さて、その弥五郎は・・・
宇佐美の浜にある大きな蘇鉄(そてつ)の下で椿の枝を抱え込み眠っている。
村の漁民であろうか、通りすがった三人の男たちに見られたようだ。
「あれは鬼か?・・・いや、夜叉(やしゃ)、鬼夜叉(おにやしゃ)だ。鬼夜叉がいるでよー、みんな集まってくれやー」
確かに異様な風貌(ふうぼう)だが、大島でも、弥五郎をみて鬼夜叉(おにやしゃ)と呼んでいた。
三間(五㍍四六㌢)ほど離れて弥五郎を囲むように手には斧(おの)や櫂(かい)、刀(かたな)まで持って十人ほどが集まってきた。
何か、この世のものではない妖怪をみているように、恐々覗きこんでいるが、途轍(とてつ)もない殺気を放っていて誰一人として近寄れないでいる。
暫くすると後ろの方から男たちを掻き分(かきわけ)て小柄で三十歳前後の男が、何の躊躇(ちゅうちょ)もなく平然と弥五郎に近づいてきた。
「おめえ人だら・・・どこからきた」
弥五郎はこの男を睨(にら)みつけ、
「大島だ」
男の耳元に口を近づけ、大きな声で、
「腹が減っている・・何か食わせろ」
一瞬、静まり返り、弥五郎が人だと理解したのである。異様な緊張感が解
け、伊東の人々の心を和ませたのであろう。大勢の笑い声に変った。人のよさそうなこの男は網元の倅(せがれ)で名は鯛(たい)助(すけ)といって、今は一人暮らしをしている。
弥五郎の肩をポンと叩いて、
「まあ、ついてきてちょうよ」
半里ほど離れた手作りの掘立小屋(ほったてごや)に連れてきた。
中に入るとすぐに屋根裏を覗(のぞ)き込んでいる鯛助。しばらくして、干してあったのか、鯵(あじ)のひらきを六尾ほど引っ張り出してきた。
その中から一番大きなひらきを選んでしばらく揉んでいた。
どんぶりに茹がいた南瓜(かぼちゃ)を入れ、その上に柔らかくなった大きな鯵のひらきをのせ、茣蓙(ござ)で敷きつめたところに弥五郎を座らせた。置いた
箸には目を向けず、すさまじい食べ方に鯛助は口をポカッと開けたままである。食べ尽くすに時間はかからなかった。
腹に収まったようで、子供のあどけなさを覗かせた。
鯛助の口がひらいた。
「おめえ、歳は」
「十四」
「名は」
「前原だ」
ぶっきら棒である。
「これからどこさ行くでよ」
「三嶋だ」
何を考えたのか弥五郎は己のおもいを鯛助にぶつけた。
「おれは天下一の剣豪になりてぇ」
「そうけ・・・ちょっと待っているだよ」
聞いているのかいないのか、部屋の片隅にある風呂敷包みを解き中から古
びた着物を持ってきた。
「これやるでよ、着ていってかっしゃ」
弥五郎は無言で受け取り袖を通してみた。見事に小さい。袖は五分ほどで
丈は膝あたり。
感謝の気持はあるが、それを態度で示すことはできない。おれは武士の子
と脳裏(のうり)を過ぎった。幼い頃より他人から物を貰うことなど、一度たりともなかったからだ。
干してあった手ぬぐいをさっと取り鯵のひらき三枚を包み込んで弥五郎に
手渡した。
「これもってかっしぇ」
小雨降る中、鯛助は弥五郎を山道の入り口のところまで案内し、「さあいくずら、この道さ真直ぐいくでよ、天下一の剣豪になるだよ」
やはり聞いていた。
人の温かさにはじめて触れ、弥五郎は三嶋に向かって山道を駆け出した。