子供達が小さい頃、本当に、経済的に苦しい状態だった。

フランスは、共働きが普通。

仕事をせずに、主婦、という人は、珍しい。

大抵は、産後2ヶ月くらいから、職場復帰する女性が多い。

 

だけど、私たちは、子どもたちのバイリンガル教育のこともあって、幼稚園に入学するまでは、私が、子どもたちと一緒にいた。

なので、アリスが3歳で、入園したと同時に、本格的に仕事を探し始めた。

でも、失業率の高いフランスで、外国人である私が職を見つけるのは簡単なことではなかった。

 

しかも、私は元シルバーアクセサリーのデザイナー。

宝飾デザインを続けたくて、履歴書もあちこちに送ってみたが、ダメだった。

唯一、かの「カルティエ」で、社長面接を受けられたのが、ポジティブなことだった。

就職には至らなかったけれど。

 

結局、大型家具店で、販売員の仕事を見つけた。

 

土曜日も出勤の職場だった。

お給料も、少なかったけれど、私も、わずかながら、収入を得られるようになった。

ちょうど、公営団地に入ることもできたので、子供達には、苦労はかけずに済んだと思う。

 

この写真は、ちょうどその頃、団地に住んでいた時のもの。

 

 

古い団地だったけど、安い家賃はありがたかった。

それよりも、子供達の笑顔がいつもあったから、仕事内容にも収入にも不満があっても、我慢できた。

同時に、私は、子宮内膜症の治療中で、私にとっては、いい思い出のある時期ではなかった。

 

だけど、子供達がいたからこそ、頑張ってこれた。

 

 
歳を重ねるたびに、状況が少しずつ変わった。
会社勤めを辞めて、料理教室を夫婦でするようになってから、我が家の経済危機は、ようやく抜けられた。
 
なのに、、、
どうして、、、
あなたの笑顔が、もうこの世にないのか?
 
もし、生きていたら、今年は大学3回生。
多分、日本留学していたと思う。
その学費だって、ちゃんと出してあげられるくらいになったのに。
一緒に沖縄旅行もしよう、って言っていたのに。
 
ずっと、暗いトンネルの中を走っていた。
でも、先に明るい未来が見えていた、と思っていた。
だけど、トンネルを抜けたら、大きな落とし穴が待ってた、、、
 
私の人生って、何?