わたしのおばあさん~前編 生い立ち | うさぎ跳びな日々☆

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シングルのワーキングマザー。娘との日々、笑ったり、悩んだり、悟ったり、楽しく、おかしく、ちょっと切ない日々、母子で必死に駆け抜けた怒涛の中学受験から大学受験。
リアルな気持ちをお伝えできたら…。
一緒に笑ってください!!

敬老の日企画、ブログネタで祖父母のことを書いたので、
その中でも、hiroが2歳半で、祖父が亡くなってからマンションの上下に住み、hiroが中学になってからは一緒の家に住んでいた母方の祖母について書いてみます。

祖母には、色んな事をおそわり、色んな話をしてもらいました。一杯お世話になったし、小さいとき、まだ世帯が別だったときはよく「おばあさんち」に上がり込んでご飯を食べたりしました。hiroの半分は祖母に育ててもらったようなもんですね。お料理が上手で、よくお総菜を持ってきてくれました。

大好きだったのに。
hiroは祖母のピンチを何ともしてあげられなかった。そばにさえいてあげなかった。感謝も、さよならも、伝えられなかった。

なので、このブログネタで、祖母の人生を書いて、感謝と謝罪をしたいと思いました。
ちょっと長いし、重たいかもしれないので、読みたいと思ってくださる方だけ読んでいただければ結構です。

全部実話です。でも祖母の過ごしたあのころはこういう人生も特別なことではなかったのかもしれませんが。

明治45年2月11日に紀州の方で誕生した祖母。
物心つく頃、家族で満州に渡たりました。
幼くして両親を亡くし、叔父叔母の家で育てられ…
14でお見合いによりはじめの結婚。
可愛い男の子を出産したものの1歳の誕生日の誕生日の3日前、流行病で亡くし、夫家族と元々合わなかったこともあり、離縁。叔母さんの家に戻りました。

少しも経たないうちに、叔母さんによって、14歳年上の、×2の男性とお見合い。結婚。
それがhiroの祖父です。

そのとき祖父30歳 祖母16歳。

祖父には1番目の奥さんに引き取られている8歳の男の子ゆきお(祖母とはたった8歳差)。亡くなった2番目の奥さんの残した5歳の女の子、フミヱがいました。
しかも。祖父のお母さん。hiroのひいばあさん。祖母にとってのお姑さんは家付き娘で、離婚して、女手一つで祖父を育てた人。きつい性格の人だったそうです。

祖父と結婚して、いきなりお母さんになって、途中、祖父の1番目の奥さんが亡くなって、11歳になったゆきおが引き取られました。それまでに親戚をたらい回しにされ、ひねくれていて、祖母は手を焼いたといっていました。

「かぁちゃん!先生が呼んでるから学校いってくれ!」

問題を起こしては、祖母が呼び出しを受けていたそうです。
母と言っても若すぎる祖母に、先生も家庭の事情はご存じなので、イヤなことを言われたことはないそうですが。

そんなゆきお(hiroにとっては叔父です)も、赤痢にかかり、祖母の手厚い看病を受け穏やかで明るい本来の性格に戻ったそうで。
祖母は時に優しく、時に厳しく、もしかしたら実の母以上に頑張ったんだと思います。

優しくすれば、「実の子じゃないから、甘やかしてだめにする」と言い、厳しくすれば、「実の子じゃないから、辛くあたる」と言った、姑も、晩年は祖母にしっかり介護され、祖母が見えないと心細がる様な様子で、終戦の年、満州からの引き上げ直前に、亡くなったそうです。

ゆきお叔父は戦地におもむき南の島で戦病死しました。

出征の直前に祖母が産んだ女の子を見て、「次戻ってくるとき、この子はもう歩いてるだろうね」といったそうですが、その女の子も、僅か3日で亡くなってしまいました。すごく綺麗な赤ちゃんだったそうで。美人薄命の最たるものですね。

その他にも、流産を繰り返した祖母。
唯一、無事に育ったのが、日本に引き揚げてから産まれた私の母(産まれたときは里芋のようだったらしい)でした。

そのころにはフミヱ(hiroにとっては叔母)は、満州で結婚した旦那さんとの間に母より1つ上の男の子がいて、更にその後、叔母は2人の、母より年下の女の子を産むのですが、叔母の旦那さん、インテリで、叔母のことをめちゃめちゃ愛していたけど、甲斐性がなかったため、フミヱが働きに出ることに!

そして、フミヱの子供達(hiroの従姉妹たち)は祖母のところに預けられることになったのです。

母、3年生のある日。
学校から帰ると、母のおもちゃで遊ぶ母の姪っ子たち!!怒りMAX!何かにつけて姪をいびりつつ、姉貴風を吹かせる幼い日の母。
後年、従姉妹Aは「あのいじめは半端じゃなかった」とhiroに語りました。
なんだかんだいいながらも、従姉妹2人と母は3姉妹のように仲良しですが。

それから、高校卒業くらいまでの時間を、祖母は、1男3女を育てたわけです。

そして、孫(母と同年代のhiroの従姉妹たち)が3人結婚しても、娘である母は一向嫁がず、そんな中、祖父は高齢のため寝たきりに。
祖母、祖父の介護生活スタート。
寝たきりになる前の祖父は亭主関白で、懐が大きくて、優しくて、お人好しで、頭が良くて…
一時期は会社を持ったこともあったけど、お人好しに、人の借金の保証人になって破産。
何度だまされても、人を信用する祖父はすばらしいけど、祖母はとても苦労したそう。


そして、母結婚。

3年ほどの後hiro誕生。
そして、2年半後、祖父が亡くなります。

祖母は沢山の愛しい命を見送って、別れをいっぱいしてきた人です。
そんな人生だったから、祖母は気が強くて、芯のしっかりした女性だったけど、とても優しかったです。
孫のhiroにも
がちがちに厳しくもなく、でれでれに甘くもなく。
自然体な、昔ながらの「ばぁちゃん」でした。
怒ると怖かったけど、ほしがれば「おかあちゃんには内緒だよ」
と、小さいhiroにたまにコーヒーを飲ませてくれる祖母でした。お小遣いも内緒でくれたり。
高校に入った頃は、母とけんかし、あまりの理不尽を祖母に愚痴ると、
「そりゃ、おかぁちゃんもいけない。一回懲らしめてやンなさい。家出費用はおばぁちゃんがだしてやるから。」
そんなことを言う祖母でした。

小さいときから、祖母とはけんかもしました。
「くたばっちまえ!くそばばぁ!」
絵本でみた悪い言葉を幼い口で叫んだことも。
「二度きてやんない!」
「あぁ!二度と来るな!」
そんなやりとりをしても、その後、そっと覗きにいくと
「なんね?きたのか。まぁあがんなさい」とおやつを出してくれました。

同居してからは、気を遣っていたのでしょう。父が大事にすればするほど小さくなって、喜びながらも恐縮していました。いくら大事にされてもずっと謙虚でした。

祖母の人生を聞いて「おばぁさん、辛くなかった?」と聞いた私に
「辛いと思えば辛いだろうが、それが運命と思えば、しかたないがね。悪いことばかりじゃなかろう?」

諦めや、悲観ではなくて、祖母は100%自分の人生を受け止めていました。

「おじぃさんのこと、あいしていた?」
「そうさね。好きも嫌いも、この人とくっつきなさいと言われたら、私は親もおらんかったからね、嫁くよりしょうがないじゃないね。でも、情はあったかねぇ。良い旦那さんだったんじゃないかね」
そういって祖父が亡くなっても結婚指輪を生涯はずさなかった祖母は祖父が亡くなったのと同じ84歳で亡くなりました。


おばあさん、いっぱいありがとう。hiroはたくさん大事なものをものではなくもらったよ。
第一、体のよわかったおばあさんが、頑張って生きて、何度も子供を亡くして辛くても、やっと母を産んで育てたから、hiroがここにいるんだよ。