま自室にしまい込みました。
昭和45年 戌年
凧あげ
学校から帰った時、偶然福助さんの営業の方がいて母親にこの人形を渡していました。その場で母親に貰い、そのまま自室にしまい込みました。当時私の手元に、二体目の人形となりました。
昭和46年 亥年
獅子舞
この年は福助の営業の方に貰えなかったようです。正月を過ぎると、学校から帰った私は母親に「福助さん来た?」と何度も尋ねたことを覚えています。懐かしい人形ですのですので欲しく、最近ネットオークションで手に入れました。
昭和47年 子年
俵担ぎ
この年は、学校から帰った私に母親が「福助人形があるよ」と切り出しました。その場で貰い「今年は貰えたか…」と思いつつすぐに自室に直行しました。当時三体目となる人形です。
昭和48年 丑年
こま回し
この年も営業の方に貰えませんでした。夏休みに福助さんの営業の方に偶然会いましたので「今年の福助人形はない?」と尋ねると、我が家は前年に父親が他界して喪中でしたので「年始のご挨拶は失礼させていただきました」とのことでがっかりしました。
「集めているので来年はください」とお願いしたことを覚えています。これも最近ネットオークションで手に入れました。
この年の秋頃、昭和44年の小槌と三体の正座福助を倉庫から見つけ出し自室に入れました。、父親の他界後、倉庫をぼちぼちと整理しながら「福助人形がどこかにあるはず!」と探していたのです。姉の所持する豆まき福助も、「この際だから人形を全て纏めておこう」と考えて自室に入れました。
昭和49年 寅年
初午
約束通り、営業の型が届けてくれました。狐の面をかぶっていますが重いので首までずり落ちてしまいます。でんでん太鼓とバチも付属品で両手に差し込む形です。三点も付属品がついています。
前年の10月ころ、倉庫を調べていて昭和44年の(小槌)を見つけました。姉の持っていた、
昭和42年の(豆まき)もこっそりと自室にしまい込み(事後報告で了解を得ました)、当時これで六体が揃いました。
昭和50年 卯年
うさぎ
この年も営業の方は届けてくれました。この年から箱の中に説明文が入れられました。薄手の和紙で豪華な感じです。当時これで七体が揃いましたので、洋品店の頃の小さなガラスケースに並べることにしました。
箱に入れられていた説明書
薄手の和紙
昭和51年 辰年
御慶
この年から営業の方が変わり貰えませんでした。やはり夏休みに営業の方と会った時に「集めているのでほしい」とお願いしました。これも懐かしいので、最近ネットオークションで手に入れました。
説明文で知ったのですが(ぎょけい)と読みます。わたしは最近人形を手に入れるまで(およろこび)と思っていました。
箱に入れられていた説明書
薄手の和紙
昭和52年 巳年
まねき福助
この年からしばらくは毎年貰いました。私は大学生になっていましたが、飽きることなく夢中になっていました。これは帰省の時に母親からもらいました。
箱に入れられていた説明書
厚手の和紙
昭和53年 午年
春駒
馬の部分は付属品として別に作られていて、針金で差し込むようになっています。
箱に入れられていた説明書
薄手の和紙
昭和54年 未年
おいでやす
福助さんの営業の方は年始の挨拶で忘れずに届けてくれます。私の手元にある中では最も背が高くできています。当時の私の手元には十体が揃いました。このころ、福助専用のガラスケースを手作りしました。30体ほどは入るように大きめに作りましたので、全てを入れて今も私の部屋に据え付けて飾っています。
箱に入れられていた説明書
薄手の和紙
昭和55年 申年
靭猿(うつぼざる)
右手に持つ紙垂が付属品ですが、紙が劣化しやすく切れてしまっているものが多いようです。私は大切にしていますのでこれはきれいに残っています。
ところが…、この年の説明文は紛失してしまいました。説明文の靭猿という名前だけは憶えていました。靭という字を知らなかったので記憶に残っていたのです。
昭和56年 酉年
絵馬福助
絵馬の板が付属品です。この年も説明文を紛失しています。説明文に書かれていた名前は確か(絵馬福助)だったと思いますが定かではありません。
昭和57年 戌年
犬もち福助
これも説明文が見つかりません。紛失してしまいました。しかし、説明文に書かれていた人形の名前だけは忘れずに記憶に残っています。
昭和58年 亥年
亥のり福助
この年は正月に貰っていました。丁度このころ、福助株式会社ではキャンペーンが行われ、顧客向けに正座福助、又は獅子舞福助(昭和46年と同じポーズですが別物)がプレゼントされたようです。
春ころ営業の方に「見本は用意してない?」と尋ねたのですが無く、「年賀福助は今持っています」と言う事で再び貰いました。この年は二体揃いました。
箱に入れられていた説明書
洋紙
昭和59年 子年
書初め福助
この年が福助さんの営業の方に貰った最後の年となりました。このころには福助さんの商品はストッキングと肌着をわずかに仕入れる程度で少なくなっていました。店の閉店も見え始めた時代です。
筆と書台、半紙が付属品です。このうち半紙はだいぶ黄ばんでいます。コレクターの方も半紙までは残していない方が多いでしょう。
箱に入れられていた説明書
こうして、結局福助さんの営業の方に貰った福助人形は、すべて私の手元に収まりました。
店はまだ営業していましたので、「昭和の時代だけは揃えたいかな?」と思い、昭和60年、61年、62年あたりをネットオークションで手に入れました。しかし懐かしさも思い出もありませんので興味をひきません。いずれ画像を展示しようと思いますが、今回はここまでにします。
以前、洋品店の頃の福助足袋株式会社のグッズをご紹介しています。宜しかったらご参照ください。