Do think after feel! -7ページ目

Do think after feel!

感じるのも大事だけど無駄なこと考えるのは楽しい



(その1からの続き)

ロックとノイズの境界線はモーターヘッドとするというのがその1の結論のつもりだったのだが、そんなものは新しいものが受け入れられないだけの単なるおっさんの懐古趣味なのかなぁと自分でも少しは懐疑的に考えないこともない。

とりあえず自分ががなんでこんなにモーターヘッドにはまったのか少し記憶をたどってみると、1970年代生まれの私がロックを聴き始めた1980年代後半頃、モーターヘッドは少々全盛期を過ぎた存在でリアルタイムよりは少し上の世代のバンドではあった。しかしHR/HM(ハードロック/へヴィメタル)好きならルーツを知っとくべきという風潮があったこともあって、当初は半分勉強のためと思って聴き始めた。

最初に聴いたのは1987年リリースのその名もずばりRock 'n' Rollというアルバム。そこそこ格好いいロックンロールアルバムだとは思いつつも、もっとクランチの効いたギターに音数の多いドラムで激しい音を出している新しいHMバンドに夢中だったこともあり正直多くのまぁまぁ好きなバンドのひとつという位置付けにとどまっていた。代表作のひとつでもある名盤Overkill(1979年)を最初に聴いた時も「古臭いロックだなぁ」と失礼ながらにも思っていた。

しかし、当時売れていた(今でも存在はでかいけど)メタリカ等のバンドがこぞってモーターヘッドからの影響を口にしていたのを見聞きしたり、名盤とされるそれぞれのアルバムがリリースされた時の時代背景や状況を理解するにつれてだんだんその存在意義を理解でき、それとともに気持ちも変化してきた。

その気持ちを決定付けられたのが1981年リリースの不朽の名作ライブアルバム、No Sleep 'til Hammersmith(邦題:極悪ライブ って格好良すぎる)を聴いた時だった。アルバム発表から10年弱を経ていた当時、同時期にリリースされた他のバンドのライブアルバムでは感じることのなかった生々しい勢いと時代を経ても色あせない爆音にエキサイトメントを感じた。ロック雑誌等で、このアルバムが爆音ロックの名盤で時代を代表するライブアルバムとして取り上げられていたことは情報として知っていたが、実際に聴くことによってその情報と感覚が完全に結びいた。

その情報によって増幅されたという感動の理由は後からはっきりと自覚したもので、当時はぼんやりと思っていたに過ぎなかったろう。ただその種明かしを知った後でも感動は色あせないし、それから20数年経った今でもうるさくて格好いいロックを語る上でこのアルバムだけは絶対に外せないということは主観的にも客観的にも事実だと言い切れる自信がある。

幸いにも10代の頃に(今から考えると)最後の輝きを放っていた1990年頃のモーターヘッド(失礼!)に触れたことによって、古いものを価値のないものと断じることなくモーターヘッドの歴史的意義を含めた格好良さを発見することができた。若かったゆえにそこから歴史偏重主義に陥ることもなかったし、(当時における)現代的な感覚を保って当時を生きていたバンドにも価値を認めて楽しむことができた。ただモーターヘッドは歴史的意義のみで好きになったわけではない。歴史であると同時に同時代性も感じた。歴史と現在、または直感と理性のバランスの狭間にいたのが当時まだ色あせずに存在していたモーターヘッドだった。当時のモダンだったバンドの多くが時を経て古臭く感じてしまうようになった2016年現在においても、モーターヘッドの格好良さは色あせない。当時感じた同時代性は錯覚で実は普遍性を持っていたのだ。レミーは当時そんなことまるで考えずにプレイしていただろう。そう思わせる佇まいだからこそ格好良さが増幅して見える。思考段階が透けて見え過ぎる音楽からはロックの格好良さはなくなる。

知ることや考えることによって感性は変化するしその分楽しみも増える。なにかしらの趣味を持った人ならわかってくれると思うが、趣味についての雑誌を読んだり同じ趣味を持った人と語り合うことによって楽しみ方の幅は広くなる。知ることもまた楽しみのひとつだし、その知ったことによって感性が変化して楽しみ方の幅も広がる。知ることによって好きになるものがあるし、好きなものの度合いも変化するものだ。

(余談だが狭い趣味の世界について外部からみたら不毛な論議を繰り広げる楽しみをエンターテインメント化したのがアメトークの○○芸人だね)

「音楽そのものが大切で周りの状況によって好きになるなんてくだらない!」とか「俺はそんな周りの意見に流されずに自分の感性だけで判断するぜ!」とか幸せな思考停止をしている人でも必ず無自覚に状況判断により好き嫌いを判別してるものだ。先駆者に対する崇拝が世間で起こるということが自覚的にしろ無自覚にせよ状況を判断することによって感性の変化が起こっていることの証左だと思う。

ただ、表現者が自分の受けた影響等に対してあまりに自覚的に"なり過ぎる"と面白味がなくなるもの事実で、そういう表現はえてして頭でっかちで自己満足的なものや、注目を集めたいだけの珍奇なものになるという結果に陥りやすい。また逆に何も考えずにまるで無自覚に垂れ流された表現は単なる先人の焼き直しで無難な表現にとどまってしまう。その上、表現の価値判断に他からの影響や同時期の他アーティストと比べないということは、表現の価値自体を売り上げのみに頼ることになるので新しい表現は生まれづらくつまらない世界になるだろう。

モーターヘッドは1975年に活動を開始している。その頃はロックの歴史がまだ浅く新しい表現を無自覚に生み出す余地があった。それが一応の完成を迎えたのが1980年にリリースされた上記の"極悪ライブ"で、その後の機材の進化によって10年ほどは新鮮な響きを保った音を出すことができていた。しかし1990年頃までにはモーターヘッドの影響を受けたバンドにより激烈音楽の表現が定型化していくにつれ、オリジナルを生み出した本人達が逆に影響を受けざるをえなくなってたのかなぁと邪推してしまう。

あとこれは称賛する話でもないが、レミーの自伝(White Line Fever)にもがっつり書いてあるとおり1980年代中盤ぐらいまではレミーがドラッグで頭のネジが飛んでたという事実があるからこそ、考えすぎることなく無自覚に新しい表現が生み出せたんだろう。理性は人間生活をおくる上で当然必要なものだが、理性のみが最も尊いものという考えが行過ぎると直感の表現は面白くなくなるだろうなぁとは想像の上でだが理解はできる。

大体自伝のタイトルのWhite Line Feverってのは自分たちの曲のタイトルであると同時にスラングでコカイン中毒って意味だ。これは笑ってもよいものかと迷ってしまう。

ドラッグが往々にして人間をダメにしてしまうってのは百も承知ですが、酒だってはた迷惑なものであることも事実。乱暴にいえばその線引きが現代日本では酒はOK、その他のドラッグはNGという判断。現代の日本ではルール上は酒は20才以上では何リットルまでという規制もなく飲んでよいと(個々の倫理観任せに)一応なっているし、モルヒネは医療用に使われる場合はOKだ。戦前の日本や、現在でもオランダ等の国では大麻(マリファナ)は禁止されてない。ルールや禁制品の制御の方法は時代や地域によって違うので人間倫理の普遍的な悪としてドラッグをひとまとめにしてすべて絶対悪と言い切るのは(思考の上では)性急だと思う。

極端なことをいえば人を殺すという行為も戦時下における対戦闘員ということに限っては悪と断ずることはできないし、戦争自体も絶対悪として忌避して思考停止するものではなく、自衛の為にはやむを得ないので考慮に入れておく必要はあるという考え方と同様といえば少しは理解してもらえるでしょうか。戦争は様々な手段によって避けるべきものであることは重々承知ですし、平和で秩序が保たれた国において殺人が悪として糾弾されることも当然ですから。

とりあえず何事も100%の悪や100%の善を決めて勧善懲悪の図式にあてはめて思い込みが激しくなると、その時点での権力によって決定したことを絶対の善として盲信してしまうし、それは危険な思考停止の予兆であると思う。性急なわかりやすい結論による決断主義に偏ると飲酒による危険運転の死亡事故をゼロにするには飲酒を法律で禁止して死刑にしろ!なんてことになってしまう。

ただこれはルール決定の過程としてこう思っているというだけで、ちゃんと自身の倫理感において現在のルールを破ることが忌避される悪であることは当然理解はしているので誤解なきよう。ルールというものは守られてしかるべきものだが、歴史を学ばずにルールの適用範囲をなんの考慮もせずに決められたことを二択判断して現在も過去もそれを無謬の絶対なものとして盲信していては、独裁国家に暮らす人が独裁者の批判をして殺されることをルールを破ったので悪だと断じてしまうような人のことを笑えない。

自分の住む世界のルールを守ることは善と判断して差し支えないが、そのルールがいつどこにおいても100%の善と信じていては自身の価値観を他の地域性や歴史の積み重ねも考慮せずに押し付けるアメリカや、自分達の倫理観においてテロを起こして関係のない人々を殺害するイスラム国と同じだ。

なんか話が盛大にそれてますが、完全に無菌状態でクリーンな世界が実現したらアウトローの表現は消滅するんじゃないか?ってことが言いたかっただけで、それが善か悪かは皆がひとりひとり考えるべきことなんじゃないかと。

なんだかまだわかりやすい結論にたどり着けそうにないので続きます

(その3に続く)