昔、我が家に
偉い?人が書いたらしい床の間に飾るような書道の字があった

非理法権天 と書かれていて

意味は
非は理に勝てない
理は法に勝てない
法は権に勝てない
権は天に勝てない

という意味らしく
父が教えてくれた

理由がありルールが成立していたとしても

人は都合のいい生き物だから

自分のいいように考える

それらは
今の世の中でつみあがり

また
守られ、壊され、作られて・・・

でも
人は最後には天に帰ってしまうから

結局は天から自分を省みないとだめなんかなぁ


自分を眺める
よく考える事

それはとても難しくて

思考のパターンが決まると、なかなか次のことを考えにくい




とても自分がしんどいと感じるのは

考え方の歪みだろう


積み上がった事を片付けられず

片付けていたものがひっくり返り、またやり直しにされて


何時まで

本当に何時まで続けないといけないのかと思う反面

新しい
気持ちを入れ換えるチャンスと思えばいいんだけど


なかなか

凝った気持ちは
受け入れてくれない


はぁ
前に向きたい


そんな思考の余裕がほしい

本当に非は
天からみえるのであれば

どうか
私の中の非を
どうすれば消化できるのかを知りたい
最近世の中で

ルールとは何かと

思うことが多くなった。


それぞれの立場による価値観が
ルールとして存在するんだろうなぁと思い

やっぱり
ルールは破られるときに

ちいさな嘘が
大きくなったときに

破られたことを感じるのだと

思いました


一番簡単な例で

駐車違反!

罰金二万円と
駐車代二千円程度

さぁどっち?
って感じ


捕まんないといいのかなぁ?

免許って、何で免許?


私には謎です

他の人にはきっと私が謎です
自分のなまえを連呼して

通りすぎる車

自分にしか、成し得ないと信じて、まっすぐに

明日を作るために


・・・

でも、今を出きること
置き去りにして

明日をつくろうとしていませんか

約束して
守ってできたことありますか?

できなかったこと
人のせいにしていない?


寝てるところを
起こされて考える

不機嫌なわたしの気持ち



一生懸命は
本当に大切

でも・・・

なにもかもが一生懸命では気持ちもせまくなることを最近感じます


否定でもなく
肯定でもなく


自分の目が近くなりすぎないように

遠くから
眺める事ができれば

きっと
今みたいに
うるさい!を感じなくていいのでしょうと思います