滅びゆくシステムに順応して得られる自信と滅ぶことのない人間の誇りとそういうことについてのつぶやき | アリス高崎障がい者就労継続支援

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群馬県高崎市にある障がい者就労支援施設です。
心の病の方が主に利用しています。
安心感と楽しさと仲間同士のつながりの中での回復を一緒に目指していける、そんな場作りを心がけています。
悩みをゆっくり話せる個人相談の時間も大切にしています

 

 

「滅びゆくシステムに順応して得られる自信と、滅ぶことのない人間の誇りと、
そういうことについてつぶやいてるつぶやき」

 

 

 

 

 ブログ担当Nです。

 

つぶやきです…僕の個人的なつぶやきです

(ちょっと長いです)

 

前回にもつぶやいたけど、

そのつづきのつぶやきです

 

( 実は、このつぶやきは…前の、前の、前の記事である

『虚構のオアシスを作っているのではないのかというう疑いと迷い』

 

 

の記事から繋がって綴った、

四つの文章の連なりからできてるものなんです、僕の中では。

それで今から書くこのつぶやきが、四つのつながりの記事の最後になります )



精神の障害を負った人たちが社会復帰を目指す時、
お金の問題、経済的な安定の問題、
というのはもちろん目的としてあるんだけど、

「働くということによって自信を取り戻したい」

 

というのもあると思うということを前回もつぶやいたけど、


そういうのあると思うんですよね。


働けるようになることによって自分の人生に価値を見出したいとか、

働けるようになることによって自己肯定感をもっと持てるようになりたいとか、

そういう部分って結構あると思うんですよね。

 

(もっと言ってしまえば…

『働けていないことの後ろめたさを早く取り除きたい』

という感覚かも…)


それでもって周りの人、世の中全般もそういった声かけを良くしてるように思うんですよね。


お金を稼げるようになることによって、自分に自信が持てるようになるって確かにありますよね。



そういうのって大切ですよね。


働けるようになって、お金を稼いで、生活を安定させて将来的な不安をあまり持たないで暮らせるようになりたいっていうのは、

これは当たり前の話です。



ただ、僕がどこかでやっぱり引っかかるのは…

前回から書いてるように…


働けるようになることによって、

自分の人生の意味を見出そうとしたり、

人生の価値を見出そうとしたり、
自分の存在の価値を見出そうとしたり、

自己肯定感を持とうとしたり…


そこなんです…
なんかそこが引っかかるんです…


その気持ちは十分わかるんだけど…

痛いほどにわかるんだけど…

何か引っかかるんです…

(…だって、その裏側では常に、それが出来なかった時…

自己否定したり、情けなく感じたり、わけもなく焦って病状を悪化させたり…そういうことが生まれちゃう現実があるわけだから…)


お金を稼げるようになった自分に価値が見出せるようになる、
その感覚ってみんな分かりますよね。

みんながその感覚わかるわけだから、
だからそこに引っかかるんです。

みんなが、

お金が稼げるようになるということに人の価値を見出している部分が、どこか深い奥底の底辺のところにあるから
みんな、


「その感覚、分かるよ」

 

って共有できるわけですよね。

 


でもどうなんだろう?

そこでちょっと気になるのは、

それによって得られる自己肯定感の、その先にあるのは…その感覚が行き着く先は…

じゃあ、

『一番お金を稼いでいる人間がこの地球上で最も肯定されるんだ』

ってことになっちゃうわけです。

そういうことになっちゃうわけです。


馬鹿げているけど、でもコレってたしかにどっかに感覚としてあって、

全く否定はできないかもしれないですよね。


『成功者=お金持ち』って感覚なんとなくありますもんね。

(そういうイメージと言った方がいいかもしれないけど)


でもでも…もっとワールドな地球的な規模で考えたらどうなんだろう?


よくこんな話を聞くけど、

 

この地球上のすべてのお金の8割とか9割のお金は

地球全体の人口の中のほんの0.01%ぐらいの人が全て持ってるってよく聞きますよね。

(正確な数字は忘れちゃったけど)

巨大な巨大な巨大なお金持ちっていうのがほんのほんの数パーセント存在していて、

その人たちが世界中のお金のほとんどを持っているわけですよね。

そしたら…その人たちがもっともお金を稼いでいるわけだから、

その人たちがさっき言ってたような価値観の中で

『最も肯定されるべき人』

のわけです。

じゃあ、そのほんの数パーセントの人たちは、一体何でそんなに巨大なマネーを動かしているかっていうと

たぶん…

一つには、今までの長い歴史上では、世界中のあらゆる戦争や紛争によって、たくさんたくさんのお金を稼ぎ出してきた武器商人の大財閥の人達でしょう。


それと株価を架空のビッグマネーで乱高下させて、世界中の経済を揺さぶって、それによって巨額の富を生み出しているモンスター的な投資家たちでしょう。

恐らくこういった人たちが世界中のお金の8割とか9割ぐらいを手にしているのでしょう。

この人たちが成功者です。


お金を稼いだら持てる自信とか、自己肯定感とか、獲得できる自分の人生の価値とか、
そういう感覚の先の、その先で、

『最も尊ばれる人』は、こういった人たちだということになるわけです…


そして世界中の大多数の人たちが、そのために多大な悲惨な現実を押し付けられているわけです。

世界中の大多数の人たちが残りの1割か2割のお金をわけあって

その先のその先のその先の

一番端っこの方で

時給何百円か稼げることによって

「肯定される自分の価値」

とは一体何だろう?


どう考えたってこのシステム全体が歪んでいる、それは明白だと思うんですよね。

最もその歪みを背負って、その被害を受けているのは…

世界中の飢えた人達ですよね…


障害を負った人たちが障害者雇用を目指して何とか頑張って目指しているその先に……その歪みの影はないだろうか?


早く少しでも精神の病気が良くなって、そして働けるようになってもらって、安心した人生を送れるなら送ってもらいたいなってやっぱり思います。

そして自尊心を
お金を稼げるようになることによって、取り戻せるなら、
そうであってもらいたいと思います。


でもでも無条件に手放しで、そう思えないです。


世界的な規模で考えた時、
その歪みの先で得ようとしている自己肯定感に…
何とも言えないやりきれなさを感じずにはいられないです。

 

 


今年になってから NHKスペシャルで、ずっとシリーズで2030年までに人類が取り組まなければならない課題の特集をやっています。

食料問題とか、水の問題とか、様々な環境問題、気候変動の問題…

2030年までに解決しなければならないそれらの問題を特集してシリーズでやっています。

今のままの社会システムで行けば確実にやがてこの地球上は、人類が暮らせなくなってしまう星になってしまうというのは
もう科学的なデータとして出てしまっているようです。


それは30年とか50年くらい先かもしれないけど、

それよりもっとずっと前に、
ある臨界点を超えると、もう後戻りすることができない地点というのがあるそうです。

もう人類が地球上に住めなくなってしまうという方向に進むしか、後戻りはできない状況の臨界点というのがあるそうです。

それを2030年までに解決しないと
もう歯止めが効かなくなるその臨界点を突破してしまうようです。

 

それをずっとテレビで特集としてやっています。


つまりあと8年です

たったの8年です

人類が存続できるかどうか、その臨界点に行ってしまうかどうか

そのために残された時間は…たったの8年くらいだそうです。

 

 


この深刻な問題に対して何をどうしたらいいのかというのは僕は分からないけど…

僕がここでつぶやきたいのは、

 

僕らが…または障害を持った人たちが、
必死になって適応して、
なんとかかんとかしがみつくようにして合わせて適応させていって、


そうして自分の価値を確認しようとしているそのシステムは…

あとほんの数年で、地球を人類が住めない星にしてしまうというシステムなわけです。

これはもう間違いのない科学的なデータとして出ている話なわけです。


このゆがんだ社会システムのままでいったら
人類は滅びていくということが分かっているのに…

 

 

 

あえて障害者の就労という話に限定して言えば、

どこかある一面において
その人類を滅ぼして行くシステムに必死になって適応させて行こうとしているという部分がふくまれているわけです。

…などと偉そうに言えないかな…僕はそう感じるんです…というくらいです…


出来るだけ視野を世界的範囲に広めて、
突き詰めて考えていけば、
つまりそういうことになるんじゃないのかな…って僕はすごくそう思うんです。

 

 

『社会適応』とは、何に「適応」させているかというと…

…つまりこの地球という惑星を人類が住めない星にしてしまう社会システムに『適応』させていくということだとも言えるわけです…そう思うんです。



何度も同じこと言うけど、

そのシステムに合わせられたら得ることのできる自分の人生の意味って…それって何だろう…?

そのシステムに合わせられたら生まれてくるっていう
その自己肯定感って…それって何だろう…?

 

逆にこのシステムに合わせられなかった時生まれてくる自己否定感って…それって何だろう…?



障害者の就労とか
障害者の働くことによって得られる自尊心とか
そういう個別の問題を、こんな世界的な規模として結びつけて、なにも考えなくてもいいんじゃないかって、そんな角度からの視点もあると思うんだけど、

やっぱり僕はそういうこと考えちゃうんですよね。

もうすぐこの星を滅ぼして行ってしまう社会システムに順応させて行くことに躍起になっているということに、

( つまりそれは現実的に生きて行くということなんだけど… )

何も疑問を感じないで無自覚的でいたくはないな…やっぱりそう思うんですよね



そういう歪んだシステムの問題とか限界値に達してる環境問題とか
それをどうしていったらいいかとかいうことは、僕には分からないんだけど、

その問題をここで書いているわけではなくて、

障害を負った人たちが感じる、
自分自身に対する「自信」とか「尊厳」とか「誇り」はどこにあるんだろうって…そのあたりのことを考えるわけです。

このシステムに順応できなかった自分に対して感じる

「後ろめたさ」

ってなんなんだろうって考えるわけです。

ちょっと強い言葉で言ってしまうと、このシステムに順応していくことによって少しでも 『人並み』 に近づけて、得ようとしている

 

「納得させたい自分の価値」

 

ってなんなんだろう?…って……






施設でよく


「よくあれだけの苦難を乗り越えてきたもんだなぁ…」


といったような、ぼんやりとした独り言のようなつぶやきを時折聞きます。
(しかしそうは言っても大抵の場合…まだその苦難は終わったわけではなく…その最中で…もしくはまた次の病状の波が襲ってきたりするわけなんだけど…)

僕はそうした独り言のようにつぶやかれる言葉の奥にある実感の中に…

絶対的に否定することのできない、その言葉を発した人間の人生の「誇り」を感じるのです。

決してそれを誰も否定することのできないような
人間としての誇りをその言葉の中に感じるのです。



どんな社会システムの中においても、

どん底の苦難をくぐり抜けてきた人間から出てくる、
そうした独り言のつぶやきのような言葉の中に

普遍的なその人間に対する誇りを感じるのです。

 

 

 

 

 

 

もっと言ってしまえば…

 

 

そうしたつぶやきの中に、

 

長い苦難の歴史を歩んでつないできた、人類一人一人の歩みの『誇り』を感じるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

太古の人々は夜空の無数の星々をつないで、そこに星座の物語の神話を作り出してきました。

 

 

同じように今、

 

まるで、プラネタリウムの作られた人工の闇の中に、

そこに映し出される

小さな光の一つ一つを星に見立て、

それをつなぐようにして

星座にして物語を作って行く。

 

 

その作られた闇の中でしか生まれてこないストーリーがあるとしたら、

 

その物語の先を見てみたい。

 

 

だからその作られた闇の中の、

小さな光の星々を大切にしてそれをつないでいきたい。

 

 

闇をくぐり抜けている人間たちの、

 

「よくあれだけの苦難を乗り越えてきたもんだなぁ…」

 

と、独り言のようなつぶやきの中に込められている実感を、

 

プラネタリウムの闇の中で、

小さな光を星に見立て

星座にして繋いでいくようにして、

 

その先の物語を生み出していきたい。

 

 



……

 

 

 

 

…ということを僕はつぶやきたかったのです。


つぶやきは Twitter でやるべきものなのだろうけど
僕は Twitter をやったことがないのでやり方を知らないし、

そもそもそれ以前に、ここで書いたつぶやきは、どう考えても文字数がオーバーしちゃってるな。

だからここでつぶやいたんです。

 


おしまい。



あっ、

おしまいにする前にもう一言だけつぶやきたかった…



どうか人類の未来に光がありますように