ダウンダウンダウン

海外ひとり渡航初めての私 🔰 が、行きの飛行機で体験したことをお話ししました。

これから書くことは、帰国直後に起きた体験です。


私の初海外ひとり渡航は、行きはパニックガーン、帰った後は、入院 🏥 という事態で終わりました。


帰国後、何が起こったか書きますね。


帰国後緊急入院

初海外渡航を終えて、帰国するなり、思いがけないことが起こりました。すぐに、地元のクリニックに行きました。

それまでまったく経験したことのない青あざ(紫斑)が、両足ふくらはぎ全体にできていたのです。
痛くもかゆくもなかったので、服を脱ぐまでわかりませんでした。

クリニックから、直ちに大学病院への入院となりました。

職場は休職、数ヶ月の検査入院となりました。

紫斑が、どのようにシェ-グレン症候群という診断に結びついたのかはわかりません。クスリの内服もなかったと思います。


入院中の落ち込み

まったく病気という自覚がなく、 何も変わりありませんでした。ただ、精神的にはどん底でした。


突然、起こったことなので、この先どうなるのかという不安でいっぱいになりました。


仕事は続けられるのか、結婚はできるのか、子どもは産めるのか、取り止めもないことでアタマがいっぱいでした。


確か、一度悩んだ末、電話悩み相談に電話をかけたことが、記憶に残っています。


当時、職場近くにひとり暮らしをしていて、家族と離れていたので、帰国後の入院は家族に黙っていました。


同室に、強皮症で入院していたおばさんがいたことを覚えています。症状は、かなりひどい状態でした。


病室という空間

病室という空間にいて、外に出る自由さえも奪われている環境にいると、考えることは、自分の病気のことしかなくなるのです。 


同室に、重い病気の人がいたりすると、看護師さんと患者さんとのやりとりで、ネガティブな情報が入ってきたりもします。


病室の窓から見える外の景色は、 輝いて見えます。「一歩でもいいから外に出て自由になりたい !」という切ない思いでいっぱいになるのです。


紫斑が知らせてくれた

検査が終わって診断が出る頃には、紫斑は自然に色がうすくなり、消えて行きまし た。それ以来、一度も紫斑は出ることがありません。


紫斑が現れたからこそ、シェ-グレン症候群という病気だと、診断がついたのだと思います。


そうでなければ、目が乾くことしか自覚できず、コンタクトレンズのせいだとしか思いが及ばないわけですから。


紫斑がカラダの異変を知らせてくれたのです。


たった一度きり。それ以降、海外渡航を繰り返してきましたが、紫斑が出ることはありません。


突然、何年も経ってから起こった内臓の免疫疾患についても、シェ-グレン症候群という診断がなかったら、診断にはもっと時間がかかったかもしれません。



私の初海外ひとり渡航は、行きはパニックガーン、帰った後は、入院 🏥 という事態で終わりました。


たぶん、一生忘れません。



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