周りから人が離れていくと感じたとき
パターンがいくつかあるなと思います。
思いついたのはこの3つ。
①自分のステージが変わるとき
②自分自身の状態を見直すとき
③考えすぎ
①自分のステージが変わるとき
②自分自身の状態を見直すとき
A: 「私、何かしたかな?あれかな?これかな」
自分に自信がなくて周りを気にしてしまう人。
B: 「相手が悪いのよ私は間違ってない」
自分を正当化したくなる人。
これは誰しもまず感情として、
多かれ少なかれ浮かぶと思います。
私は間違ってないのに…
相手がおかしい!悪い
確かに間違ってないかもしれない。
でも相手の立場になったら
どうだったんだろう…
それぞれの面からの
「正しい」がある。
でも、あれ?気づいたら…
連絡が来なくなってしまった。
話さなくなってしまった。
お誘いしても「また行こうね〜」と
具体的に進まず、社交辞令?みたいな。
振り返ってみましょう。
何度か、その人は
歩み寄って来てませんでした?
話をしよう、と
向き合おうとしてませんでしたか?
それに対して、
私は悪くないし!絶対悪くない。
間違ってるのはそっちだし。
話すことなんて何もない
何度かきちんと話をしたい、と
向き合おうとしても、
私は悪くない!と話し合うそぶりもなく、
あぁ…こりゃ無理だなぁ…と思うと、
悲しいな…と思いながら
そっと距離を取られてしまうこともある。
私は、この経験があります。離れた方。
お互い納得行くように、話し合いたいと
提案するも、そっちが悪い、の一点張り。
今じゃないか、と思ってそっと離れました。
いつかまたタイミングが来て、
冷静に話せるときがきたら、
その時は「何を今更!」という態度ではなく、
いつでも受け入れられる器を
持っていたいなと思っています。
でもタイミングを逸すると
2度と戻らない関係もある。
本当に失ってもいいの?
今の感情を優先して、
ここまでの長年の関係を
捨てることになってもいいのか?
「感情的」って1番怖いのです。
一瞬で全てをなかったことにしてしまう
怖い武器だと私は思ってます。
感情で人をなじったり、否定したり。
そこから全てが崩れることもある。
感情的になった側は、
後で覚えてなかったりするけど
言われた側はずっと残ります。
イラッとしても。怒りが湧いても。
ふうっと冷静になる訓練。
私は正しい!かもしれないけれど、
相手側から見たらどうだったんだろう?の
相手側を一瞬でも考えてほしい、考えたい。
一人一人の「正しい」があって、
世界はその「正しい」を証明するために
戦争をしたりするわけですが。
それぞれ正しくて
いいんじゃない?
はい〜っ、参りました
あなたが全て正しいです!
私が間違っていました。
ごめんなさい。あなたが1番です!!
それが欲しいのかな?
良かった良かった。
私は間違ってなかった
でもこれは一瞬で。
また次の場面が来ます。
そしてまた「正しい」を
相手を負かしてまで
証明しなければいけない。
それが本当にしたいことなのかな?
一気には無理でも。
私は正しい。
でも相手も正しくてもいっか。とか。
少しでも、他が入れる隙間を
作ってほしいなと思うのです。
正しい、は無限にある。
それぞれの正しい、を
証明し合っても、
私のほうが正しかった!と
一瞬勝ち誇っても、
そこには虚しさと、時には
一瞬の勝ち、以上に失うものがある。
わたしもよく、
え、それおかしくない?と沸きます
人間ですもの、感情たっぷりです
正しい?間違ってる?
↓↓
答え、出さなくてもまあいっか
これでいたい。
一瞬相手側に立つ。
まあ、相手も相手の立場があるしな〜
大変なんだろしな〜
そう器を広げていきたい。
今日は自戒も込めて
いつも読んでいただきありがとうございます