浮気をするにしても、されるにしても、どちらも考えさせられるものです
浮気をする方は、旦那(彼氏)嫁(彼女)を本当に愛しているのなら、罪悪感に苛まれるでしょう
浮気される方は、裏切られた気持ちにいっぱいになるでしょう
あなたはどちらにせよ許せますか?
私はどちらにせよ許してしまいます
それしか道がないので
たった一人の人のために生きていくと決めた時点で、“許せない”という選択肢はないのです
本当に愛しているとわかった時点で、“許せない”という選択肢はないのです
それがだめだと思いますか?
人生損していると思いますか?
そんなもの考え方次第です
どうなろうが勉強なのです
そこで、『私は可哀想な人だ』と思っていては何もかわらないのです
その人しかいないのなら工夫することによって成長するのです
『私は可哀想な人だ』と殻にこもることは、結局は自己防衛しているだけでなにもかわりません
同じことを繰り返したいのであれば殻に閉じこもるのもいいんじゃないんでしょうか?
相手はその行動で確実に傷つきます
ですが、相手がかわるのもひとつの手だと思います
私は相手任せになんかしたくありません
結局相手がかわってくれても自分はなにもかわれてないんです
相手だけ成長しているんです
辛さを受け入れるからこそ成長があるんです
どんなことであれ、成長したいのであればつらさを受け入れることです
受け入れないのも、自己の防衛で良い手だと思います
私はどんなことであれいつまでも成長し続けたい