「鬼夜叉一刀斎」 | かねこよういち

  子の刻九ツ(午前零時)、やっとのおもいで田京に入り三嶋方面へ進むと左
手に神社の石燈籠(いしどうろう)が灯火をつけ、風趣(ふうしゅ)を添えている。
弥五郎はここで一泊出来ると安堵(あんど)した。


(さぁーねぐらを探して、明日は日の出前に出立しないと)

 何かに導かれているように鳥居をくぐり参道を抜けて奥へと勝手に足が進んでいた。


弥五郎は大きな神社をみるのは生まれて初めてのこと。
 暗がりの中を進んでくると大きな池である月が照りかえり天と池の境目をなくして映し出されている。


その水面下に金色の鯉や紅色の鯉、白色の鯉が見える。

 弥五郎は社殿の前に置かれた賽銭箱(さいせんばこ)に背をもたれ胡坐(あぐら)をかいて座り込んだ。


目を閉じ大きく息を吐いて一回二回頭を上下した。並外れた体力をもった十四歳だが宇佐美から一度も休まずきたことで一気に疲れが出てしまったのだろう。そのまま心地よい眠りに入っていった。


 この神社は廣瀬神社といって、延喜式内社(えんぎしきないしゃ)であり、神階帳(しんかいちょう)従(じゅ)一位(いちい)広瀬の明神といわれました。祭神は、溝(みぞくい)姫(ひめの)命(みこと)、外二神、田方一の大社で、かつては田地八町八反の御朱印(ごしゅいん)を頂く所であったといいます。


天正十八年(一五九一)、豊臣軍による韮山(にらやま)城(しろ)攻めの頃、兵火(へいか)に遭(あ)っており、社殿(しゃでん)ことごとく焼失(しょうしつ)しています。慶長元年(一五九六)に再建、江戸時代には深沢(ふかざわ)明神(みょうじん)として崇敬(すうけい)されていた。



 卯の刻明六ツ(午前六時)、おおきな木々が深呼吸をして何ともいえない良
い香りを漂わせ、あたり一面に靄(もや)と化している。弥五郎は頭を垂(たら)したまま、まだ眠っているようである。池の方角から誰かがこちらに近づいてくる気配(けはい)。


 パッと目を開け、椿の枝を右手に握りしめる。胡坐(あぐら)をといたその場から三
尺ほど飛び上がり賽銭箱(さいせんばこ)の上に仁王立(におうだち)した。靄(もや)の中に真白な影。音もたてずに近づいてくる。視界が開けてはっきりとしてきた。