私が子供の頃、先代は洋品店を開いていました。戦後開店して昭和の終わりとともに閉店しています。福助株式会社の製品は一通り揃っていて、洋品店でも足袋を取り扱っていました。また役所にもワイシャツを納入していました。福助商品は製品がしっかりしているので信用が高かったようです。
 
月に二回程度は営業の方が回っていましたが、大きな黒いバッグからは販促グッズやカラフルなパンフレットが出てきて、正月には福助人形が貰えて、私は楽しみにしていました。
 
店舗のディスプレイ用の福助人形は別に展示していますが、今回グッズなどをこちらでご紹介します
 
 
 
                   店内設置 姿見
 
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                    縦 114センチ 横 43センチ
 
結構大きな木製枠の古い姿見です。店内にかけられ客が利用していた鏡ですが、これは古いもので、私が小学生低学年の頃には、店には綺麗に装飾された金属枠の壁設置の姿見と大型移動式の2台があり、これはすでに引退、家内に移され母親が姿見として利用していました。
 
古い感じが好きで、私が高校生の時母親から貰い、自室に置いて利用していました。今も現役で、私の寝室に設置しています。
 
 
 
 
 
                 福助絵皿【正座福助】
 
福助足袋株式会社のイベントで用意され、販売店に配布された。家にあった時代から考えると昭和37年の創立80周年かもしれません。裏には社名しかありません。
 
家でも店内ディスプレイに飾っていたが、30センチと大きくてとても重量があり、高所には置いていませんでした。昭和40年ごろには店から家内に移されました。
 
多分当時の地震の影響でしょう。小学生低学年の頃です。大きな地震で、学校はすぐに放校になりました。その時絵皿は無事でしたが、家に帰るとガラスの陳列ケースがいくつか割れていました。
 
 
 
 
 
 
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      裏面の中央に【福助足袋株式会社】と、社名のみが書き込まれています。
      昭和39年には、社名が【福助株式会社】に変更されます。
 
 
 
 
 
        昭和37年、福助足袋株式会社の創立80周年に用意された販促絵葉書
 
                  絵葉書二枚入りのタトー
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                    タトーの裏面
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                   浮世絵風のはがき
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                     裏面
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                  商品の記載されたはがき
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                      裏面
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          福助足袋株式会社 記念時計【トップフリー工場落成記念】
 
まだパンティストッキングが登場する前、ストッキングは長さを合わせていました。それがストッキングの上部を特殊加工して長さを自在にした製品が人気となりました。その製品の新工場落成で用意された記念時計です。当時のストッキングのパッケージにも東郷青児のイラストが描かれていました
 
ストッキングの変化はめまぐるしかったように思います。カラフルなガーターが必需品でしたがガーター不要となり、シームレスの登場でシームがなくなりました。そしてトップフリーの登場で長さも自由になったわけです。
 
色は少なく、殆どベージュ系でした。肌色と言う訳です。しかし名前は洒落ていて、(スザンナ)(オフェリア)と言うベージュ系の2種類が主流でした。確か、色白の人は(スザンナ)、色黒の人は(オフェリア)だったように記憶していますがよく覚えていません。
 
 
裏面にトップフリー工場落成記念と書かれています。当時店内の時計は、商店に多い白い文字盤に黒い枠の丸い時計だけだったので、この時計は見るからに斬新でした。客は一目で時間が読み取れなかったようです。そのためまもなく店からはずされ家内に移されました。
 
 
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東郷青児作品で、今ではとても美しいデザインと思いますが、幼少時母親に「顔が幽霊みたいで怖い」と言ったところ、「それより首の右側にあるゼンマイの穴が目で、髪の形が横顔に見える」と言われ、まさにそのとおりでそれ以来頭から離れず強く記憶に残っています。今も横顔に見えます。
 
 
 
 
               ストッキング販促用マスコット人形
 
同じころだと思うのですが、プラスチック製の小さなマスコット人形が販促で用意されていました。ストッキングの購入者に配布していた人形です。
 
5センチ足らずの小さなプラスティック製のマスコット人形です。箱に入れられて数百個が店にはおいてあった記憶があります。トップフリー発売の時だったと思います。起用されていた東郷青児画伯のシルエットイメージでしょうか。
 
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種類はもっとあったと思うのですが、客に配布してしまい4種類6体しか残っていません。確か白い姿と黒い姿があったように思いますが定かではありません。
 
気にかかったので福助株式会社さんにお伺いしたのですが、残念ながら資料が残っていないとの事で、詳細は分かりませんでした。
 
 
 
 
 
            エルトップパンティストッキングのステッカー
 
時代は少し下って私が中学一年の頃、世の中でパンティストッキングが主流になった時代の事です。13歳の頃、クラスで車や紳士服などのステッカー蒐集がはやりました。店に何かないかと探していて、事務机の引き出しからこのステッカーを見つけだしています。3枚残っていました。
 
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                 20センチ角の結構大型です。
 
70年代、女性雑誌などで良くこのような絵が見られました。こんな雰囲気のイラストが流行していた時代です。サイケデリックと呼ばれたデザインが流行した数年あとのあたりです。
 
ストッキングの色も増え、健康的に日焼けした肌がもてはやされた頃、茶系が流行りました。(アーモンドブラウン)(チョコレートブラウン)などが記憶に残っています。グレー系が売れるようになるのはもう少し後だったと思います。
 
 
 
 
                    子供用ストレッチタイツ
 
                  店内ディスプレイ用キャラクター
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                    高さ 30センチ
 
高さが30センチの大型です。右手には本来長いラッパを持っていました。そこに福助ストレッチタイツとビニールの旗がつけられていたのです。残念ながらラッパは折れてしまい棒の下半分しかありません。
 
 
          
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                    高さ 14.2センチ
 
こちらは陶器製で、6個セットの箱入りで貰いました。本来商品の近くに並べて展示するのでしょうが、飾られることなく、箱入りのまま親から貰っています。
 
他にもタイツをはいた子供の等身大の塩ビで出来たマネキン人形がありました。残しておきたいとは思いましたが、自室でマネキンと同居する勇気がありませんでした。
 
店でいつも思っていたのですが、夜見るとマネキンは怖いのです。(私も子供の頃ですので…。)
 
小学生の頃6年生まで、真冬でもこのタイツに半ズボンを履いていた記憶があります。長ズボンは頼んでも買ってくれませんでした。親の心は、冬でも子供は半ズボンが当たり前の時代でした。
 
もう一つ理由がありそうで、それは今では理解できます。多分、体の小さかった私には長ズボンが似合わないと思っていたのでしょう。自分でも似合わなかっただろうと今は思います。中学生になって、学生服の黒の長ズボンを初めて履くようになったのです。
 
 
 
 
 
              子供用 冬物ディズニーパイルソックス
 
デッドストックです。値札も残してあり、価格は230円です。昭和38年ごろだと思いますが、当時としては高級品だったのではないでしょうか。
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私も幼稚園の頃から5年程度の期間は履いていました。5年の間に体は成長するのですが、サイズも在庫として沢山揃っていたので…。
 
毛糸ですが伸縮性が高く、厚くて履き心地はスポンジにくるまれているようでした。冬の寒い朝に目を覚ました後、このソックスをはくと暖かくてホッとしたものです。洗濯をしてもふかふかで、あまり品質が変わらなかったように思います。
 
しかし子供は汗かきです。真冬の寒い中外で遊んでいると、足だけは汗をかいて靴の中ですべります。
 
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カラーは、クリーム、サックス、ピンク、ラクダが揃っていたと思います。私はピンク以外の三色を交代で履いていました。子供心にラクダが嫌いだった事は、今でも覚えています。袋の中には101匹わんちゃんのワッペンがついていました。
 
 
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裏面は塗り絵になっていて、子供心をくすぐるパッケージでした。左下が塗り絵見本となっています