迷欧徊覧実記

迷欧徊覧実記

気ままな欧州遍歴の備忘録です。

youtubeの各種旅行系チャンネルで、個人的によく見るのがツール・ガジェット紹介の動画。

自分の旅行の参考になるということもあるが、テーマとして純粋に楽しいのである。

その真似事として、時折このブログでもマイ旅行ツールを取りあげてみたい。

 

初回に選んだのは、いわば自分のトラベルウォッチに当たる時計。

ドイツ・Sinn社製「EZM 3」だ。

 

この時計は、脳内で開催したマイ・トラベル・ウォッチ選定コンペの末に採用された。

課された条件は、以下のとおり。

 

①機械式・スタンドアロンであること

クォーツは予期せぬ電池切れの際に復旧できない。ソーラーは平素からの天日干し充電が面倒。

また、電波時計は時刻修正漏れやサマータイム設定ミスなどの懸念(過去、実際に経験)が払拭できず、信頼性に欠ける。

スマートウォッチも同様にスタンドアロン性が低いうえ、つねに充電を心配しなければならないので論外。(そもそも筆者はスマートウォッチ嫌い)

何より、機械式時計はつけていてワクワクする。

 

②堅牢で実用性に富むこと

10気圧以上の防水性能、一定の耐磁性、必要十分な精度など、タフユースに耐え得る実用性は旅行に必須。

 

③デザインが悪目立ちしないこと

名門ブランドのきらびやかなラグジュアリーウォッチには心ひかれるが、旅先では災いのもと。変に悪目立ちしないことも、トラベルウォッチには重要な要素。

 

時計趣味者として、このトライアル思考の時間自体がそれなりに楽しかったのだが、結果として最終選考を勝ち上がったのが、このEZM3だった。

 

細かいスペックは、ここでいちいち紹介する必要もないだろうから省略する。Sinn公式サイトや、SinnDEPOT渋谷チャンネルなどをご覧いただきたい。

いずれにせよ、”特殊部隊用時計”という中二心をくすぐるバックグラウンド・ヒストリーと、それを反映したハイスペック、そして抑制的なビジュアルなどが、採用の決め手となった。

 

もっとも、この時計自体は、もともと所有していたコレクションの中の一本。

配信ドラマ『沈黙の艦隊』で主人公の海江田四郎が着用していたのに触発され、ロマンあふれるミリタリーウォッチとして購入したものだ。

本来はアウトドア等の場面での使用を想定していたが、最近はまさしく”旅の時計”として自分の中で確固たる地位を得た感がある。

 

ベルト及びバックルは、現行品よりもひと世代前のタイプ。飾り気ない渋さと精悍さで、使い込むほどに味が出る。

ラバーベルトなども試してみたが、結局はこの純正メタルブレスに帰ってきてしまう。


なお、このモデルの大きな特徴である逆リューズ(右利き用の時計なのに、リューズが3時位置でなく9時位置にある)について、日本の情報サイトでは「銃器を扱う際のヒューマン・エラーを防ぐため」と説明されることが多いが、銃器を扱う際になぜリューズの位置が問題になるのか、いまいち判然としない。海外版公式サイトでは、逆リューズの理由を「手の甲に干渉するのを防ぐため」と記載しており、シンプルにそういうことなのだろう。

 

マケドニアのひなびたバス・ターミナルでの一枚。

決して安価な時計ではないが、マイナー・ブランドの質実剛健デザインゆえ、悪目立ちすることもない。

もちろん、常用するようになって早2年、今のところスペックや精度に疑問をもったことは一度もない。

やはり信頼性は、何物にも代えがたい。

 

 

 

 

ボスニアからの帰路、国境付近のヤセノヴァツに立ち寄る。

第二次大戦中、”バルカンのアウシュビッツ”が所在した地である。

 

国境付近の茫漠たる湿地帯に、忽然と巨大な”スポメニック”(ユーゴ時代のモニュメント)が見えてくる。

80余年前、クロアチアの親ナチ政権はこの場所に強制収容所(絶滅収容所)を設置し、セルビア人ほか他民族数万人の”最終解決”を行っていた。

 

人気のほとんどない敷地内に、資料館が残されていた。

ただ、重い歴史に比して建物は小さく、展示品もごくわずか。……それもそのはず、もともとはユーゴ時代に資料館が設立されたのだが、90年代のユーゴ内戦のドサクサで破壊され、収蔵品も散逸してしまったのだという。

長年にわたる民族紛争は、ここでもなお暗い影を残している。

 

資料館の外には、線路と機関車の展示も。

『シンドラーのリスト』のワンシーンを想起せざるを得ない。

 

スポメニックまでは、枕木の参道が伸びている。

 

最盛期には、この地域一帯に収容施設が立ち並んでいたらしい。

 

直下まで行くと、あらためてその大きさに息をのんだ。

 

 

サラエボから3~4時間のドライブで、スルプスカ共和国の首都・バニャルカへ到着。

 

スルプスカ共和国――この国の存在を知る日本人はごくひとにぎりだろう。

”スルプスカ”は、”セルビア人”のこと。内戦終結のための妥協の産物としてボスニア国内に誕生した、セルビア勢力の自治共和国だ。

 

ボスニアの標識は、キリルとアルファベットの併記で有名。

 

スルプスカ国旗はシンプルなスラブ三色旗。紋章入りのセルビア国旗と抱き合わせになっていることが多い。

 

得体のしれない自治共和国、おそるおそるの訪問。

……だがいざ着いてみると、あまりにのどかすぎて拍子抜けせざるを得なかった。日本の地方都市とほぼ同じ、ゆったりとした空気が漂い、体感治安自体はサラエボよりいい印象すら受ける。

もっとも、街はほぼ地元民のみで、東洋人はおろか、国外からの旅行者らしき人もほとんど見かけない。

 

公園もとにかくおだやか。身の危険じみたものを感じる瞬間は皆無。

 

真新しい広場にはセルビア人の王(?)の像。

 

バニャルカ要塞。こぢんまりとした城郭。

 

川沿いの落ち着いた雰囲気。

 

国営博物館は、田舎の公民館のような雰囲気。屋外には歴史を語る展示品も。

 

おそらくいちばんの繁華街と思われる通り。日曜なので、大半の店は休業中。

 

喫茶店が立ち並ぶ通り。こぎれいで、景観は欧州先進国の都市を彷彿とさせる。

 

市街中心には金色屋根の正教会が鎮座。

 

そのほかにも、正教会はいたるところに。

 

ただ、モスクもしっかり所在。”セルビア人共和国”とはいえ、他民族をいっさい排斥しているわけではないらしい。

 

大統領官邸も、市街の真ん中に忽然とあらわれる。

 

しかしバニャルカ、率直に言って観光地としての見どころは乏しい。

あくまでも、「この知られざる地を訪れた」という事実をこそ楽しむべきなのだろう。

 

観光客がほとんど来ないからか、みやげもの屋は中心街の小さな露店のみ。

プーチンもさることながら、ガヴリロ・プリンツィプのこの憂国烈士待遇には苦笑。

”セルビア人共和国”の面目如何といったところか。

 

都市部では開発も進んでおり、決して経済に勢いがないわけではないらしいことが分かる。

 

喫茶店くらいしか営業していなかったため、夕食の確保は難航した。

歩き回った末、ようやく営業中のショッピングモールを発見。内部のスーパーで適当に買い、イートインで済ませることにした。

ただの惣菜コーナーのブレクであったが、異次元のうまさに驚愕。サラエボの有名店のものと遜色ないクオリティ!

 

街の落書きもユーゴ内戦がらみ。

セルビア人アイデンティティの礎、コソボの戦い(1389年)モチーフか。

 

郊外のホテルにチェックイン。スルプスカの落日。

 

翌朝、早々にクロアチア方面へと離脱。

2泊3日、ボスニア(とスルプスカ)を存分に満喫できた。

今のところ、バルカン諸国ではずば抜けてイチオシの国といえる。

見どころの多い観光地、その各所で否応なく突きつけられる重い歴史、良好な治安、そしてひたすらうまい食べ物。

中東欧を訪れる機会があれば、ぜひとも旅程に組み込んで損はない一国だ。

 

思わず買ってしまった、自分用おみやげ。

ボスニア内戦時の英雄・イゼトベーゴビッチ大統領と、スルプスカ共和国のキーホルダー。

マイナー国家に行った際は、「そこでしか絶対に買えないもの」を持ち帰りたい。