前回、「自閉症の人はどんなことが好きでどんなことが嫌いか」といった、ひどく

一般化した考えについて危機感を持ったことを書いたら、私が知っている数少ない

同類(とても高機能だけど自閉系)の方から、「自閉症の人はこう、っていうような

一般化は許せない!」といった内容の、パワフルな共感のメールをいただいた。


同じように思ってくれる人がいるって、本当にありがたいことだ。


新入学の時期を控えて、発達障害やアスペルガー、高機能自閉症関連の書籍に

需要が高まっているのかもしれない。発売後一年以上たつ『僕の妻はエイリアン』

も、今回さらに増版されることになった。


そこで、そういう「障害関係」に関心がある人たちに対して、今、あらためて

声を大にして言っておきたい。


「違いはたいてい微小なものである」

「違いは単なる傾向にすぎない」

「違いはすべての個人にあてはまるとはかぎらない」

「もっとも重要なのは、違いを限界として受け入れる必要はないということ」

       『男の子って、どうしてこうなの?―まっとうに育つ九つのポイント

        スティーヴン・ビダルフ著・菅靖彦訳・草思社 からの引用(P82)


書名からもおわかりのように、これは障害関係の本からの引用ではない。

ここで言っている違いとは、単に「(女性に対して)男性であること」だ。


つまり、世界の人間の半分について言っているわけ。当然ながら、50人に一人、

あるいはもっと多いかもしれない、と言われている自閉系の異星人タイプにも

同じことがあてはまる。


「障害関係」の本を読んで知識を深めるのはもちろん、いい

ことだろうけど、違いはあれど、同じ「人」なんだという、この

大切な基本原則を、くれぐれも、忘れないでほしい。


『男の子って、どうしてこうなの?』には、学習障害についてふれた部分もある。

(P219)

「ほぼすべての人が、脳に何らかの傷を持っている」---中略---「子どもの

学習能力にとくに影響がないかぎり、小さな脳の傷は問題とならない」


実にごもっとも。本当にその通りだ。あえて付け加えるなら、「学習能力」だけで

なく「社会的・対人的能力」に影響がある場合も問題だ、ということぐらいだろう。


誰にでも脳に傷がある、というのは信じがたいことかもしれないけれど、最近の

研究では、これは常識になっている。


それを言うならガン細胞だって、誰の体の中でも毎日どんどん生まれているのだ。

(自己防衛機能が働いて、生まれるはしから食べられてしまうことがわかっている。

病気としてのガンを発症するのが、ごく一部の人だけなのは、そのためだ)


「障害のある人の上手な扱い方」なんか工夫する前に、まず考え方を変える必要

がある。これを読んだあなたには、自分だけでなく周囲の人にも、こうした考えを

広めてほしい。


(人類の半分である男性も、もっと理解を必要としているのは言うまでもないが)
明快な言葉で、差別の危険を表現してくれた、スティーヴン・ビダルフ氏に感謝。

スティーヴ・ビダルフ, 菅 靖彦
男の子って、どうしてこうなの?―まっとうに育つ九つのポイント

※この引用が著作権の侵害に当たると判断される場合、引用部分を削除します。

ちょっとした発言から、隠された意外な思い込みが透けて見えることがある。

いや、某大臣の失言問題についてじゃなくて、私のところに来る質問を見ていて

思うことだ。


「ん? いくらなんでもその発想はおかしくないか?」と思うのだけど、何せ私自身、

かなり常識が危ない方だという自覚があるので、「いや、おかしいのは私かも?」

と、思い悩むこともしばしば。自分で判断できず第三者に意見を聞いたりもする。


先日の分は、福祉施設のスタッフの方からだけど、長い話をものすごく短く言えば

「自閉症の人はどんなことが好きでどんなことが嫌いか?」

「自閉症の人をうまく扱うにはどうしたらいいか?」といった内容だった。


これのどこがおかしいか、あなたにはおわかりだろうか?


私がおかしいと思った点は二つある。一つには、「質問する相手が間違ってる」。

もう一つは「発想が間違ってる」だ。


まず、自閉症について一般的な知識が欲しいのなら、当事者個人じゃなく、たくさん

の自閉症の人を診察したことのある医師とか、たくさんの自閉症の人を教えた経験

のある教師とか、そういった人に質問すべきだろう。当事者にわかるのはあくまで、

自分自身のことが中心。特に私なんか他の自閉症の人と全く付き合いがないから、

一般論を聞かれても答えようがない。


さらに、一般論を期待すること自体、考え方に大いに問題があるとしか思えない。

あなたが赤い車を持っているとしよう。「赤い車のオーナーってどんな性格ですか?」

と聞かれて、答えられるだろうか?


そりゃ、赤い車にを選んで乗っている人たちには、好みのある部分に共通している

要素はあるだろう。でも、だからといって性格や気質全般が似通っているとは

私にはとても思えない。「自閉症の人の好き嫌い」を質問して、何かわかったような

気になるというのは、これと同じぐらいおかしい。


障害があってもなくても、人はそれぞれだ。(当たり前だけど)


当然「自閉症の人のうまい扱い方」なんてものもない。福祉施設のスタッフが、

そんなものがあると考えて行動するとしたら大変なことになる。障害名で人を分類し、

「この障害の人はこういうもの」という勝手な思い込みを押し付けるのは、実に危険だ。

あてはまらない部分が無視されたり、無理に「矯正」されたりしかねないからだ。


福祉施設で使えて、ケアされる側もより満足でき、する側もよりラクになる方法という

のは、そういうものじゃない。(もちろん、ちゃんと方法はある)


それは人ひとりひとりの好き嫌いやニーズを記録した「個人別のマニュアル」を作る

こと。「この人にはこういう風に対処するとうまくいく」という情報を集めて、スタッフで

共有すればいい。この方法は実際に、認知症の介護で使われ始めている。このやり

方なら、スタッフが入れ替わっても集めた情報が残るのも利点だ。


障害は、その人を構成するたくさんの要素の一部分にすぎない。私にとってはこんなに

当たり前のことはないのだけど、21世紀になってもまだ、あまり広く理解されていない

らしいことには、たびたび驚かされる。福祉施設のスタッフの質問だってまったく悪気

のないものなのに、裏にある思い込みには相当、根深いものがあると見た。


日本にはあまり他人との「違い」を意識したがらない精神風土があるのかもしれない。

けれど、同じ人というのはいない。障害が重くて、考えていることや感じていることが

わかりにくい人であっても、人は驚くほど個性にとんでいる。(私は幼稚園児の頃から

いろんな重複障害の子どもたちに混じって遊んでいたから、これは実感だ)


人それぞれの個性に応じた対応をする、という当たり前の考え方が、あらゆる福祉の

現場でもっと当たり前に実践されるようになることが、切実な希望だ。

震災から今日で12年。


同時期に結婚したので、結婚記念日と相前後してこの日がやってくる。

毎年慰霊祭のニュースを見て、結婚何周年目かを確認している始末。


寒い中、ろうそくの灯をともして行う慰霊祭を見ていると、気持ちを安らげる

「暖かい灯り」の効果を感じる。


最近、青色LEDを使ったライトアップが何だか流行していて、冬の夜に青い

照明をたくさん使ったクリスマスライトアップなどもよく見かけるようになった。

でも青いばかりの照明は冬の季節には似合わない。何とも寒々しい感じだ。

やはり、冬には黄色っぽいぬくもりのある色とか、多色使いであざやかな彩り

を添えてくれるような明かりがいい。


神戸では震災後比較的早い時期に、市章山のライトアップが復旧した。

これは昔、船のため、港の灯台がわりに背後の山の上に設置されたもので、

市のマークと港をあらわす錨のマークが並んでいる。水平線の向こうから

近づいてくると、最初に見えるのがこれ。


とはいえ、市章山のライトアップが戻ろうと、生活に直接関係はない。だから

最初この話を聞いた時は、そんなところの明かりをつけて何の役に立つん

だろうと思っていた。まだ停電しているところもあったし。


でも、実際に見た人たちの話を聞くと、戻った明かりを見上げて「少なくとも

あれがある」と、何だかほっとしたような、心強いような気持ちになったそうだ。

いつもの街の灯が消えた夜に、見上げれば山の上になじみの光が見える、

ただそれだけのことで、人は希望を持ったり慰められたりするらしい。


実用的でなくても必要なものはある、ということに改めて気づき、

心に灯す明かりの不思議な力に、感心した思い出だ。


年末におせちを作り、年越しそばは夫が担当して、近所のお寺に除夜の鐘を

つきにいき…まずまずの三が日をすごした。



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←今年のおせち。あまり何も

かも自分で作ろうとするとピリピリ

してくるので、面倒なものは

出来合いで調達している。

鯛が入るのは関西では普通

だけど、(にらみ鯛と呼ぶ)関東

では重箱には入れないらしい

ので、数年前までは調達する

のが大変だった。


そういえば、東京でおせちの

カタログを見たら一段丸ごと煮物だったので仰天したこともある。関西では

「煮しめ」は作らない。(煮詰めないので、煮物になる)し、おせちに大量に

入れたりもしない。かわりに、我が家のおせちには、ごぼう一本丸ごと使った、

「かなりピリ辛のきんぴら」とか、なべ用の束になった「細い糸こんの煮物」が

入っている(細い方が味がしみる)。おせちにするには風変わりだけど、

どちらも夫の好物なのだ。


ごぼうはもう一本、丸ごと「たたきごほう」に使われている(酢づけだ)。加えて

大根一本丸ごと使った「柿なます」、レンコンの酢の物(関西では「ハス」は花の

ことなので、食するのは必ず「レンコン」だ)、それに、今年はくわいが入っている。


くわいを黄色に染めるため、迷わず、カレー用のターメリックパウダーを使ったり

(ターメリックは黄ウコンで、たくあんの黄色などによく使われる植物染料。無味

でカレーの味はしない)、黒豆を三日がかりで煮るのに炊飯器を使ったりした

(炊飯器はゆっくり長く煮るには最適の電気鍋として、うちではカレーやおでんに

大活躍している)なんてところは、やっぱりちょっと型破りかも。


「薄口しょうゆ」がないと和食が黒っぽくなっておいしそうに思えないし、材料も

入れる料理も微妙に違うので、関西風のおせちを関東で作るのは、やりにくい。

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ともかく、夫はおせちに大満足で、
お年玉をもらった→

シンガポールの中国風ご祝儀

袋、アンパオである。(紅包と

書く。中国語の共通語、普通話

の発音では「ホンバオ」だけど

シンガポールでは、なまっている)


最近、というか震災以来だと思うが、無事(事が無い)ってすごいことだと思う。

何事もなく日がすぎるのを、当たり前のように思っている人が多いようだけど…

何もないのが退屈だなんて、とんでもない。無事のありがたさって、貴重だ。












Give Peace A Chance(平和にチャンスをやろうじゃないか)はビートルズの歌。

ニュースなどで見る限り、今年は「皇室の慶事、WBCで野球の日本チームが

世界一になったことなどもあって、そこそこ良い年だった」という感想が多い

みたいだ。


何か、とんでもないって気がする。私にすればかなり滅入る一年だった。世界

ニュースでは終りの見えない戦争、紛争、抗争が続いたし、核実験に大災害も

あったし、そういったことにあきれるほど無関心な日本の、うんざりするような

平和ボケぶりも際立っていた。


何より情けなかったのが「アジア大会」の報道ぶりだった。「アジアとの交流を

深める…」とか政府が発言していたわりに(ところで、「アジア内部で」じゃなく

「アジアと」交流ってことは、日本はどこ様のつもりなんだろうね)アジア大会

の報道は「日本が勝った、負けた」ばかりに終始していた。対戦相手の国名

をあげることさえ少なく、ましてや、それがどこにあるどんな国なのかを紹介

することさえほとんどしなかった。開催国カタールのことさえ、ごく短い紹介

しかなかった。


どのテレビ局もこの点は大差なかったと思う。せっかく、アジア諸国について

日本の人たちにもっとよく知ってもらう、いい機会さったのに。選手層が薄く

予算も少なくて、オリンピックには出ない国がいくつも出場していたのだから、

本当にもったいない。友好親善を深めるどころか、日本の自己満足のため

だけの報道としか見えなかた。


異なる文化が出会うとき、お互いを知ることは何より大切だ。今年、NHKの

特番で「日本に住むイスラム教徒」を取り上げていたが、「素顔のムスリムは

ごく普通の人たちです」って…(当たり前だ!)どんな宗教にも過激派はいる。

生活スタイルが違っても、宗教的な信条が違っても、お互いを知る努力をする

ことはできる。相手が「顔のない敵」ではなくなると、共存も可能になってくる。


私は目の前にいる人の気分や雰囲気を読むことはできないけれど、私が

世界地図を見たとき、そこにはたくさんの顔がある。二十数カ国を貧乏に

旅してみるといい。世界ニュースは行ったことのある土地、出会ったことの

ある多様な宗教や文化の人々のことであふれていて、どれ一つ「他人事」

ではなくなってしまうのだ。


だから今年は「日本の中ではまずまず」の一年だったのかもしれないけれど、

私にとっては多難な年だったわけ。


さて、今日からおせち作り開始。今年は手抜き宣言をしたので、黒豆となます

とごまめ…ならぬマレーシア風イカンビリスの三品に集中する予定。


黒豆はj関西人には必須の丹波笹山。なますは、いくら作っても夫が食べて

しまうので大根一本丸ごと使い(!)吉野(奈良県)柿の干し柿で自然の甘み

をつける柿なます。おいしくなるのは酢がなじむ数日後からなので、今日作る。


イカンビリスは小魚とピーナッツをから揚げにして甘辛だれをからめたもので、

漬物のように、マレーのご飯定食には定番の添え物。うちでは和風のごまめ

の代わりに重箱に必ず入るのだけど、これまた夫がやたらぽりぽり食べる

のが好きなので、今日作って、年末年始の間おやつにする。


来年が平和で良い年でありますように。