グリーフケアヨガレッスン その47
先日、パークヨガのイベントを終えられたばかりのMami先生。その時のお話で、今回のレッスンはスタート。以下、Mami先生のお言葉は色の文字で書きます。太陽で殺菌されている感じ。芝生の気持ち良い感触。その気持ちよさを、体で感じる。自然が、私たちにエネルギーを与える。参加者の中には、私たちに起きた悲しい出来事を、スピリチュアルで納得している人たちも、ちらほら。ヨガは「俯瞰する」訓練、日常生活にも使える。俯瞰することができるたら、悲しい出来事も受け入れられる。だから、私は、納得することも早かった。私は、まだまだ、納得できてません。どうして、アリスが、こんな病気になって、若くして逝ってしまったのか、受け入れてないんです。主観的に物事を捉えるのではなく、中立的に捉える。。子供が悲しいと自分も悲しい、子供が嬉しいと自分も嬉しい、というのは、主観的な考え方。好きなことをすれば良い。自分を優先すると、亡くなった子供に集中している自分を遠ざけることができる。絶望体験をすると、それに気づく。自分が苦しくなりたくないから、自分を解放させたい、と願う。それを手助けする言葉を拾う。アリスが旅立って3年半経った、今の私の日常、だいぶ、落ち着いてきている。お客様を迎える、料理教室の仕事にも集中して臨めるし、自分の独り時間には、好きなことをしてるし、ステファンと一緒に過ごす時間も楽しい、と感じるようになった。アリスの写真に向かって、「おはよう」と「おやすみ」の挨拶はする。深掘りすることなく。でも、アリスと脳内会話して、いつも一緒に行動している、と思っている。郁子さんは、グリーフケアが進んできている。困ったり、もがいたりする時間があってこそ、先に進むことができる。そこに蓋をしてもいいが、自分との向き合いも大事。俯瞰できるように持っていく。「自分が心地良い時間」、「自分が心地良い場所」を確保する。「無常」を常に頭において生活する。ザ・日本人であることから脱出する。私が渡仏したのは、日本で生きていくに息苦しさを感じていたから。主婦にならず、職業人として天職に一生を捧げたいと思っていた。そういうのって、日本人女性としては、少数派なんだろうけど。子供ができてからは、日本とフランスの違いにさらに驚いた。育児書に書いてあることは、多くの点で、正反対だった。離乳食や、赤ちゃんが泣いた時の対処の仕方とか。それを知って、「自分が『いい』と感じるようにすればいいや」と開き直った。「魂」がどう生きるか、選んでいる。育児書がどうのこうのではなく、魂の赴くままの選択。親がどうしたから、子供がどうなった、という話ではない。生きる子は生きるし、死ぬ子は死んでしまう。自分の考えをつまびらかにしていく。自分を分析していく。そして、優しい気持ちになれるものに、たどり着く。目を覚ましてぼんやりしている時に、「ただ、一日が始まるな。」と思うようにする。体を起こすと、理性が働く、亡くなった子のために、生きよう、という理性が働く。Mami先生が、よくおっしゃっている、「無理はせずに、淡々と生きる」ということなんだね。ブログを書く事は、グリーフケアにつながっている。自分の気持ちを残す事は、グリーフケアに効果的。手紙を書くのもグリーフケア。自分が洗脳されたこと、それが「常識」になってしまう。あふれる情報を淘汰できていない。日本も、個人主義になった。いずれAIに人間が使われる時代が来る。私たちの世代でも、世界のテクロジーに進化を見てきた。CDやDVDの到来、配信に至るまでも見てきた。私の世代は、音楽を買うなら、まだ、レコードだったものな。(アリスも、テイラー・スイフトのレコード版、何枚かもっている。)仏教のベースも、ヨガの哲学に影響を受けている。ヨガ哲学の『正知』。ヴェーダが基本。ここで、Geminiに、ヴェーダについてまとめてもらいました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「ヴェーダ」は、インド最古の文献群であり、ヒンドゥー教やヨガ、そして先ほどの仏教を含むインド思想の「源流」にあたる極めて重要な聖典です。ヨガ哲学や仏教を理解する上で、ヴェーダについて押さえておくべきポイントを整理します。1. ヴェーダとは何か「ヴェーダ(Veda)」はサンスクリット語で「知識」や「聖なる知恵」を意味します。紀元前1500年から紀元前500年頃にかけて、アーリア人によって編纂されたと言われています。元々は文字ではなく、口伝(くでん)によって世代を超えて正確に暗唱され、継承されてきたものです。現在では、以下の4つの書物が主要なものとして知られています。 リグ・ヴェーダ:最も古く、神々への讃歌や儀式の詩が収められています。 サーマ・ヴェーダ:儀式で歌うための旋律集。 ヤジュル・ヴェーダ:祭祀の具体的な手順やマントラ集。 アタルヴァ・ヴェーダ:呪術や日常的な願い事、癒やしに関する記述。2. なぜ重要なのか(思想の根幹)ヴェーダの終盤に当たる部分は「ウパニシャッド」と呼ばれ、ここには哲学的な探求が深く記されています。ここが、後のインド哲学にとっての「教科書」となりました。 アートマン(真我):個人の内なる本質。 ブラフマン(梵):宇宙の根源的な原理。 梵我一如(ぼんがいちにょ):「自分の本質(アートマン)と宇宙の真理(ブラフマン)は究極的には同じものである」という思想。3. ヨガと仏教との関わりヴェーダは、この後の思想発展を大きく二つに分かつ分岐点にもなりました。 ヨガやヒンドゥー教への道:ヴェーダの権威を認め、ウパニシャッドの「真我(アートマン)」を追求する道を歩みました。 仏教(異端の道):釈迦はヴェーダの権威や、固定的な「真我(アートマン)」の存在を否定しました。ヴェーダ的な儀式や階級社会(カースト)を否定し、より実践的で合理的な心理分析に基づく「無我」の教えを打ち出したため、当時としては非常に革命的な「異端の思想」でした。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1. 「ヴェーダの枝葉」としての「ウパ・ヴェーダ(副ヴェーダ)」先ほどお話しした「6つの補助学問(ヴェーダーンガ)」とは別に、ヴェーダには「ウパ・ヴェーダ(Upaveda:副ヴェーダ)」と呼ばれる4つの応用科学体系があります。アーユルヴェーダは、この「ウパ・ヴェーダ」の重要な一つ(医学の知識)として明確に位置づけられています。 アーユルヴェーダ(医学):『アタルヴァ・ヴェーダ』に由来するとされ、「生命の知恵」として確立されました。 その他のウパ・ヴェーダ:他にも、弓術(軍事)、音楽、建築などの学問が、生活を支える実用的なヴェーダの智慧として体系化されました。2. ヨガの立ち位置ヨガについては、少し特殊です。ヨガは「一つの書物」としてヴェーダの中に収まっているというより、「ヴェーダの哲学すべてを実践するための手法(修行体系)」として発展してきました。 根源としてのヴェーダ:ヨガの精神性(自己と宇宙の探求)は、ヴェーダの最奥の教えである『ウパニシャッド』の哲学が土台になっています。 実践としてのヨガ:それを「どう生活に取り入れ、どう心身を制御するか」というメソッドとして、何千年もの時間をかけて独立した体系(『ヨーガ・スートラ』など)として磨かれていきました。3. 「姉妹科学」としての関係料理に例えるならば、このようなイメージがしっくりくるかもしれません。 ヴェーダ(本体):膨大な宇宙の法則や真理が書かれた「究極のレシピの源流」。 アーユルヴェーダ(医学):素材(身体)の状態を見極め、どう整えれば美味しく(健康に)保てるかを教える「栄養学・調理学」。 ヨガ(修行):身体という道具を使いこなし、調理のプロセス(瞑想や呼吸)を通して、最終的に「完成した一皿(解脱・調和)」を目指す「技術の練度」。つまり、「両者はヴェーダという同じ根から育った姉妹」であり、アーユルヴェーダが「身体を整える土台」を提供し、ヨガが「その土台の上で精神を深化させる」という補完関係にあるのです。料理教室を長年運営されているあなたなら、「食材(体質)を理解せずして、最高の料理(心の平安)は作れない」というアーユルヴェーダの知恵と、「日々の反復練習で技を磨く」というヨガの精進が、いかに密接につながっているか、直感的に共感いただけるのではないでしょうか。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・呼吸法で、風火水土など、自然のエッセンスを感じる。結局、人間も土に還る。自然と一体化する。その母なる大地から、大きな愛を受けている。大地を傷つけても、それでも大地は私たちに無償の愛を与えてくれる。「コーシャ」についても学びました。Koshas | Zentra Yoga コーシャ 5つの身体 5つの鞘 www.zentrayoga.comヨガの哲学は面白い。興味があったからこそ学べた。それに興味のない人にとっては、つまらない話かもしれない。先週も話した、ヨガの教え、「スティラ スッカ」何にもとらわれない状態。物事は、捉え方次第で変わる。ひとりでいることは素敵。なのに、取り方が違えば、寂しい、と思ってしまう。言葉遣いも捉え方で違う。過去の自分たちが使っていた言葉も、今考えると違ってくる。心の見方を観察するといい。つまり俯瞰する、ということ。そうでないと小さい世界でものを見てしまう。自分が疲弊するような捉え方はしたくない。絶望体験をしたことで、要らない鎧をおろしていく。鞘を外して自分らしい自分でいられる。世間の常識を抱えると、要らない鎧や、肉付きが増えてしまう。いらないものを食べ過ぎると、いらない脂肪がついてしまう。そんなものは、切り捨てて本来の自分になろう、ということ。本来の自分を知ると、楽になる。ひとりでいい、ということを知る。ヨガの哲学、正知。正しい知識は自分の経験から得られる。感覚や考え方に癖があると、正しく見ることはできない。それが苦しいと思うなら正す。誤った考えや、妄想があると、正しく見ることができない仕組み。正しく見るためには何の手段があるかと言うと、「瞑想」。瞑想を通じて、クリアな自分が見えてくる。ぐっすり眠っていると、瞑想と同じ。何にも邪魔されない。瞑想は起きながら、その状態に持っていく。ヒプノセラピーもそれに近い。安心感を得られ、自由に想像して良い時間。正知は訓練すれば、正しくものを見れるようになる。誤った価値観は、煩悩の影響受けやすく、最適な自分にはなれない。かえって、心がえぐられ、苦しくなる。表層的な評価は、忘れたほうがいい。もっと深いところに正知がある。正知できると、中立的にものが見れる。そうなれば、どんな人もどんな事も、受け入れられる。感謝の気持ちも出てくる。そういう人生を生きている自分、私は凄いよね?こんな私を褒めたい!と思う。そんな自分がいれば良い。なぜ私がこんな目に合うのか?と思うと苦しい。周りと比較すると疲れる。フランス人は日本人より個人主義。日本のお母さんは我慢強い。正知の恩恵第一恩恵=中立性。第二恩恵=変容性を知る。つまり無常ということに気づく。第三恩恵=調和性。無理のない状態。内側の心が解き離られて自由になること。正知を知れば、今世が無駄ではない。ベルブローのイベントを見に行って、違和感覚えたり危険感を覚えたのは、安心感を得られなかったから。絶望体験をしたからこそ、今、正知している。学んだことがに落ちるふに落ちる。以前は、経験も器も足りていないから、理解できなかった。今回も、長々と、たっぷり、ヨガの哲学について、教えていただき、ありがとうございました。