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間もなく七月も終わろうとしている。
猛暑が続く毎日、昼夜なく人目を避けて神木の前で神官との手合わせが続いていた。秋深まる頃までには三嶋に行かせようと剣術の基礎をすべて教えるつもりでいる。さすがに天性がある弥五郎、飲み込みも上達もはやい、日を増す毎に強くなっている。
今日も朝餉の後、神官と石段をのぼってきた。
神木に揃って一礼をすると、さあ、
「弥五郎、いくぞ」
神官は一尺ほどの薪を右の下段に、弥五郎は正眼の構え、お互いに気を整える。弥五郎は摺足(すりあし)で右へ体を移動し始めた。神官の気は見えない。その時、弥五郎は走り出した。神官は、
(何と)
そこへ、弥五郎の左上段から振り下ろされた木刀が神官の肩口へ、だが神官は弥五郎の頭へ薪を突きあてていた。
弥五郎はガッカリした。
「弥吾郎殿の勝ちじゃ、わしは足を滑らせてしまった。木刀だから命拾いしたまで、真剣なら真っ二つであった、見事」
「本当ですか」
「そうじゃよ、相手が動く前に見切って動くことはできている。気を誘う、操る事ができたか!わしは嬉しく思うぞ・・・ちと、稽古をしていてくれ」
しばらくすると神官は弥五郎に与えた刀を持ってきた。
「待たせたの、その木刀をわしに貸しなされ、弥五郎はこの刀を使え」
(なぜ、おれに真剣を渡すのだ・・・)
考えていた。
「さあ、弥五郎、わしを斬ってみなされ」
驚いている。心ではそんなこと出来るわけが無いとおもいながら真剣を抜いた。
(軽い、これなら思うように伝えられる。斬る手前で止められるだろう)
慢心ともとれるおもいが過ぎった。
「かかってこられよ、雑念、情けは無用ぞ・・・よし、こい・・・」
神官は眼を閉じ、二間ほどの間合いを取った。木刀を右手に垂らしたまま仁王立ちして弥五郎の目の前に立っている。それをみて、正眼に構えている弥五郎は迷っていた。攻められる筈もない。気のさぐりあいが暫く続いた。
神官の眼が開いた。
「おりゃー」
と物凄い気迫で弥五郎の正面へ上段から頭をめがけ振り下ろしてきた。弥五郎は左に身を引いて、右上段から手首を使い木刀めがけ斬りつけた。神官は木刀で見事に小手返し、刀の棟(刀の上部)を叩きつけた。
弥五郎の目の前に折れた刀が昇天した。
「参りました」
「弥五郎、やはりわしを斬る気にはなれなかったのう」
「おれには、恩義ある人は斬れません」
「それでよいのだ、そこまでの非情な人間ではこれまた、天下一には成れんからな」
「わかっていたが、どうもその刀が気になっていてな、獣を数多く斬ったような血曇りがあって、弥五郎に持たせて三嶋にいかせるわけに参らぬでのう。その折れた残欠の先身、神木に供養してもらおう」
「三嶋には大きな大社があってのう、弟の矢田部織部が宮司をしておるのじゃ。そこにわしの刀を奉納してあるので拵を持参すれば、必ず収まるはず。手紙(ふみ)を出しておいたので、ひと月もすれば研ぎあがっているであろう」
「そうでしたか」
「後で神木の側にでも埋めれば、獣たちの霊も満足だろう。木刀を返すぞ、わしは戻るでのう」
背を丸め、右こぶしで腰を叩きながら石段を一歩一歩確かめるようにおりていった。
(あの歳であの動き、やはりすごい)
まず神官を超えて・・・必ず天下一になると信念を燃やした。
後は、刀を交え、人を斬り覚えていかねばならないことも覚悟していた。
暫くぶりの緊張であったのだろう。神木に背をもたれ眠った。
二刻ほど経った。
「弥五郎さま」
鈴の甲高い声、弥五郎は目を覚まさない。側にきた鈴が弥五郎の耳元で、
「弥五郎、飯だー」
大きな声で言い放った。弥五郎は左に一間も飛び跳ね、木刀を振り上げている。
目の前には小さな鈴がいる。弥五郎は気が抜けた。
「鈴、何しにきた」
「夕餉の支度ができています。何度も呼んでいるのに眠っているから」
「そうか、気がつかなかった。ゆるせ・・・」
石段をおりながら考えている。
(なぜ鈴の気を感じることができなかったのか)
鈴は邪心を持たず、心清らかであり、風であり、妖精のようである。まして、ここは神木のある所、殺気・邪気は感じても鈴の気だけは寝ている弥五郎に感じることはできなかった。
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