Do think after feel! -8ページ目

Do think after feel!

感じるのも大事だけど無駄なこと考えるのは楽しい



2015年末に悲報が舞い込んだ。
モーターヘッドのレミー・キルミスター氏死去。享年70歳。

レミー・キルミスター(本名イアン・フレイザー・キルミスターってホントの本名なんだろうか?) イギリス(イングランド)出身で1945年12月24日のクリスマスイブ生まれ。1975年から活動を始めたロックバンド、モーターヘッドのベース&ヴォーカルで創設者でありリーダー。決して他のメンバーを軽視するわけではないが、レミー=モーターヘッドってことでいいでしょ。

低音域をカットしておもいっきり歪ませたリッケンバッカーのベースをピック弾きでバリバリ5度コードをかき鳴らしつつ、高い位置にセットされたマイクスタンドに上向きで噛みつくようにダミ声でがなるように歌う姿がトレードマーク。

へヴィメタル、スラッシュ/デスメタルやブラックメタルをはじめ、パンク/ハードコアはもちろん、今ではラウドミュージックなんて言われ方している全てのうるさい音楽をやるミュージシャンに必ずといっていいほど直接的/間接的な影響を与え続けてきたモーターヘッド。うるさくて格好いいロックのエッセンスを生絞り無添加で提供し続けてくれていたまさしくオリジネイター。Sex,Drug and Rock'n'Roll(超訳:酒とタバコと男と女とロックンロール)を体現していて正直道徳的でもなんでもないし、時代錯誤のマッチョイズム的なイメージを持ったバンドだろうけど、男なら誰しも心の奥底にこんな生き方に対する憧れ的なものを少しは持ってるんじゃないかっていうツボを北斗の拳のケンシロウ並に的確に突いてくれた。男の格好良さをパロディ的に誇張した存在とでもいいますか。

へヴィメタル(以下HM)好きな自分が言うのもなんだけど、HMではないっていうのがまた格好良い理由だった。レミー本人自身の口からも何度も出てきていて自伝でも書かれてるその発言の真意は、「そんな狭いジャンル分けしたところに閉じ込めるんじゃねぇよ!」っていうメッセージだったろうし、HMという音楽が世の中に定着する前からうるさくて格好いいロックを一筋に追求してきたレミーの自負なんじゃないかと思う。

ライブの始まりに「We are Motorhead. We play Rock 'n' Roll!」ってダミ声で叫んで始まるのがとてつもなく格好良かった。俺たちゃただのロックンロールバンドだぜっていう宣言があのダミ声と相まって格好良い響きに聞こえた。

2015年のフジロックへの出演を知った時、正直見に行くかどうかかなり迷った。当時69歳で若いときから起きている時は常に酒が入ってる状態だったというレミーがいつまで生きられるかと考えると「これが生で見られる最後の機会かもしれない」という思いにも襲われたのだが、結局最近のライブ映像を見てプレイの衰えを感じたり、フジロックに対する個人的な偏見(おしゃれ気取りのサブカル好きの人たちのためのフェス)に阻まれて見に行かなかった。正直後悔の嵐だ。最後までレミーの生きざまを見とれなかったことに対して。

1991年の来日時には東京、大阪、名古屋(追加の川崎クラブチッタ公演まで)すべてのライブを見に行ったこともあった。また1992年に既発曲の別バージョン等のレア音源も結構入ったシングルコレクションを買ったら中古で買いあさったLPなんかですべて持ってる音源だったのに少し落胆しつつも、CD音源で所有できるからいいかと自分を納得させたりなんてこともあった。昔はあれほど熱をあげていたはずなのに。

正直に言うと1995年のワーゼル(G)脱退でトリオに戻ってからのアルバムはピンときていなかった。その少し前のBastardsアルバム(1993年)も好きではあったが、なんか中途半端にHM的になっているような気がして違和感があった。更にその次の4人編成で最後にリリースされたSacrificeアルバム(1995年)の二曲目 Sex And Death に至っては、昔のようなロックンロールの感触を必死で取り戻そうとして自己パロディになっているような印象さえ抱いてしまった。なんか昔好きだったきれいな女優が年取っていくのを厚化粧でごまかしているのを見て少しの寂しさを感じるような(失礼!)気がしていて、大声でモーターヘッドが好きだということが出来なくなっていた。

それでも2007年のライブアルバム Better Motorhead than Dead: Live at Hammersmith において相変わらず「We are Motorhead. We play Rock 'n' Roll!」の叫びからDr. Rockで始まるライブを聴いて、やっぱり格好いいなぁなんて再度感じたりはしていたが、言い方は悪いが自分の中ではもう懐メロバンドにカテゴライズしていたんだろう。

(余談だが1999年のライブアルバム Everything Louder than Everyone Else の#4 Over Your Shoulderの前のMCで「Hamburg!」とライブ会場のドイツ ハンブルグの観客を煽るのが今ではハンバーグ師匠の叫びに聴こえてしまう)

そんな思いを薄々抱いていたとはいえ、昨年末に悲報を聴いた時には無性に寂しさを感じて最近焼酎ばかり呑んでいたのに久々にジャックダニエルとコーラを買ってレミーの好きだったジャック&コークを呑みながら、追体験でモーターヘッドを大好きになったきっかけでもある1981年の名盤ライブアルバム No Sleep 'til Hammersmith を聴き返してみた。錯覚かもしれないけどロックの衝動がすべてそこに詰まっていると感じた。

当然もっと激しい音楽は昨今たくさんある。でもそこには衝動の表現を超えて行き過ぎてしまっていて、激しさの表現をはき違えてるんじゃないかと思うものもたくさんある。音楽に限らずエキセントリックな表現はそれのみを目的としてしまうと表現を踏み越えて単なる珍奇なものに堕してしまうんじゃないか?残酷なホラー映画を突き詰めていくと殺人ドキュメンタリーフィルムにならざるを得ないのと同様に。

ただうるさいものなら工事現場のノイズでもジェット機の音でも聞いていればいい。それが人の手で再構築されたものとして少なくとも表現の範囲に留まっていられる境界線が自分の中ではモーターヘッドだった。世間的にモーターヘッドよりも激しいと言われる音楽の中でも好きなものはたくさんあるが、それよりももっと原初的で衝動と音楽の境目にあると思えるものはこれから先もずっと死ぬまで70~80年代のモーターヘッドなんだろう。自分に取ってということだけでなく多くのロックファンに取ってもそうであり続けて欲しいし、そうあるべきだ。モーターヘッドはそんな幻想を抱かせてくれる存在だ。今はここには存在していなくても。

(その2に続く)