命がなくなることを心配して
自分が自分でなくなるほど変になるより


今、できることをして
精一杯できたと思える


そんな生き方がいいと
私は思っています


私のまわりでは
以外に多い心配性な人たち

だれにも迷惑かけないでいきるなんて
絶対に無理だし
できないし


ただ、自分のできることは自分ですれば、できれば

周りの人も、他の事ができる

できなければ周りの人にお願いして、してもらってありがとうと言えれば

物事がまわる
留まることなく

そして繋がる
上昇する


自分のしたことが
間違っていて
取り返しがつかないとき


自分が許せるまで
ごめんなさいでも
いいと思う



だから
したを向かずに
上を見上げて


流した涙を大地に返して
潤した水を
そらに還そう


空にたまった水は
また大地を潤すから

とどまることのない
循環の中で
私たちは恵まれて過ごしている

ひとりじゃなく

色々な命と一緒に


幸せは
必ず来る

前をしっかり見つめて
逃さないように


だから
すべてはむだでない
あなたが見えている
すべての事が

他の人に見えるとは限らず

また
私の抱える心が見えるわけでないから



疲れても
言えるところはなく
また
悲しくても前を向くしかない


ただ
悲しみにのまれるより

今できることを
ひとつひとつ丁寧に
できたと感じたい


できたことはすばらしいと自分を誉めたい


今はもう
偉いと誉めてくれるのは

自分以外にはいないから


あなたはよくやっていると

誉めてくれる人もいたけれど

本当に誉めてほしい人は

もういない人ばかりだから

今度は自分が誉める人になろう

自分を誉めれれば
人も誉めれるようになるだろうと思う


小さなことばかり一杯でも

いつかきっと
いつかもうすぐ




かなうかも知れない全て
命は
必ずなくなります

生きているということは

一生懸命

あるかぎりの力を
なくなるときがわからないまま
使うということなのではないかと

最近思います


お金とか時間とかは
共通単位があり、目に見えるけど

それですら、ひとによって重みが変わってしまう

命や気持ちは目に見えなくて

しかも
足されているのか
引かれているのか

わからなくて

困ってしまうこともあるけれど

基本は
自分ができる
これでいいのだ

と思えてはじめて

次ができると感じます



人により

生きることを考える人と

その反対を考える人にわかれると感じます


ただ
どちらの場合でも

自分が生きてきた事が
満足であれば

きっと

どちらも受け入れることができるのではないかと

そう思った日です



痛みに変わるほどの我慢をしてまで

頑張る必要はなかったのかも知れない


痛みになるまえは

きっとこれさえ乗り越えれば、楽になると信じていた


すべて
なくなるとは思わないまま


何回も
何回も


すべてには終わりがあり

始まりがあると言うけど


意識した終わりでなければ

次がない