「私だって頑張ってるんだよ」 | アリス高崎障がい者就労継続支援

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群馬県高崎市にある障がい者就労支援施設です。
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悩みをゆっくり話せる個人相談の時間も大切にしています

 

 

「私だって頑張ってるんだよ」


アリス高崎
ブログ担当 N です



「昨日から野球のワールドベースボールクラシックが始まったよね、」


1人の女性が、朝みんなにその話題を語りかけてきました


「そうだね。日本が勝ってよかったね。」


と他のメンバーが言うと


「そりゃ日本が勝って、よかったけどさぁ… 」


と女性が言いました


「日本が勝ってよかったけどさぁ…
って言ったけど、
日本が勝ってうれしくないの?」


ちょっと不思議に思ったので皆が尋ねました。

すると、女性は言いました、



「そりゃ嬉しいわよ!
そりゃ嬉しいけどね、

 

だけどね、

 

私だって、
ダイエット頑張ってるんだよ❗️❗️」




女性が必死な面持ちで、そのようにみんなに訴えました、



日本が勝ったのは
そりゃ嬉しいわよ…

だけど…

だけど、

私だって…

ダイエットを頑張っているのよ❗️❗️



女性はそのように訴えてきました

この言葉を聞いて、思わずみんな微笑んで場が和みました。


この論理展開の訴えはかなり斬新ですね!

ちょっと強引な話の展開のような気もするんだけど…

でもすごいなぁ

こういう話の展開の持って行き方もあるかぁ!


野球で、日本代表チームが国際大会で勝利したということと、

私だって、ダイエットがんばっているんだ❗️❗️

という事は

全然つながっていない
脈絡のない話のようにも聞こえます。


しかし、この2つの話が全然脈絡なく、つながっていないかと言えば、
必ずしもそうでもないかなぁという気もします


野球の日本代表チームが初戦で勝利できたのは、
やっぱりそれまで、それぞれの選手が精一杯頑張ってきたから、その結果でしょう。

そしてまた、この女性も
「私は私なりに精一杯ダイエットがんばっているんだ」
と主張しているわけです

(結果が出ているかどうかという事は、また本人の納得具合の問題だと思うのですが…)

というわけで、
この2つの話がつながっていると言えば、
つながっているかもしれないわけです


日本代表チームも、

日々ダイエットにいそしんでいるこの女性も、

『一生懸命頑張っている』
という点においては、確かにつながっているわけです


「私だって…」


というこの言葉によって、
昨日の野球の勝利と、
彼女の日々のダイエットは、

『共に頑張って生きている人間同士』

という点において
繋がっていると言えなくもないかもしれません。

 


 

 

「いやー、昨日の大谷選手の活躍すごかったね、」

という言葉が出たとしても、

「そうね。でも私だってダイエット頑張ってるのよ❗」


「いやー、昨日のダルビッシュ投手の投球よかったね、」

という言葉が出たとしても、

「そうね、確かによかったね。
でも私だってダイエット頑張ってるのよ❗」

と、きっとこんな展開になるでしょう



そしておそらくこの会話の論法は、
別に話題がWBCの野球の世界大会の話題の話でなくても、
なんだって別にいいわけです。

サッカーの話だっていいし、

ボクシングの話だっていいし、

なんだっていいわけです。


「そうね。でも私だってダイエット頑張ってるのよ❗️❗️」


どんな話題からでもこの「がんばり」は伝えられるわけです。


別に、スポーツに限った話ではなく、例えば、

「昨日のドラマよかったねー
感動したよ、」


なんて会話があったとしたら、
その後にだって言うことができます、


「そうね確かにいい話だったよね。
でもね、私だってダイエット頑張ってるのよ❗️❗️」


こんなのも成立するわけです


しかし、これはさらに考えていけば、
『ダイエット』
に限った話だけではありません

どんな『頑張り』に対しても、
この論法は通じるわけです


「だけど、私だって精一杯勉強頑張ってるんだよ」


「だけど、私だって精一杯掃除とか、家事とか頑張ってるんだよ」


「私だって、本当は人とうまくやろうと思って、精一杯頑張ってるんだよ」



別になんだっていいんです。

ダイエットの話に限った話ではなく、
この論法の中では、

「私だって精一杯頑張ってるんだよ」

ということを主張することができるわけです。



みんな誰だって認めてもらいたいですよね

自分が精一杯やってるってことを。

 

 

 

 

精一杯仕事やってるってこととか、

精一杯勉強してることとか、

精一杯子育てしていることとか、

自分なりに精一杯人とうまくやっていこうとしているとか、


みんなそれぞれが、
それぞれに、
誰だって
「自分が頑張ってる」
ってこと、
ちゃんと認めてもらいたいですよね。


そうじゃなきゃやってられないですよね


誰にも認めてもらえなかったら…生きていくの辛いですよね…



「私だってちゃんとがんばって生きているんだよ」


誰だって、心の底でそう叫んでますよね


でも、誰もが心の底に持っているその叫びを…

誰もが、誰かに、最もわかってもらいたいその心の叫びを…

わかってもらうために…

それをきちんと言葉に出して伝えられる時って…

ほんと少ないですよね…



そんな心の奥の叫びの

「私だって精一杯生きてるんだよ」

という響きを、
どんな形をとってでも、きちんと伝えていく事は、

それは人間にとっての
ある意味
生きる力かもしれません


だから、この会話の中には、
もしかしたら…『生きる力』が含まれているのかもしれません


「昨日、日本代表が勝ってよかったね、」




「そりゃよかったわよ、

それは嬉しいわよ、

だけどね

私だってね

精一杯ダイエット頑張ってるのよ❗️❗️」





野球の世界大会の初戦の勝利の話題なのに

「私だってダイエットを精一杯頑張っているんだ!」

と、ちゃんと、

『最も伝えたい心の叫び』

を伝えてきたこの女性は

ある意味

ある意味

ある意味

『生きる力』
を持っているかもしれない。



しかし、ここで1つ問題があります

この論法は、かなり強引で無理があるということです。



日本代表の頑張りと

私の、日々のダイエットの頑張りと、

同じ会話の中の1つの発言の中でつなげているわけですから…

ややもすると…

と言うより、多くの場合…

「全然関係ないじゃない、何言ってんの?」

というような反応として捉えられてしまう可能性が…非常に大きい…というのが問題点です



そうなんだけど…

そうなんだけど…

でも本当はなんだっていいのかもしれないんです

その人が頑張っていることを主張する方法なんて

前後の脈絡なんか
どうだっていいから

なんだっていいかもしれないわけです


そうでもしなければ…

人は、
「自分が精一杯がんばっている」
って言うことを
きちんと伝える機会なんて
そうそう持てないと思うんです


前後の脈絡を正しく考えたり


その場に適しているかどうかとか、色々考えたり、


そんなことしてたら、いつまでたっても、

「私だって精一杯頑張って生きてるんだよ」

という
誰もが持っている心の奥底の叫びの響きは、
外に伝えることができないわけです。

誰だって、
心の内のその響きを外に放出ししたいと思っているでしょうし。

そしてその放出された響きは、
「誰かに受け止めてもらいたい」
と誰だって思っているでしょう


だからもうこの際、

前後の話の脈絡なんかどうだっていいから、

誰かが
『精一杯生きているんだ』

という響きを、この世界に伝えてきてくれたら

なんだっていいから、
その響きを受け止めて

「あなた、頑張って生きてるよね」

ってことを、
また響きとして伝え返していく。

そんなことで本当に
人々は、
自分の人生の頑張りを認めながら生きていくことができると思うのです

そういう世の中に少しでもなっていくと思うのです


 


 

 

 

「昨日の野球、日本が勝利してよかったね、」


「それはよかったわよ…けどね…」


「え、うれしくないの?」


「もちろんうれしいわよ。

 

だけどね、

 

私だって精一杯ダイエット頑張ってるのよ❗️❗️」


彼女がみんなに向かって訴えました


アリスの朝のフロアに、彼女のその必死な訴えが響いてきました


その響きを受け止めた仲間が、にこやかに微笑みながら

彼女に伝えました


「うん、そうだよね。
ダイエット精一杯頑張ってるんだよねー」

 



「うん、そうなのよ」

 

 

彼女は満足した様子で、
手元にあった〈脂肪燃焼〉がうたわれているペットボトルのお茶を飲んでいました


みんなもその姿を見て微笑んで、

そしてその日のアリスは、
窓から差し込むおだやかな春の日差しとともに始まっていきました