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三日が過ぎ・・・
朝餉を終えた神官は、
「今日は多少刻がとれるので、立ち合いの稽古をしようかの」
「はい」
すでに薪割りの仕事は無く、今は境内の雑草を取り除く毎日である。
神官は彩に、薙刀を借り、目釘をはずして刀身を手にした、一寸(三㌢)ほどの欠けた鉄箸を目釘穴に挿し、突起の部分に手拭を挟むようにして縛りつけた。
「さあ、弥五郎、行こうか」
何処へ向かうのかとおもっていたら、何時もの場所である。石段をのぼり木陰になって涼しい。
神官は弥五郎に、
「木刀と刀の違いを教えるぞ」
「四歳ごろから木刀を振っているので叩くすべは心得ていると思うが、木刀は叩き合い、受け払いをするもので刀とは別なもの。まず、この刀を振ってみなされ」
薙刀の刀身を渡した。弥五郎は真剣を持つのは初めてである。
「気を付けなされ、己を斬ることも有るでのう」
「はい」
衣と下駄を脱ぎ、褌姿になった。心地よい土の冷たさが足の裏を掴んでいる。膝を曲げ体勢を低くとり、右足を踏み込むと同時に左肩を開いた。上段から振り下ろされた刀が、その切っ先の速さを増して地に激突、土にめり込んだでいた。
それをみて神官は、
「弥五郎、木刀は空を叩く、刀は空を裂く、それだけ速さが違うので、体で確り覚えねば、相手は殺せても斬り勝つことはできませんぞ」
「刀とは人を斬り、己を守る道具、刀を抜いたときは決して情けを持ってはならぬ、もてば殺れる。無に始まり、無に終わる」
「剣術とは非情の道、また、斬り勝って学(まなぶ)を繰り返さなくては成らぬ定。覚悟してかかれよ、先は長いぞ・・・よいな弥五郎」
弥五郎は考えていた。景久からの教訓である。
「・・・はい。稽古させてください」
「彩に昼まで借りると伝えてあるので思う存分稽古しなされ」
神官は弥五郎を残し、石段を下りていった。
土まみれになった刀の切っ先を拭と、波打った波紋に目をやり、何をおもったか左腕を前に突き出し右に持った刀を軽く振り下ろした。左腕にドンと刃が当たった。斬れない。刀の重みで上腕部に跡がついている。弥五郎は分かったのだろう。叩いては斬れない。骨を砕くだけ、これを引けば斬れる。切っ先三寸程度で斬り口をつくり、斬り入る為の反り、これが刀だと理解できた。殺気をおびた眼つきに鋭く変化した。鬼夜叉(おにやしゃ)である。連続的に空気を斬る音が、重なり合ってゴーゴーと聞こえている。凄まじい迫力である。そのうち弥五郎は刀を振り回し、神木の回りを走りだした。非常に難しいとされているのは走って刀を自由に操ることであり、並の剣豪にはできないことである。
一刻が過ぎ、汗まみれの弥五郎、咽がカラカラになってきた。
(すこし休もう)
下駄を履き、衣を左手に持ち石段を下りて井戸のところにやってきた。水をくみ上げ、桶を左手で軽く持ち上げてガブガブと飲んでいる。咽が潤ったのか残った水を頭の上からザァーとかけ、気持がよさそうに顔を洗った。フーとため息を吐き、刀の手元に巻いてあった手ぬぐいを解き、体や顔を拭って衣を着けた。刀を拾い上げて賄所に入ってきた。彩の姿が見えない。今日は皐月が賄の番のようである。鈴は相変わらず手伝いをしている。弥五郎は皐月ではなく鈴に、
「彩さまは」
「神官さまと田京の方へでかけています」
弥五郎に塩をまぶした胡瓜を持って来ていた。
「そう」
もらった胡瓜をかじりながら畳にあがって横になった。
一刻は過ぎただろうか、神官と彩が帰ってきた。
「弥五郎、いい物を貰ってきましたぞ」
城へ行っていたのである。彩は野菜などを駕篭にいっぱいもらってきた。神官の手には長刀で二尺八寸。柄巻はボロボロだが鞘は確りしている刀を持っている。弥五郎はまだ眠り足ない顔で
「はい、何ですか」
「弥五郎に村役から使ってくれるように言われてな、刀を持ってきたのじゃよ」
「本当ですか、嬉しいです」
「但し、これは鈍(なまくら)刀だが、稽古にはなるでのう・・・地を叩けば簡単に折れるぞ」
気まずそうに彩の方に眼をやった弥五郎。
「彩さま、刀、ありがとうございました。やっと扱いが出来るようになりました」
「お役に立ったのですね」
そこへ鈴とかがり、皐月が西瓜を切って運んできた。正吉も入ってきた。
皆で膳を囲み、塩をまぶして美味そうに食べている。弥五郎は貰った刀が気になるのか手元に置いて、チラチラ眼をやりながら種をバリバリと噛んで食べていた。
「弥五郎さま」
種は食べずにお出しになってください。と強い口調でかがりが言った。
「え、一緒に食べたら駄目ですか」
「この種は、き年、西瓜を作るためにとって置くのです」
「・・・分かりました」
弥五郎は殆ど食べ尽くしてしまった西瓜の種を探している。その様子をみていた。巫女たちは大笑いを始めた。
「弥五郎は好きなように食べればよいではないか」
神官が助けを出した。
「もう種は十分過ぎるほどあるじゃろう、き年は西瓜ばかり食わされるようでは先がおもいやられるわい」
冗談めかした言い方をしていた。するとかがりは、
「弥五郎さま、冗談ですよ」
と言った隣で、正吉もバリバリと種を噛んでいる。
暫くして弥五郎は、合掌して膳を片付け刀を腰に差し、神官、巫女たちのみている前を颯爽と出て行った。そのうしろ姿は一人前の剣豪である。
神官の持ってきた刀は城にある数多くの戦時品の中から選りすぐったものであった。刀身は無銘であるが、赤銅の鍔、これには蝉を蟷螂(かまきり)が捕えているその様をみている四十雀(しじゅうから)を浮き彫りにした名品であった。縁は蟷螂、頭は金の四十雀、目貫は金の蝶の拵(こしら)え金具である。これから剣術を目指す弥五郎に通ずるものである。また、三嶋大社にある矢田部景久(山崎盛玄)の備州一文字の刀が納まることを考えてのこと。弥五郎に賭けた夢の扉が間もなく開こうとしている。
この備州一文字刀は備州一文字派の著名な刀工である「則宗」の作品で、刀身は細身の平安時代の作風を残した優雅で美しい刀である。
一文字派は刀の銘に「一」の字を彫ったのがその名の由きと言われ、則宗は御番鍛冶の筆頭を務め、後鳥羽上皇に愛されて特別に天皇の象徴である「菊の紋」を彫ることを許されたので、江戸時代には菊一文字派と言われるようになった。
幕末の「新撰組」一番隊隊長、沖田総司の愛刀とも言われている。
足利家重代の宝刀といわれた「二つ銘則宗」は京都愛宕神社に現存する。