心地よい気候になってきました。
家の窓を開け放ち、まだ少しひんやりした朝の風を肌に感じると
気持ちがすうっと澄み切っていくように感じられて良いものです。
さて、タイトルは月並みなものになってしまいましたが
平常心、常に心を平らかにするということは、とても難しいことです。
私は日頃車とバイクを運転するのですが、なかなか心穏やかに運転することは困難です。
綺麗な女性が歩いているのを見かけるとつい目で追ってしまいます。
脇見運転、危険ですね。頑張って自重します。
それよりも、もっと私の心を乱してくるものがあります。
それは、マナーの悪い他車です。
交通量の多い道路を運転していると高い確率で遭遇します。
方向指示器を点けずに車線変更をしたり、交差点右左折をする寸前に指示器を点けたり、
他車を煽ったり、無理な追い越しや左からのすり抜けをしてきたり、
それはもう枚挙にいとまがありません。
イライラしながら運転しているとき、ふと、あることに気づきました。
ルールを守らなかったりマナーの悪い車を「無意識に探している自分」がいる、と。
あいつ下手くそやなぁ
あいつもう赤信号やのに突っ込んだで
おいおい直前でウインカー出すなよ
パカパカ無意味にブレーキ踏むなよ
歩行者おるんやから待ったれよ
点滅の赤信号は一旦停止ちゃうんか?そんなんも知らんと運転すんなよ
そう、マナーを守らない、ルールを守らない、というのは方便で
本当は「私が気に入らない運転をしている」時に腹が立っていたのです。
「自分が警察やったら、サイレンならして止めたんのに!」と思うこともありました。
しかし確たる自信を持って「あなたは間違ったことをした」とサイレンをならせるでしょうか。
見間違いだったらどうしよう、反論されたらどうしよう、と躊躇するかもしれません。
そう考えると違反者を取り締まる警察の方々には本当に頭が上がりません。
それはさておき、自らの正義感がもしかすると単なる八つ当たりに近いものかも
しれないという反省から、ものの見方を反対にしてみました。
「私にとって気持ちが良い運転をしている」人に感謝する、というものです。
「ありがとう(有難う)」の反対は「当たり前」と、よく耳にしますが
今まで「当たり前」と思っていた「ルールを守る」「マナーをよくする」ということが
実はとても有難いことだというように理解し、
それを実践してくれている聖人君子に対して敬意を抱く。
ルール違反やマナーの悪い人もいるのは事実ですが、
私はそれを裁いたり正す立場には残念ながらありませんので
「ああいうことはしないようにする」と肝に銘じ、師とするしかありません。
それこそが平常心を保つことの極意なのかもしれません。
ミニマリストというテーマはどこいった?
平常心というのは非常に穏やかで、一定で、静まった心だと思います。
その状態を保つ、というのは部屋に無駄なものを置かない、
必要最低限のものだけにする、というミニマリストと似ているな、と思った次第です。
すごく後付け感がありますが、どうか穏やかな気持ちで見てやってください。