2025年4月、ボスニア・ヘルツェゴビナへの陸路旅を決行。

クロアチアからボスニア国境へ。連休シーズンだったためか列は遅々として進まず、通過に1時間余を要した。

曇天の田舎道をひたすら南下。
山がちな風景からは、どこか日本の地方らしさも感じる。

高速道路はいまだ延伸途上で、区間は短い。
サービスエリアも、駐車場のほかにはポツンと仮設トイレ(紙なし水洗なし)があるだけ。
国土を縦断していく過程で気づいたが、ボスニア国内にはとにかく墓地が多い。
不相応に大きな集団墓地が数分おきに視界に入ってくる事実が、この国の背負う歴史を否応なく突きつけてくる。
ほぼ一日かけ、夕闇せまるサラエボに到着。
ひとまずホテルにチェックイン。

今回は、ホテルも歴史の舞台を選択。
ボスニア内戦勃発時にサラエボ市民デモ隊への銃撃が行われ、また内戦中市内で唯一営業を継続して報道拠点となったホテルだ。
現在はオーナーが変わっているものの、特徴的な黄色い外観と「ホリデイ」の名は維持されている。

ドキュメンタリーで見た吹き抜けのロビーも当時のまま。

部屋は南向きの高層階。砲撃で炎上する写真が有名な州政府ビル(再建されたもの)が、眼下に収まる。

ホテル・ホリデイ周辺、新市街を貫く幹線道路は、内戦当時スナイパー横丁("Sniper Alley")とよばれたという。
平和ないまは現代的な商業施設が立ち並んでいる。

砲撃で炎上していたツイン・タワーは、ほぼそのままの形で現存。

カトリック様式の教会。



市街の各所には生々しい銃痕・迫撃砲痕が今なお残る。
ボスニア内戦の空気を肌身に感じつつ、もうひとつの歴史の大舞台・サラエボ事件の現場をめざす。

事件現場の一本手前、チュムリヤ橋付近の路上。フェルディナント大公車列は、ここで爆弾の投擲を受けた。


暗殺現場・ラテン橋付近の路上。現在は博物館もある。

”1914年6月28日、ガヴリロ・プリンツィプはこの場所からオーストリア・ハンガリー帝国皇嗣フランツ・フェルディナントとその妻ゾフィーを暗殺せり。”

暗殺現場の隣のブロックの建物にも、やはり内戦時の弾痕が。
ラテン橋から、ムスリム・ストリート”バシュチェルシャ”へ。

メイン広場。モスクの尖塔がいたるところに。

トルコ風のオリエンタルな街並。

みやげ物にも内戦の残り香が。

ファンシーな品々に混じって……。

バシュチェルシャを含む市街中心部にはモスク、正教会、カトリック教会、ユダヤ教会など、雑多な宗教施設が混在。
坂道をのぼり、”黄色い要塞”とよばれる高台へ。
斜面一帯には墓地が広がっていた。
(他人のお墓を見世物のように扱うのはどうも好むところではなく、あえて写真も撮っていない。正直、今回のボスニア旅行で最も印象的だったのは各所の墓地だったのだが、あの空気は、実際に目で見て感じる以外にないと思う。)

霧にけむるサラエボ市街。
たえず曇天・雨天であったが、そんな情景こそがむしろこの街の重い歴史を表象しているかのようにすら感じてしまう。
ふたたびバシュチェルシャに戻り、夕食。

まずはバルカン名物・ブレクの店へ。素朴な味ながらも、うなるほどの絶品。

つづいて、ボスニア料理店へ。ボサンスキ・ロナツ(ボスニア風煮込み)がこれまた絶品。とろとろの牛肉が、スパイシーなスープにこれでもかと投げ込まれている。
バルカンはとにかく飯がうまい。

ホテルに戻り、〆の一杯はサラエボ・ビール。
⇒ボスニア・ヘルツェゴビナ:サラエボ-2