言葉にはできないけど
アリス高崎
ブログ担当 N です
ずっと何年も前、
ある人が僕に伝えてきてくれた言葉で、
「自分は自分という人間に絶望している…」
と、ぽつりぽつりと伝えてきてくれた言葉がありました。
同じその人が、ある時、ある曲の歌詞の一説を僕に紹介してきてくれました。
僕は初めてその曲を知ったし、初めてその言葉を知ったんだけど、
それがこんな言葉でした
「美しくなんかなくて、優しくもできなくて、
それでも呼吸が続く事は許されるだろうか」
その人曰く、この歌詞を聴くと、
「自分が、どこかこの言葉に救いを求めているところがある」
という話を教えてくれました。
「全然うまくこの世の中を渡って生きていくことができない…こんな自分が呼吸をし続けて、生き続けて、存在し続けることは許されるだろうか…」
きっとそんな問いかけが、ずっとその人の心の中で自問自答されていて、
そしてその問いかけの奥に救いを求め、
そして誰かが同じようにその問いかけをしてくれているという、
その問いかけそのものに救いを感じている部分があるのでしょう。
僕は…この問いかけに対して、
何も言葉にできるものがないのです…
「もちろんだよ。生きてていいんだよ。生きてることは許されてるよ。」
などと、もし言葉に出してしまったら、なんだかもう立派な説教っぽくなってしまって、
その瞬間、その言葉は僕の心から離れていってしまいそうな気がするのです。
だからその問いかけに、僕は…何も言葉にできるものはないけれども…
心の奥では「YES」という響きを、
何度でも、何百回でも、
心を込めて響かせたい想いがあります。
僕がそんな根源的な問いかけに対して
「YES」
と答えられるような、大きな力は何も持ち合わせていないけど、
どうしたってそう伝えたい、そんな心の響きは胸の内にやっぱりあります。
誰かの人生のある局面においては、
もうとにかく、
「生き続けていること、そのことがとにかくすごいよね、」
って、唸るような実感を込めて、そう感じる時がやっぱりあります。
でも…
言葉にすると、それはお説教っぽくなってしまうから…
言葉にすると、それは僕の心から離れていってしまうから…
言葉にはできないんだけど…
声には出せないんだけど…
ただただ、
「生きてさえいればいいよね、
とにかくこうしてこの人生を生き続けてるってことがすごいよね、」
そんなふうに願いと敬意を持って、
しみじみと想う心の響きは胸の内にいつもあります。
どうやったってうまく生きていけないその人の人生を、
それでもなんとかかんとか、
今日を明日に、明日をあさってに、
つなげて生きている…
そういう人の人生に対して、
「生き続けてるってことはすごいよね」
って…言葉には出せないけど…響かせている想いはあります。
「こんな自分が呼吸をして生き続ける事は許されますか?」
と問われれば、
深い実感を込めて何度でも何度でも「YES」と答えたい想いはあります。
「迷子になりながら生きてるってすごいよね」
って、本当は伝えたいな。
10年前の自分にも、
20年前の自分にも、
伝えたいな。
誰かの現在にも、
誰かの過去にも、
伝えたいな。
そして誰かの未来にも、
そう伝えたいな。
本当の心の響きは…
言葉に出した途端、
ちょっぴりそれは陳腐なものになってしまうから…
そしてそれは自分の実感と離れていったものになってしまうから…
だから本当の想いって
いつも言葉にできないんだなって
そう思う