本書いてたり、Webサイト開設したりしてるので、たまに質問がきたり、インタビュー
だとか、人前で講演をしてほしいとかいった依頼がくることがある。
ひきこもり気味な生活であまり社会貢献してるとは言い難いので、まあ、そう
いう時はなるべく誰かのお役に立てるよう、本人は努力している、つもり。
でも、恐ろしいことにこういう場合、ものすごくよくある質問っていうのがあって、
それは私の理解の範囲を超えている。質問そのものじゃなく、なぜ私にそういう
質問をしてくるのか、その人の考え方が理解不能だってことだ。
典型的な質問その1: 当事者としてお話をうかがいたい。
私の疑問: 何についての話?(質問として成立しているとは思えない)
典型的な質問その2: 当事者として、日常生活で苦労していること、子ども時代
からのエピソードなどをお聞かせ願いたい。
私の疑問: 本をちゃんと読めば、そういうこと全部もう書いてあるんですけど…。
それに、数時間のインタビューや講演、何通かのメールのやり取りで、わかった
つもりになられちゃ困るんだけど。第一、「当事者」っていっても私が話せるのは
私の場合のことだけ。人はそれぞれ違うもんなんじゃないの?
典型的な質問その3: 地球人とどんな風に違うのか教えてください。
私の疑問: それって、日本から一度も出たことのない人に、日本と…そう、例えば
韓国の生活の違いについて尋ねてるようなものだと思うんだけど?
私は地球人になったことないから、比べようがない! それに、私に話せるのは、
やっぱり私個人の場合のことだけで、発達障害をもった人が皆、私と同じだって
はずはない。でしょ?
同じような質問が繰り返されるだけなら、まだいい。けれど、キョーフはそれだけじゃ
ない。中には、穴ぼこだらけの常識を持った私と比べて考えても、どっちがまともなの
か首をひねってしまうようなケースもある。
<題名: 質問です!(しかもケータイメールから。何度も)>
学生さんらしいけど…これって、教室で手を上げてるようなノリ? 見知らぬ他人に
ものを聞くときの真面目な態度とはとても思えないんだけど、そう思うのって私だけ
なんだろうか。(何が非常識かについては、いまいち自信ない)
少なくとも私だったら、突然質問する失礼を一言わびて、簡単に自己紹介し、質問だけ
でなくその目的(何のために質問してるか)を明確に書いた上で、時間をとって返事を
してもらえるように「お願いする」。最低限そのぐらいの礼儀は、必要じゃないかと思う
んだけど。
また、
<検索でWebサイトだけ見てメールしてくる人…多数(このブログはサイトの一部)>
別に、私の本を「買え」とはいわない。けど、世の中には図書館ってものがある。
何か質問するなら、すでに出版されてる本にとっくに書かれていることじゃなく、本を
読んでもわからなかったことを聞くべきじゃないんだろうか。私のサイトでは単に自分
の本を宣伝するだけじゃなく、参考になりそうな他のたくさんのいい本も紹介してる。
なるべくたくさんの人の役に立つ情報を提供するよう、心がけてるつもりだ。
なのに、本を読む手間をすっとばして、自分の知りたいところだけチョチョッと「つまみ
食い」で教えて! という意図があまりにもロコツな質問が結構くる。それはズルだと
思う。(それに、何かを本気でよく知りたいと思ったら、近道はない)
間違えないでほしい。発達障害系の人の中には、本を読むのが苦手な人もいる。
文字を読むこと自体がうまくいかない識字困難があったり、注意力をうまくコントロール
できなくて、本を丸ごと読み通して内容を理解することが極度に難しかったり。そういう
人に読書を強要するつもりはない。でも、そういう人はたいてい、ちゃんと自分の弱点
をわかっていて、事情をある程度説明した質問メールをくれる。だから私にもわかる。
ま、ざっとこんな具合で、何とも理解に苦しむ質問に目を白黒させちゃうことがある。
ただ、ごくまれに、書くのが苦手とか、言葉を扱うこと自体が苦手な人から、ぎこちない
けど本当に一生懸命さの伝わるメールが来たりする。「自分でずっと感じていたけど、
うまく言葉で説明できないために、これまで人に伝えられず、わかってももらえな
かったことが、本に書いてあった。ありがとう」といった内容。すごくほっとする瞬間だ。
