どうしても書きたかった出来事 | アリス高崎障がい者就労継続支援

アリス高崎障がい者就労継続支援

群馬県高崎市にある障がい者就労支援施設です。
心の病の方が主に利用しています。
安心感と楽しさと仲間同士のつながりの中での回復を一緒に目指していける、そんな場作りを心がけています。
悩みをゆっくり話せる個人相談の時間も大切にしています

 

 

 

 

「どうしても書きたかった出来事」

 

 

 

アリス高崎就労支援

ブログ担当 N です

 

 

きっと、今日の文章はうまくまとめられないと思うなぁ…

とっても言葉に表現できないような事柄があって、
その出来事をここに書きたいんだけれど…

その出来事に、僕が一体何を感じたかということは、
胸の中で溢れる想いが大きすぎて、
当てはめる言葉が見つからなくて…文章にできないような気がするんです…

だからなおのこと文章の構成とかも考えて、1つの作品として作ることは難しいような気がするんです…

でも書きたい出来事があるんです…

「大切にしたいなぁ」
と思った出来事があるんです。

今からその出来事を書いて、
そしてそこで僕が思ったことを、
思いつくままに、ランダムに、脈絡もなく書いてみたいと思います。

だからちゃんとした文章にならないと思うんだけど、
それは僕の中に溢れる想いがあるから、だからちゃんとした文章にできないということです

そんな文章なんだけど、もしよかったら読んでみて下さい。



つい先日の出来事です。
アリスの作業が一通り終わった後、いつもだったらしばらく夕方までのんびり残っている1人の女性メンバーが、
急いで帰りの用意をして部屋を出て行きました。


「あれ今日はずいぶん早く帰って行くけど、何か用事でもあるの?」


何気なく僕が訪ねてみました


「実は今から警察署に行くんです」


その女性の言葉を聞いて、僕はびっくりしました


「なんで今から警察署に行くの?」


ここから説明してくれた女性の話に、僕は胸を打たれました



「実は、私、3ヶ月前に駅前の交差点で
『小さなおさるのぬいぐるみ』
が落ちていたので、それを拾ってあげて、警察に届けてきたんです。

警察で
『持ち主が出なかった場合、所有権を持ちますか?』
と訊ねられたので
『ハイ!』
と答えたんです

そうしたら3ヶ月たったので、昨日警察の方から、

おさるのぬいぐるみの持ち主が現れなかったので、所有権があなたに移りました。
という連絡をもらったんです。

だから今からおさるのぬいぐるみを取りに行くんです!」



そう伝えてくれました


「えっ、そのおさるのぬいぐるみの持ち主が出なかったからって取りに行くの?」


「はい!、所有権は私のものになったから、私の家に一緒に連れて帰って、その子はもう私の家の子です!」


女性は、とても誇らしそうな笑顔で、無邪気な笑顔で
僕にそう伝えてくれました。


僕は、その話と、その彼女の誇らしそうで、なおかつ、とても嬉しそうな表情を見て
言葉にならないような驚きを覚えました。


この世界のものではない何かを見ているような感覚さえ味わいました


もし彼女がぬいぐるみが好きで、ぬいぐるみが欲しいというのなら、
お店に行けばぬいぐるみはそんなに大したお金を出さなくてもいくらでも売っています。

だからただ単にぬいぐるみが欲しいという問題では無いことは確かです。


「警察署まで取りに行く」と、軽く言っていたけど、
アリスから警察署までは自転車で片道30分かかります。
行って帰ってきて
往復1時間です。

自転車で1時間かけて、そして『小さなおさるのぬいぐるみ』を引き取りに行ったのです。


それから1時間位したら、夕方のアリスの部屋の扉がロックされ、開けてみると、その女性がぽつんとそこに立っていました。


「おさるを引き取ってきたから見せにきました」


と伝えてくれ、
所有権が彼女に手渡され、これから一緒に帰って暮らすことになった
『小さなおさるのぬいぐるみ』
を僕に見せてくれました。

それは僕が想像していたよりも、ずっと小さな、手のひらサイズ位のおさるのぬいぐるみでした

せっかくでしたので写真を撮らせてもらったので、ここにそのおさるさんの写真を掲載させていただきたいと思います

 

 

 

 

              
 

 

 

 

手のひらサイズのこんな小さなおさるのぬいぐるみが
駅前の交差点の車が行き交う中に落ちていたから、
車にひかれたら大変だと思って拾ってあげたそうです。

そしてこのおさるはきっと持ち主のところに戻っていくことを望んでいるだろうなぁと思ったので、
警察のほうに連れて行ってあげたそうです。

そしてもし持ち主が出なかった時は、
このおさるは一人ぼっちになってかわいそうだなぁ
と思ったので、その時は所有権を自分に預けて、自分の家で引き取ろうと思ったそうです。



僕は、ものすごい世俗的な俗人の質問をしてしまいました


「ぬいぐるみが交差点に落ちていたから、車にひかれたらかわいそうだと思ったんだね。
でもそしたらちょっと拾って道の脇に置いといてあげてもよかったような気がするんだけど…
どうしてわざわざ警察署まで届けてあげようと思ったの?」


僕の質問は、極めてつまらない、世俗的な俗人の質問です


世俗的な僕に女性は答えてくれました


「おさるさんが
『そうしてほしい』
と私に訴えていたような気がしたんです!」


なるほど…これはもう理屈を超えているなぁ…


僕は、おさるのぬいぐるみをちょっと手に乗せさせて貰いました。


僕の手のひらで、そっと抱きしめさせて貰いました


優しくおさるの頭をなでさせて貰いました


そして俗人である僕は、俗人でありながらも、どうしても伝えたかったことを
このおさるのぬいぐるみに伝えました




「 おさるさん、あなたは幸せだね

この女性のもとに引き取られて、
一緒にこれから暮らしていけるんだよ

おさるさん、あなたは本当に幸せだね

ほんとに見つけてもらってよかったね
 」




僕は、そんなふうに、小さな手のひらサイズのおさるのぬいぐるみに声をかけながらも
胸がいっぱいになっていくのを感じました。

どんな想いで胸がいっぱいになったかというと……全然言葉に表現できないような想いでいっぱいになっていきました。

それに当てはめられるような言葉が
僕の中には見つからないのです。


その時、僕の中に溢れてきた、
小さなおさるのぬいぐるみに伝えた想いは、
ただ単に一人のおさるのぬいぐるみへの思いではありません。

何かもっともっと大きな大切なものを感じさせてもらった気がしたのです。

そしてそのもっともっと大きな大切なものに、自分の心の奥底の魂の深くが、

癒されていったような気がしたのです。


そして、僕が癒されただけでなく、

この出来事を通して
この世界全体が、
深い魂の底から、どこか癒されていっているような
そんな気がしたのです。

だから、その想いを言葉にできなくて
表現できなくて、
だから文章としてもまとまりのない文章になってしまうと思うのです


でも思うんですけど、
言葉にならないような、文章にもできないような
そんな想いこそ、
本当に人が伝えたい想いなんだなぁって

 

そう思うのです


僕の想いを正確に言葉にはできないから、
最初に言った通り、ランダムに、脈絡もなく、なんとなく思いつくままのことをここに書いていきます。

順番はめちゃくちゃです。




僕はよく声には出さないけど…
心の中でこんなつぶやきをしている自分を感じます

「あぁ…こんな風にして、いろいろな人の様々な感情は、
まるでシュレッダーにかけられて消されていくように…
「なかったかのように」して…
扱われていってしまうんだなぁ」


そんなことをぼんやりと
様々な場面の中で感じて、
誰に伝えるわけでもなく、
言葉に出すわけでもなく、
そんなことをつぶやいている自分がいます

本当にそう感じる時が多いです


 

 

大切な人の心


ここから生まれてくる大切な想いだけど、

誰にも気づいてもらえなくて
まるで「なかったかのように」…それはこの世界から消えていく

仮にその言葉をどこかの誰かに向けて伝えたとしても、

その言葉の奥に潜む、本当の心は…誰にも見つけてもらえないで…
あたかもなかったかのように…それは見捨てられてゆく…

葬り去られていってしまう…


それはどうすることもない現実だと思います


ある意味、それがこの世界の現実だと思います


その世界の中で

交差点に落ちている小さなおさるのぬいぐるみが拾われた


小さなおさるのぬいぐるみが拾われた。


おさるは捨て子の迷子にならないように、ちゃんと警察署に届けてもらえた。


持ち主は出てこなかったけど、拾ったその女性がその子の新しい持ち主になってくれた。



おさるは拾われた


おさるは拾われた




僕が今施設で働いていて、何年間もの間で、様々な人から伝えられてきた言葉があります


「誰かに…自分という人間の存在を認めてもらいたかった…」


「誰かたった1人でいいから…自分の気持ちをわかってもらいたかった…」


「自分のような人間がこうしてここに生きて存在しているんだってことを…
誰かにちゃんと気づいてもらいたい…
わかってもらいたい…」


様々な人から、
表現の違いこそあれ、
こうした言葉の響きが

幾度も

幾度も

幾度も

幾度も

僕に伝えられて来ました…


これは、たまたまここの施設に来ている人たちだけの想いの言葉ではなく、

この世の中の空気中に溢れかえっている想いのような気がします。

僕は、こうした言葉を聞くたびに思います


「あぁ、この人の歩んできた人生が

ちゃんと誰かに認めていってもらいたいなぁ」


「この人はこうして生きてるんだっていうことを、
ちゃんとその存在を、
この世界に認めてもらいたいなぁ」


「この人の生きてきた人生が
なかったかのように扱われてしまうような、
そんなことだけはあって欲しくない…」


いつも深く深くそう思うのです

そうした言葉を誰かから聞くたびに…
言葉を超えて、
その人の背中のずっと奥に目を向けるようにして、
深く深く僕はそう思うのです


そして

この世界の交差点で


おさるは拾われた


おさるは拾われた




脈絡のない文章はまだ続きます

僕はこの数ヶ月は、ずいぶん具合を悪くしています。

なんでこんなに具合を悪くしてしまったのだか、自分でもよくわからないんですけれども…
そろそろ限界にきてるなぁという予感はあったんだけど…(もともとの病気の症状を僕は持っているので)とどめることができずに、その症状が発症してしまい、すっかり具合を悪くしてしまいました…

なんとかかんとかギリギリで仕事をしているというのがまぁ正直なところです…


僕が今のように具合を悪くする少し前のことです

このおさるを拾ってくれた女性がとても悲しそうな表情で、夕方1人で椅子に座っていました

それはまだ彼女がおさるを拾う数ヶ月前のことです。

この女性があまり悲しそうな顔で
一人ぽつんと座っているので
どうしたのかと思って尋ねてみました


「ずいぶん悲しそうな表情で座ってるけど…どうしたの?」


すると、女性は僕の質問には直接答えるわけではなく、
彼女の想いを伝えてきてくれました


「私には、Nさんの心はわからないです」


唐突にそう伝えてきてくれました

「どうしたの?
急にそんなことを伝えてきてくれて?」

不思議に思ったので尋ねました




「 私には、Nさんの心はわからないんです…
Nさんの心はわからないんだけど…

私にはわかるんです。

Nさんが、自分の魂を傷つけているって。

Nさんは、自分の魂を傷つけて…人を助けようとしている。

私はNさんに、
自分の魂を傷つけることをしてほしくないんです。

Nさんの魂が傷つくと、

私の魂も傷つくんです。

Nさんの心も気持ちも、私にはわかりません。

でもどうかNさんが自分自身の魂を傷つけるのは
もうやめてもらいたいんです 」




僕は、この女性からの言葉を聞いて心底びっくりしました。

普段こんな複雑なことを言うような人では無いからです

この言葉を言ってもらったとき、涙が出るほどに何かうれしかったです。


でも、この言葉がぴったり僕に当たっているとは
実は思いません


僕の自分自身の感覚というか、実感というのは

僕が、自分自身の魂を傷つけているという感覚は全くありません

もう一度言います

僕が、自分自身の魂を傷つけて、誰かを助けようとしているという感覚は全くありません

むしろ逆です

僕が魂の奥から求める、
その求めに応じて、

どうにもそのように動かなければならないような衝動が僕の中に湧いてきて、

そして、その魂の衝動に動かされて、

僕が職場で人と関わっている…という感じです


自分の中ではそんな感じです。



僕は決してエネルギッシュなタイプではないです。

行動的なタイプでもない。

どちらかというと…
引きこもり気質の非常に受け身的な人間です。

でも、僕が施設で人と接するとき、自分で言うのもなんなんだけど、

おそらく、

相当なエネルギー量をそれぞれの人に注いで人に接していると思います。


もともとエネルギッシュでもなく、
引きこもり気質で
対人関係においては、非常に受け身タイプの自分が、

なぜ、そんなふうに施設の人への支援において、
関わりにおいて、
自分の気質とは違うのに、
そんなにエネルギーを注いでいるかと言うと…

僕の持って生まれた性格とか、気質を超えて、
魂の求めている衝動がそこにあるからです。

だから、その僕が魂の衝動に沿って大きなエネルギーを注いで動いている姿を見ると、

それを見た周りの人たちが、

僕が…自分の魂を削って、人を助けているように…見えてしまうのかもしれません。


だから彼女には僕が、
自分の魂を傷つけているように見えたとしても
それほど不思議なことでもないなと思いました



話はまた脈絡なく飛んでいきます



僕はよく国内のニュースではなく、海外のことを取り扱ったニュースを見るようにしています。

また、映画やドラマなどはほとんど見ず、その分の時間は、海外のドキュメンタリー番組をよく見るようにしています。

僕らが全く知らないところで、
人々がどんな世界で生きて、
どんな感情をそこで感じながら生きているか
を少しでもリアルに知りたいと…自分なりに…思っているからです。


僕の持って生まれた性格傾向というか…気質なのかもしれないけど…

ハッピーなラッキーな出来事よりも、

僕の知らないところで、
世界の人々がどんな悲しみを背負って生きているか…

どんな苦難の中で生き抜いているか…

そのことをできるだけリアルに
自分自身の心を通して知りたいという願いは持っています



知らなければ、

それらの人々の多くの悲しみや 

人生の苦難や、

それを乗り越えようとしている人たちの姿は、

もしくは…乗り越えることなど到底できず…飲み込まれていってしまっているその人たちの姿は…

僕を始め、
誰も知ることがなかったら…
この世界のほとんどの人が知ることがなかったら…

それはこの世界で、

「なかったもの」
として扱われてしまうことになってしまう…


不思議なほどに…
恐ろしいほどに…
奇妙なほどに…

この世界の悲しい現実に対して
同じこの世界の豊かな人たちは
沈黙を保ち続けている

そしてはっきりとわかるのです。
僕もそのうちの1人であると…

地球の遠く離れた大陸のどこかで、あまりにも目を覆うような悲惨な出来事があったとして…
そして全くそのことに対して解決のメドがつかず…
人々が翻弄され…
救いの叫びを求めていたとしても…


僕らのテレビのニュースは
いつもいつも自分の生活に少しでも関わりがあって、
自分たちの生活に、少しでも損になるか得になるか、というニュースだけがトップとして扱われてゆき、

それ以外の事は
「なかったもの」
として扱われて行く

僕はそれは嫌だなぁと思う

それは悔しくもあるし、
悲しくもある

この地球に住む1人の人間として。


だから、地球上の様々な人々の苦難の歩みが
「なかったもの」
として取り扱われないように…
わずかながら…
本当にわずかながらなんだけど…

部屋でこたつに入って
あったかい飲み物でも飲みながらではあるんだけど…
世界のニュースや様々なドキュメントなどを見て
それを
「なかったもの」
にしないようにと…
わずかながらにでも…努めているのです

でも、僕は全然活動的な人間でもないし、行動的でもないから、
特に大きな海外支援活動とか、そんな立派な事は何もしません

普通にいつも通りいつもの職場である福祉施設に行って、
そこに通う人たちの話を聞いている。

それの繰り返しです。


でも、その中に

世界の悲しみを
「なかったものにしたくない」
という僕の心が
連なって
つながっています



だからそういう意味では、
おさるを拾ってくれた女性が僕に言ってくれた言葉、

あれは100%外れているとも言えないわけです


「Nさんは、自分の魂を傷つけている」


再び言うけど、僕は

自分の魂を傷つけているという感覚は全くありません

ただ、悲しみを感じるアンテナは少し強い…かも…しれません


魂は傷ついていないと思うけど、

ちゃんと人間の悲しみを感じ、

そして

そうやって生きている人間の姿が、

「いつかどこかで

ちゃんと報われていく
ということ」



願って止まない心があります




 

彼女が言うように、僕が、

「自分自身の魂を傷つけて人を助けようとしている」

とは、自分では全く思いませんが

ただ

それから、ほんのしばらくしてから、僕の具合が限界を超えて一気に悪くなって言ったのは……それは確かです。

今も回復する見込みのない状態の中で、半分は何とかなるだろうと楽天的に考えて、
もう半分のところで…どうしよう…と青くなっている自分がいるというのが今の状況です。

僕の魂は傷ついていないと思います

ただ…もしかしたら…僕の魂は
世界の悲しみを感じているかもしれません

そして、今の僕は…

この世界の交差点の真ん中で…

行き場を失ってこぼれ落ちてしまった
おさるのぬいぐるみかもしれません…


拾ってもらったおさるは…
あれは僕だったかもしれない


拾ってもらったあの小さなおさるのぬいぐるみを見たとき、

僕の魂が涙を流しているのを感じたけど、

あのおさるは

自分自身だったからかもしれない


 

 

世界中の人々の心が、


私利私欲で動いているこの世界の中で、
それのみを追い求めているこの世界の中で
置き去りにされて


「なかったもの」
として扱われているこの現実の中で、

その
「なかった存在」
として扱われている人々の

心が

存在が

落とされてしまった…


そして

この世界の中心の交差点で

おさるの姿として拾ってもらった。



人々の心が

おさるの姿として拾ってもらった。



あの交差点で拾ってもらったおさるは
僕の姿でもあるだろう

 

 

アリスに通いながら、多くの悩みを抱えながら必死になって生きようとしている
仲間たちの姿でもあるだろう


そして、この世界中の「なかったもの」として扱われていってしまうような大きな悲しみを背負いながらも、
生きている人々の姿でもあっただろう…

 

 

あの交差点の真ん中に置き去りにされていたおさるのぬいぐるみは
そうした人たちの現れだろう




おさるは拾われた


おさるは拾われた



そして僕は、脈絡のない文章の中で、

最後に一言だけ
ここに書き記したい


今、おさるは
1人の女性のもとに拾われ
彼女と一緒におうちに帰り

幸せに暮らしている。

見捨てられた存在としてではなく
大切にされ一緒に幸せに暮らしている

おさるの笑顔は純真な確かなものだった



あのおさるの純真な笑顔は僕たちにつながっている

あの拾われ蘇った笑顔は僕らすべての心につながっている



おさるは拾われた


おさるは拾われた


おさるは真実の笑顔となった


やがて やがて やがて

いつか いつか いつか

全ての人の心に

鏡のように

あのおさるの真実の笑顔は写し出されてゆく



とりとめもなく
とりとめもなく

そう思うのです

そう感じるのです