沢木耕太郎の最新刊「夢ノ町本通り」を読みました。沢木氏の「本」に特化したエッセイ集です。

「本を買う」

「本を読む」

「本を語る」

「本を編む」

「本を売る」

各章毎にいろいろと綴られており、沢木氏の読書遍歴を知る事にもなります。「深夜特急」を抜きにしては語れない沢木耕太郎氏のルポライターとしての作品の数々。氏の青年期から壮年期にかけては、ルポライターとして数々のノンフィクションの傑作を編み出し、その後小説へと路線を変更したかと見えました。

 

評判の高い「壇」「凍」は未読ですが「波の音が消えるまで」を読んだ時には、少々ガッカリ感を味わったので、やはりノンフィクションのライターと小説家は、違う資質を必要とするのだなと思ったりもしました。映画化もされた「春に散る」を読んだ時も、私の感想は同様で、氏の発表する小説にはあまり期待しなくなりました(上から目線で・・・)沢木氏の書くものは、時折仙台へ帰る新幹線の中で読む車内広報誌「トランヴェール」の巻頭エッセイを読むくらいでした。

 

沢木氏の情報もあまり出てこなっていたところへ、去年の「天路の旅人」が発表され、こちらはまぎれもないルポルタージュ。と言っても戦中に中国大陸を密偵として潜入した西川一三の功績は 西川自身の著書もありで、目新しいものではなかったとしても、沢木氏の眼をとおしてのルポは 私には少々難解でもあり、退屈な部分(失礼)もありで読むのに努力を要しました。

 

そして今春から始まったTBSラジオ、俳優斎藤工による「深夜特急」の朗読。沢木氏原作の「春に散る」の映画上映、NHKのクローズアップ現代に登場したりと、沢木氏の姿を目にすることが多くなってびっくりでした。

 

話を本書に戻して、一番びっくりしたのが「本を語る」と「本を編む」の章でしょうか。壮年から老いの域に差しかかった沢木氏は、本の書評や山本周五郎の作品集の監修のような仕事をしていたのです。そのための膨大たる読書の量たるや・・・。本が仕事場からあふれてしまって、二度ほど本の処分(本をブラジルに送ったり、東日本大震災の地元へ寄贈したり)したそうです。最近の沢木氏は、文芸評論家の肩書だっておかしくないと言えるような仕事ぶりでちょっと意外でした。

 

最後に本に関するエッセイ集なので、あれこれと感想を書くことはありませんが、沢木氏は 大学を出て一日で会社(富士銀行)を辞めて、「物書き」としてやっていこうと決心して今日まで来たとの事。大学の講師の話や、いろいろな話が合ったけれど、どこにも属さずに筆1本、一匹オオカミでやって来た事を 自分の矜持としている・・・、こんなことを書かれていました。そんなところが、氏が目上の人に可愛がられる所以かもしれません。どこにも属さずに ひとりで書物の世界で生きて来たというのは本当にすごいことです。

 

そして最後に 70歳代も半ばに差し掛かった沢木氏は言うのです。自分にとっての「甘美な時間」とは・・・「本を読む事」「スポーツをしたり観たりする事」「映画を見る事」「旅をする事」・・・この4つであると。そしてこの4つは 幼少の時からずっと変わっていないと。

 

ちょっとうれしかったのは 「スポーツは全く×の私ですが、観るのは大好き。「本」も「映画」も「旅」も大好き。沢木と同じで、ミーハーな私は それだけでうれしくなりました。あと2年で70歳になる私ですが、これから永遠に旅が出来るわけでもなく、一年一年、体に老いを感じ始めて来て、体が元気に動くうちにやれる事を、優先順位をつけて考えてみようと思いました。

 

付記:沢木氏の山本周五郎の「樅木は残った」についてのエッセイを読んで、さっそくNHKオンデマンドで1970年の大河ドラマ「樅木は残った」総集編を観てみました。故郷仙台藩伊達家のお家騒動記なので、原田甲斐の平幹二朗はもちろん知っていましたが、吉永小百合や栗原小巻、田中絹代、北大路欣也、芥川比呂氏、佐藤慶、志村喬などなど、往年の名俳優たちがたくさん出演していてびっくり。今から50年以上も前のドラマので、大仰な音楽やナレーションには、少々違和感を感じましたが、みんな若かったな~と懐かしく観ました。