第二次世界大戦後、沖縄はアメリカの統治下にあり1972年5月の本土復帰まで煙草の製造販売は琉球政府のもと民営会社が行っていました。27年間に及ぶアメリカ統治下の時代、4社の民営煙草会社が設立されています。しかし《琉球政府》が認可した煙草会社は5社に及びます。
 

たばこ会社は4社が設立されましたが、外資系の1社《琉球香港煙草株式会社》は外資系ゆえに契約面で問題が多く、税制面でも不利となり半年で消滅してしまいます。

 

また、1953年11月に認可を受けたもう一社《球陽煙草会社》と言う外資系も免許更新を求めていましたが、琉球政府の許可が下りなかったようです。まだ煙草事業は未着手のままでした。

 

 

琉球では〈琉球煙草株式会社〉〈オリエンタル煙草株式会社〉〈沖縄煙草産業株式会社〉と、三社の(民営煙草会社)が競合していました。

 
 
 
 
民営各社が初期に発売した煙草は戦後の混乱期だった時代で、ごく一部のコレクターが保管していたパッケージの他は殆ど残っていません。民営各社も復帰とともに消滅していますのでまとまった資料もごく僅かです。コレクターの方が収集に最も苦労されるのもこの時代のパッケージでしょう。
 
ここで民営会社が設立された順番に沿って、各社の初期のパッケージをご紹介します。
 
 
                  琉球煙草株式会社
                 1951年11月設立
 
最も早く設立された煙草会社です。設立初期には刻み煙草を細々と製造していました。紙巻きたばこが販売されたのは1955年2月からです。
 
設立初期に製造された刻み煙草は5種類です。復帰まで長期間販売が継続されたのは《しらぎく》1種類で、他の4種類は現在パッケージが残っていませんので写真でしか確認できません。
 
 
                    しらぎく
 
          サイドの社名表示の活字の違いで3種類に分類できます。
 
 
 
                 1952年12月4日発売
 
                     封緘紙
 
           琉球たばこ株式会社が用意した刻みたばこ用封緘紙
                    【民ー2】
 
 
 
 
 
               社名表記=初期 〈社名 草書体〉
 
     初期に販売されていた製品です。サイドの社名表示が草書体で書かれています。
 
                  納税印  〔印―1〕
 
封緘紙と共に、《琉球政府》の納税ゴム印が押印されています。6種類の納税ゴム印が確認されていますが、こちらは最も早い時期に用意されたゴム印です。6種類では最も大きなサイズです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
               社名表記=中期 〈社名 楷書体〉
サイドの社名表示が間もなく楷書体に変更されます。封緘紙は当初【民ー2】でしたが、のちに琉球政府の用意した【政ー4】に変更されます。
 
                 納税印  〔印―2b〕
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                 日本専売公社向け輸出用
 
                1963年1月~1971年
 
           社名表記=後期 〈社名楷書体だがフォントが違う〉
 
                     封緘紙
 
          日本専売公社の用意した輸入刻みたばこ専用の証紙です。
 
 
 
本土向けの輸出煙草にも見られます。サイドの社名は同じ楷書体ですが字体は変化しています。以前ご紹介した《琉球煙草:本土向け輸出煙草》でご紹介していますのでご参照ください。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                  両切り煙草の発売
 
                    おとひめ
 
U字型の包装で登場しました。糊付け部分の白抜きのサイズの違いが2種類確認できます。
納税済みのゴム印は、こちらでご紹介している〔印―2a〕〔印―4〕の二種類以外にも〔印―3〕があり、なかなか複雑です。
 
この包装は上部が折り込まれています。封緘紙は使用しないで納税ゴム印が押印されていますが、この折り込まれた上から封緘紙を貼付した例も見られます。
 
そちらには納税ゴム印は押印されていません。白抜き幅の広い後期のパッケージです。包装形態が
新しくU字Ⅱ型に変更された過渡期の頃、在庫のパッケージに使用されたのではないかと思います。
 
 
                  1955年2月発売
 
           初期の印刷で、白抜き部分の幅が狭くなっています。
 
                  納税印  〔印―2a〕
同じ白抜き幅ですが左はゴム印が分かるように、右は細い白抜き幅が分かるように二枚を並べてみました。
 
 
 
 
 
 
        後期、白抜き幅が広くなっています。ゴム印も初期とは違います。
 
                                                           納税印  〔印―4〕

 
 
 
 
 
 
            1960年ごろ、U字Ⅱ型の包装に変更されます。
 
 
 
これはU字Ⅱ型の包装機を導入して、包装が機械化されたためです。封緘紙が琉球政府の納税証紙なので納税ゴム印は押印されていません。一部、証紙に納税印が押印されたものもあるようです。
 
 
 
 
 
 
                     うらしま
 
                 1955年12月15日発売
 
おとひめに続いて販売されましたが人気が無かったようで、わずか3か月で姿を消しています。喫味はおとひめより強かったようです。
 
         現存数は少なく、沖縄でもなかなか姿を見る事はありません。
 
 
 
 
 
 
 
                     ピンク
 
          大人気銘柄で、現在も見かける機会は多いでしょうか。
 
                 1956年6月21日発売
 
       初期には淡いピンク色でしたが間もなく濃いピンク色に変更されます。
 
 
 
           1960年ごろ、包装形態がU字Ⅱ型に変更されます。
 
 
 
 
 
 
 
                    ファースト
 
以前ご紹介した《琉球煙草:初期の記念煙草》に展示の、琉球初の記念煙草に使用された銘柄です。
=旭洋丸建造記念=の記念たばこです。前回のページをご参照ください。
 
                1957年1月17日発売
 
 
1960年ごろ、U字Ⅱ型包装機の導入により機械化され、包装形態はU字Ⅱ型に変更されます。
 
 
 
 
 
他にも(キング)(7スター)(ニューキング)などの両切り煙草が販売されます。詳しくは《琉球民営煙草デザイン》をご参照ください。
 
 
 
 
 
 
 
                フィルターチップロングサイズ
 
               フィルター付き煙草の第一銘柄です。
 
                 1958年9月12日発売
 
 
         沖縄では、本土より早くフィルターチップ煙草が普及します。
 
1960年ごろ、初期の煙草が大幅に整理され姿を消してしまいます。そのために現存数が少ないようです。その辺りをご紹介しました。
 
 
 
 
                  琉球民営煙草デザイン
 
ご紹介している資料の詳細は《琉球民営煙草デザイン》にてご確認いただけます。手前みそ乍ら、
小生の纏めました資料です。宜しかったらご覧ください。
 
これらのパッケージは、多くの民営会社のパッケージとともに、いずれもデザイン集の作成の為にと貰ったものですが、ひとつの時代を物語る貴重な資料です。
 
イメージ 10
 
     国立国会図書館のほか、東京都立図書館、沖縄県立図書館にてご覧になれます。
        僅かですが残部がございますのでご希望の方はご連絡ください。
 
 

当ブログの【琉球民営煙草デザイン:琉球政府時代のたばこパッケージ】にて内容のご紹介と共に、

連絡先を記載しております。クリックしてご参照ください。

 

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