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迷欧徊覧実記

気ままな欧州遍歴の備忘録です。

サラエボ1日目につづき、2日目もまずは市街地を散策。

 

サラエボは1984年冬季オリンピックの開催地。市内でも五輪関連の史跡が散見される。

 

市街北部の丘を越え、オリンピック・ホール近隣を歩く。

周囲一面に広がる墓地に、息をのんだ。

 

市街北部の住宅街にも、ひたすら内戦の爪痕が。

当初は物珍しさにいちいち写真を撮っていたが、途中からはもはやそれもやめてしまった。

それほどまでに、日常風景と一体化している。

 

マルカレ市場。セルビア勢力の意図的な砲撃により、2度にわたって多数の無辜が虐殺された現場。

内部には、慰霊碑も残されている。

 

市場の近くには平和祈念スポット”永遠の炎”。

 

バシュチェルシャのレストランで朝食。

バルカン・グリルの定番、チェバブチチ。

 

ホテルをチェックアウトし、サラエボ郊外のトンネル博物館へ。

内戦時、物資や負傷者の搬送用ルートとして建設された地下トンネルに関する顕彰施設だ。

 

建物外観から生々しい。

 

トンネル遺構と、資料館で構成される。

 

地下トンネルは、50mほどが現存。

 

関連資料の展示も充実していた。

 

昼前にはサラエボを発ち、陸路北上。

ボスニア連邦を構成するもうひとつの国家・スルプスカ共和国の(事実上の)首都・バニャルカをめざす。

 

田舎道には、ムスリム人、クロアチア人、セルビア人の集落が点在。

複雑な国家構成を肌身で感じた。

 

Googleナビに指定されたルートは、高原をひたすら抜ける山道だった。

 

⇒ボスニア・ヘルツェゴビナ(スルプスカ共和国):バニャルカ

2025年4月、ボスニア・ヘルツェゴビナへの陸路旅を決行。

 

クロアチアからボスニア国境へ。連休シーズンだったためか列は遅々として進まず、通過に1時間余を要した。

 

曇天の田舎道をひたすら南下。

山がちな風景からは、どこか日本の地方らしさも感じる。

 

高速道路はいまだ延伸途上で、区間は短い。

サービスエリアも、駐車場のほかにはポツンと仮設トイレ(紙なし水洗なし)があるだけ。

 

国土を縦断していく過程で気づいたが、ボスニア国内にはとにかく墓地が多い。

不相応に大きな集団墓地が数分おきに視界に入ってくる事実が、この国の背負う歴史を否応なく突きつけてくる。

 

ほぼ一日かけ、夕闇せまるサラエボに到着。

ひとまずホテルにチェックイン。

 

今回は、ホテルも歴史の舞台を選択。

ボスニア内戦勃発時にサラエボ市民デモ隊への銃撃が行われ、また内戦中市内で唯一営業を継続して報道拠点となったホテルだ。

現在はオーナーが変わっているものの、特徴的な黄色い外観と「ホリデイ」の名は維持されている。

 

ドキュメンタリーで見た吹き抜けのロビーも当時のまま。

 

部屋は南向きの高層階。砲撃で炎上する写真が有名な州政府ビル(再建されたもの)が、眼下に収まる。

 

ホテル・ホリデイ周辺、新市街を貫く幹線道路は、内戦当時スナイパー横丁("Sniper Alley")とよばれたという。

平和ないまは現代的な商業施設が立ち並んでいる。

 

砲撃で炎上していたツイン・タワーは、ほぼそのままの形で現存。

 

カトリック様式の教会。

 

市街の各所には生々しい銃痕・迫撃砲痕が今なお残る。

 

ボスニア内戦の空気を肌身に感じつつ、もうひとつの歴史の大舞台・サラエボ事件の現場をめざす。

 

事件現場の一本手前、チュムリヤ橋付近の路上。フェルディナント大公車列は、ここで爆弾の投擲を受けた。

 

暗殺現場・ラテン橋付近の路上。現在は博物館もある。

 

”1914年6月28日、ガヴリロ・プリンツィプはこの場所からオーストリア・ハンガリー帝国皇嗣フランツ・フェルディナントとその妻ゾフィーを暗殺せり。”

 

暗殺現場の隣のブロックの建物にも、やはり内戦時の弾痕が。

 

ラテン橋から、ムスリム・ストリート”バシュチェルシャ”へ。

 

メイン広場。モスクの尖塔がいたるところに。

 

トルコ風のオリエンタルな街並。


みやげ物にも内戦の残り香が。

 

ファンシーな品々に混じって……。

 

バシュチェルシャを含む市街中心部にはモスク、正教会、カトリック教会、ユダヤ教会など、雑多な宗教施設が混在。

 

坂道をのぼり、”黄色い要塞”とよばれる高台へ。

斜面一帯には墓地が広がっていた。

(他人のお墓を見世物のように扱うのはどうも好むところではなく、あえて写真も撮っていない。正直、今回のボスニア旅行で最も印象的だったのは各所の墓地だったのだが、あの空気は、実際に目で見て感じる以外にないと思う。)

 

霧にけむるサラエボ市街。

たえず曇天・雨天であったが、そんな情景こそがむしろこの街の重い歴史を表象しているかのようにすら感じてしまう。

 

ふたたびバシュチェルシャに戻り、夕食。

 

まずはバルカン名物・ブレクの店へ。素朴な味ながらも、うなるほどの絶品。

 

つづいて、ボスニア料理店へ。ボサンスキ・ロナツ(ボスニア風煮込み)がこれまた絶品。とろとろの牛肉が、スパイシーなスープにこれでもかと投げ込まれている。

バルカンはとにかく飯がうまい。

 

ホテルに戻り、〆の一杯はサラエボ・ビール。

 

⇒ボスニア・ヘルツェゴビナ:サラエボ-2

2025年4月、ハンガリー西部の温泉保養地へ。

 

陸路で入国。山がちなオーストリアやバルカン諸国とは風景が異なり、開けた肥沃な大地が広がる。

 

道はじつに直線的で、林道もどこかアメリカン風味。

それでいて、街の景観はカトリック、ハプスブルク帝国的趣なのがユニークだ。

 

中欧最大の湖とされるバラトン湖。ビーチはオフシーズンだが、地元の人のレジャーでにぎわっていた。

 

湖畔のフェシュテティッチ宮殿。

バロック様式といわれるタイプの、豪奢な建物と庭園。

 

そのまま移動し、温泉スパホテルに泊。

温泉は硫黄を感じる、日本人にもなじみ深いもの。

ハンガリーの法律により、14歳未満は入浴不可なので注意。

 

レストランのグヤーシュ(ハンガリー風シチュー)が絶品だった。

 

近隣のスーパーでは、地元のビールに混じってスーパードライの500ml缶がふつうに売られていた。

意外と普及しているらしい。

 

初ハンガリーであったが、東方地域及びブダペストもどんなものか、いずれ行ってみなければ。