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天覧山

埼玉県南部、飯能(はんのう)市の市街地北西にある標高195メートルの山。古くは山麓(さんろく)にある能仁(のうにん)寺に祀(まつ)ってある愛宕権現(あたごごんげん)から愛宕山といわれたが、元禄(げんろく)年間(1688~1704)頂上近くに十六羅漢を安置して以来、羅漢山とよばれていた。天覧山の地名は、1883年(明治16)明治天皇が陸軍大演習の際この山に登られ統監したことによる。県立奥武蔵(おくむさし)自然公園の玄関口で、奥武蔵自然歩道はここを起点とする。山頂には秩父(ちちぶ)古生層の珪岩(けいがん)が露出し、山頂からの眺望はよく、関東平野を一望できる。能仁寺は明治維新の飯能戦争の際、振武(しんぶ)隊が立てこもったところである。

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NHKの塚原ト伝をみておりますが、平成NKHの演出でしょうか・・・

鹿島の像



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塚原ト伝の愛妻ぶりを少々記してみます。


茨城県鹿島町の須賀というところにある塚原ト伝の墓には、「宝剣高珍居士ドと「仁甫妙宥大姉」の二つの戒名が刻まれていますが?……というのは、その墓が苔むし、風化して、刻銘が判然としないからであり、前者は、いうまでもなくト伝の法名だし、後者はその本妻のものである。夫婦が合葬されるのはめずらしいことではないが、生涯を回国修行におくったト伝を知っているわれわれは、ちょっと奇異な感じを受けるのである。

 塚原ト伝は三度、郷里を飛び出している。最初は十七歳のときで、このときは三、四年間の武者修行ののちに帰郷している。二度目は、新当流をおこした三十四歳のときからの回国修行である。

 この期間がどれくらいにわたったか定かでないが、ともかく五十六歳のときに帰郷していることが史料によって明らかである。三度目はその後から六十八歳まで。そして元亀二年(一五七一)生地の鹿島でかれは八十三歳で歿した。まさに生涯の半分を他国で暮らした男であった。

 このような男を亭主にもった妻が幸福だったか不幸だったか、それは他人の詮索することではない。

 今日、伊勢の松坂の近くの山上には塚原公園というのがある。そこに「ト伝屋敷跡」かおる。門人の伊勢国司北畠具敷からあたえられた屋敷だそうで、かれはここに永く妾と同居したということである。しかし一夫一傍訓でないそのころの慣習を考えれば、これも本妻にとって必ずしも不幸の材料になったとはいえないようである。

 だが本妻の幸不幸はともかく、永く家を留守にすることの多かったト伝は、自分の妻に対して深くざんげするところがあった。

 前に五十六識のときにはすくなくとも郷里鹿島にいたことを証明する史料があるようである。実はこの年かれの本妻が亡くなり、ト伝はその永代供養のために根本寺へ田畑を一反歩寄進しているのである。

 しかもかれは、このとき自らの法名も受けている。墓に刻まれた法名はその時のものである可能性がある。

 このことを、ト伝のその本妻に対する罪ほろぼしでは・・・


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居合に利用しているのはやはり柄巻こげ茶の上から三番目の肥後(熊本)の拵えを利用しております。本身は備前長船七兵衛尉祐定ですが日常は白鞘の中に収めてあり、居合の稽古は特殊硬質合金の岡山関市の特注品を振り回しております。

脇差の柄巻を直します。もちろん巻直しは自身で行います。捻り巻です。

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 飯能まつりに参加する山車は11台ありますが、大別すると川越祭りに代表される人形を乗せた「江戸型山車」、
唐破風屋根や彫刻が特徴の「屋台型山車」の2つ形式に分類されます。

(「平成20年度 第38回飯能まつり」より、「本郷」の山車が新たに加わり、まつりに参加する山車の数が11台になりました。

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謙信は女だった…という説が、最近嫌に真実味を帯びていますが、なかなか興味深い検証も出ているので、関連ページへのリンクを貼っておきます。しかし、政宗のように廟所にあるはずの遺体を調べれば、すべてはっきりすると思うのですが、やはり墓を開けるのは難しいんでしょうね!
http://www.interq.or.jp/asia/kakka/sacc/cg/list/nobunaga/kensin_w.htm

また、私は謙信は気弱な性格で姉はその反対に男のような強い性格であったようで高野山にこもった後、姉と入れ替わったのではないかと仮定すると非常に興味深い女性説がより強く感じます。武田信玄に塩を送ったとする事実、女性特有の気遣いでは?
ちょっといたずらして私の所有している資料の絵で試しに髭を消してみたところ、顔は女性的ですね、体つきも丸みのある女性と感じてしまいます。もう一カ所、両手の指をみてください女性的で細いですね、私だけでしょうか・・・絵師は知らずにそのまま書いて、髭が薄い(無い)ので側近に髭を濃く書くように支持されたのではないかといろいろ思いを巡らせております。意見をお持ちの方・・・拡大してみてください。




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私が所有している上杉謙信の資料、花押と肖像画。それと貴重な春日山城の地図ですが、資料が欲しい方は遠慮なく、私のホームページにアドレスを記載しておりますので、メールいただければ画像(jpg)として添付します。

それぞれ画像としては2.5M以上あります。画質は良いです。

今、上杉謙信の資料を収集して検証している最中です・・・

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*追加

皆さんがネット上で見られている上杉謙信の肖像画ですが写し(模写)です。

体のバランスが悪く裾が丸まっていて、刀(太刀)が斜めに刀掛けに置いてあり、目貫も無く、又、袈裟の菊模様が曖昧である。私の所蔵している絵と拡大して比べてください。詳細に描いております。



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このような拵えですが、製作日数は特殊乾燥を含め6日から7日で一振り出来上がります。

削りだしして下塗りから中塗りをし、漆を塗り始めます。乾燥と研ぎ出しを数回繰り返して仕上げで特別な灰で磨きを掛け仕上げしていきます・・・


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