うさぎ跳びな日々☆

うさぎ跳びな日々☆

シングルのワーキングマザー。娘との日々、笑ったり、悩んだり、悟ったり、楽しく、おかしく、ちょっと切ない日々、母子で必死に駆け抜けた怒涛の中学受験から大学受験。
リアルな気持ちをお伝えできたら…。
一緒に笑ってください!!

人一倍明るく元気なおてんば娘と、はちゃめちゃな日々。

そして、恋、仕事。

今日も元気いっぱい…たまにしょげたりもするけど。そんな毎日が詰まっています!

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大学入学の記事を先に書いてしまったので、順番が逆になりましたが…。

3月7日 娘無事Y学園を卒業いたしました。

当初、保護者は来校2人まで、参列1人まで(もう1人は教室でライブ映像を流す)でしたが政府からの発表をうけ、2人参列、式の間卒業生は点と斉唱時以外はマスクは自由となりました。

お天気にも恵まれ、とても暖かく穏やかな日で朝には、同じバスケ部の同輩とみんなで写真を撮りましたが、みんな晴れやかな表情で式に臨んでいきました。

4日にバスケ部の母娘でご飯会をしてみんなの進路を報告しあったばかりでしたが、その時点で第一志望の結果待ちが2人いて、そのうち1人は、卒業式の朝、会ったときに 合格の報告をしてくれました。もう1人は卒業式当日が発表で…帰宅した娘から無事合格の報告を受けました。バスケ部すごい!目

みんな本当に良かった。クラッカー

娘は、いわゆる中二病的な時期もあり、遅刻、成績低迷、課題を出さない、など頭を悩ませた時期もありましたがあせる中1からずっと学級委員を務め、中3からは生徒会の役員も務め、部活もやって、卒業にあたっては進路決定者が中心となって準備した謝恩会の総副責任者も務め、更には、同窓会の委員を引き受けて卒業…!!

誰よりも学校大好きで、学園を楽しみつくした6年間でした。

いろいろなことがありました。

生活態度も成績もよくない娘がなぜ学級委員に選ばれることが納得いかない担任の先生に、面談で『なんでか選ばれちゃったんですよねぇ…DASH!と心底嫌そうにため息をつかれ『なんか、すみませんむかっとしか言えなかった中学1年生の頃。

すごく生徒をよく見てくださる担任に当たり、少しずつ落ち着き始めた中学2年。
家でも英語の単語テストなどの準備をバトルになっても、手伝ってさぼらないようにだいぶ手をかけましたあせる

学校からは、娘封じ?なのか3学期だけ学級委員を決める際に「1,2学期やってない人に」という謎ルールができ、娘は「1,2学期に準備して、結果だけ横取りされるむかっむかっむかっとぼやいてもいました。 


だいぶ生活態度も落ち着き、高校へ向けて文理で迷ったりしつつ、部活ではだいぶ先輩らしくなったものの、最後はコロナ禍で自宅待機からそのまま卒業式もできなかった中学3年

ちらほらマスクをしたほうがよさそうな空気が世の中に漂いだした2月の初めに実施された合唱祭が、通常通り行われた最後の行事でした。
卒業式で校長先生が「あれは奇跡の合唱祭だったと思います」とおっしゃったのが印象的でした。

自宅待機になった当初は、まだオンライン授業の環境も整っておらず、ちょうど授業に導入が始まったタブレットで連絡事項を確認して、送られてきた課題を印刷して、仕上げて、期日までに学校に郵送したのを覚えています。

そこから徐々に、オンラインの環境が整いオンライン授業での高校1年生開始。

画面越しにでもお友達の顔が見れた時のうれしそうな様子を覚えています。

私も隔日でのリモート勤務になり、仕事をする私の横で娘は授業を受けているという貴重な時間も過ごしました。

高校1年生の6月ごろ、分散登校開始。
学校に行けること、お友達と会えることを心待ちにして登校していきました。
しばらくぶりに登校した初日は涙が出そうだったそうです。

高校2の学園祭、もし、コロナ禍がなかったら、例年通りの学園祭で、楽しんで終わったかもしれないけれど、制限の中で何ができるか、「どこまでならできますか?」「何ならやっていいですか?」「こうしたら許可してもらえますか?」学校に、先生に食い下がって可能な限り楽しくしようと工夫していました。

クラスの中心となり、先生にも被写体として協力してもらってクラス展示の動画を作り(先生出演の動画を見せる喫茶店みたいなものをやった)夜中まで動画編集をしていました。

先輩たちのまねではなく、新しい形態のクラス展示を生み出したことで、思い出だけじゃなくて自信になったんじゃないかと思います。

生徒会役員としては税理士さんの講習を受け、今まで生徒には許可されていなかった物販も実現しました。

卒業式で在校生からの送辞で『学園祭での物販を実現してくださってありがとうございます』という文言があり、娘たちが頑張ったことを後輩もちゃんと受け止めてくれているんだと嬉しくなりました。ラブラブ

高校3では、AO入試で一足早く始まった娘の受験、出願の為に夏休み明け早々休んで提出書類作成をしていたら担任からさんざん電話で圧力がかかり、「いやがらせか?!叫びと思うレベルでイライラもしました。パンチ!パンチ!
もともと学校がAO入試をあまり推奨していなかったのでやりづらい部分もありましたが、信念を曲げずに結果を出せたので…結果オーライです。(この辺りの話はまたいずれ、入試の振り返りで記事に書きます)

卒業生代表の答辞の中で
コロナ禍で制限のある高校生活で、大人からはよくかわいそうといわれるけど、コロナ禍があったから、学校に来られること、友達と会えること、つらいときに誰かがそばにいてくれることが当たり前のことではないのだと知ることができました。

とあり、コロナ禍さえも、彼女たちの青春の一部なのだと思いました。目

思春期の6年間を過ごす場所として、偏差値よりも進学実績よりも 本人の気に入る、空気の合う学校ということを最優先して中学受験をした結果の『卒業式』。
この日を迎えてやっと、娘の中学受験が本当に成功だったんだなと実感しました。

本日4月1日

娘〇〇、無事大学入学式を迎えました


11月に総合型選抜で合格をいただき、5ヶ月弱。

浮かれたり、だらけたりしていた5ヶ月でしたが

3月27日にガイダンスがあり、履修の説明会を受けてきました。

履修登録の期限が短いこともあり、急に忙しくなりスイッチが入った娘です。アップ


この先、総合型選抜(AO)入試の記事を書いていきますが、娘はKO大学にご縁をいただきました。✨

入学式は日吉にあるキャンパスで学部によって午前、午後に分けて実施。

保護者のキャンパスへの動向はお断りとの事で

hiroは、お家でYouTubeで配信を観ました。

おじい、おばあも一緒に見られてよかったです。配信ありがたい!合格


娘は午後の部だったので

早めのお昼ご飯でお赤飯と鯛のお祝いご飯でした。



お吸い物は桜のお麩入です。



お天気に恵まれて、マンションの下の枝垂れ桜もギリギリ残っていて、見送りがてら写真とれました。グッド!


駅に向かうスーツの後ろ姿を見送りながら

これから始まるキャンパスライフが楽しく充実したものであるように祈らずにはいられませんでした。目ラブラブ


入学式のあとは乗換駅で待ち合わせて、お祝いをくださった方への内祝い手配です。ウインク


娘は大学受験で総合型選抜を選択しました。

もちろん、総合型選抜で思うような結果がいただけなかった場合は一般入試も受ける予定でしたが
総合型選抜試験にかなりの力を注いだといってもいいでしょう。

学校からは、AOに全振りすると、全滅した時につぶしが利かない(一般入試に間に合わない)ので、とかなり口酸っぱく言われましたが、完全に全振りしていました。

ただ、hiroも娘も最初から総合型選抜入試に全振りしていたわけではないのです。

総合型選抜試験(AO)を始めに意識したのは中学3年の秋でした。世の中がコロナ禍に翻弄され始めるすこし前です。

当時はまだ、中学受験でお世話になった栄光ゼミナールに個別指導でお世話になっていました。

夏に学校で行われた保護者会で先生方から、
「この学年は高1で2020東京オリンピックがありますから、来年、オープンキャンパスなどが通常通り行われるかどうかわかりません。今年、少しでも大学を見に行ってください」
というアナウンスがありました。

当時は、みんなあんまり重く考えていなくて
「そういわれても、まだ全然早いよね」という反応でしたが…。

我が家では「来年以降はお友達と行くだろうから、まずは今年ママと行こう」と説得し数校だけでも見に行くことになりました。(⬅︎自分が行ってみたかった)ドンッ

まだ全く進路が決まっていなかった娘、最初は、美術系に興味があるかもと、多摩美と東京造形大学を見に行きましたが、実際に美術系の大学で生徒さんたちの作品などを見た娘は「このクオリティは自分には無理。自分は趣味程度のレベル」と美術系への進学はすっぱりあきらめてしまったので、
では…と、上智大学と早稲田大学のオープンキャンパスに行ってみました。

「全然 学力足らないし!受からないし!むかっむかっむかっ

とぶぅぶぅ言っていましたが…。
人ってやっぱり一番最初に見たものを基準にしやすいと思うので、最初は上位校を見に行くのがいいかなと…。

早稲田、上智にあこがれて猛勉強してMARCHに入れたら大成功!と思っていました。

さて、このオープンキャンパスの直後に塾の面談がありまして、
先生にオープンキャンパスに行ってきたよという話をしたわけです。

その中で、「早稲田は勢いがあったけど、上智の方が雰囲気が柔らかくて、好き」というような娘の感想があり、塾の先生が「では」と資料を出してきてくださったのですが…

そこで出たお話しが
「最近 AO入試を取り入れている大学が多くなってきた。」
「今までなら、一般入試で余裕で上智に受かる学力の生徒が、落ちてしまって
なんでかな?と思ったら、AOで先に取ってしまうから、募集人数〇人となっていても実際の合格者数はもっと少なくて AOとった後に残った枠しかないから倍率がすごくなっちゃう」

ということでした。

「1つの受験形式として、AOも候補に入れたほうが、行きたい学校へのチャレンジ回数は増えますよ」
というアドバイスと
「お嬢さんは、どちらかというとAO向きだと思っています。性格的に」
という後押しがあり

hiroの中で急激にAOという入試形式が大きくなったのでした。

それでも、まだAO入試は何か特別な能力や実績があるお子さん方の為の入試なのでは…という気持ちでいたのですが…。




娘の中学受験の結果
もう少し6年前を思い出して書いていきます。

中学受験終わられた方も、入学までの過ごし方大事なので…。気を抜かず、4月からスムーズに中1の授業を受けられるように頑張ってください!スタートとても大事です

さて、
入学のための説明会に参加した日の出来事です。
説明会前後で制服の採寸や体育着や上履きの注文がありすごくごった返していました。

講堂での説明会の後、檀上の先生から

「受験番号241番の方、お伝えすることがありますのでこちらまでお越しください」

ん?

娘の受験番号でした。

お伝えすることとは…。はてなマークはてなマークはてなマーク

他の親子の皆さんが講堂から出て行こうとする流れに逆らって、マイクで呼び出しをされていた先生の足元まで、たどり着きました。

「ここではちょっとお話しできないのでついてきていただけますか?」

ここにきて、合格は手違いでしたとか…入学できないとか…まさかないよね?ドクロ

hiroシングルマザーなので授業料払えるかとか心配されて呼び出された?叫び

いろいろ不安な気持ちでいっぱいになりながら今度は、人波を縫うように足早に講堂をでて階段を駆け下りていく先生に必死で着いていきました。

途中、幼稚園からバレエ教室でいっしょだったお友達のママさんにお会いして声をかけていただいたけど、急いでいたのと不安とでちゃんとご挨拶できなくて…。ダウン

1フロア降りて、教室のある階につくと、空き教室に通されました。

入り口近くの机を4つ、向かい合わせの面談型に手早く並べ替えてから、わざわざ入口の扉を閉めに行かれたので、込み入った話なのかな…と。あせる更に不安になったのですが

「お願いしたいことがありお呼びしました。今年の入試で最高点をとられているので、新入生代表の言葉をやっていただけないでしょうか



…え?

一瞬の虚無ののち、思わず力が抜けたhiroのとなりで、娘は思わず一瞬立ち上がっていました

本人さえよければ、せっかくのお役目なのでと引き受けることになりました。

そうだよね、びっくりするよね。
受かるかな?あせるとドキドキして結果を見たんだもの。まさか最高点とっていたなんて合格

過去問、たくさんやった成果だと思いました。



娘の受験は 試験を受けに行った学校はすべて合格。
しかも第一志望に最高点での合格。新入生代表を任される…。

受験としては大成功だったと思います。

しかし、12歳の子供にとってこの結果は良かったのか悪かったのか。爆弾
性格にもよるのでしょうが、娘にとっては、中学入学からの生活で、油断、慢心…そこに厨二病がかさなり、入学から2年ちょっと、大変な暗黒期に突入する事になったのです。

いや、もう成績低迷、遅刻常習で、毎日学校から電話📞。面談ではボロクソに言われるし、そのくせ、なぜか学級委員に選ばれてて、それについて担任の先生から
「なんでかわからないんですけど、選ばれちゃったんですょ。ハァDASH!。もっと成績も良くて、生活態度も安定した生徒さんも立候補していたのに、なんでなんですかね。ハァDASH!
と言われる始末。

まぁ、今となってはそんな時期もあっての今の娘なので、ちゃんと厨二病、反抗期を経たのもよかったのかなと思えるようになりましたが…。

因みにhiro自身は中学受験、第一志望に落ち、第二志望に補欠入学でした。
入学までの春休み、入る時点でビリなのだからあせると悲観的になり、数学の予習にいそしみ、中1、1学期中間テストでクラスの最高点をとってました音譜。(数学だけですが)

合格して、それで終わりではなく、そこから始まるので、受験後から入学までの過ごし方大事です。
(初めにも書いたフレーズですが、大事な事なので最後にも書きました!)

受験が終わった娘は結果がよかったことも相まって今までの分を取り戻すように遊びまくりました。

周りのお子さんたちも、やはり今まで塾通いで遊べなかった分もあり、また、卒業が近付いていることによる団結感?のようなものもあり学年全体が浮足立っていました

毎日放課後は遊びに出かけ、男子も女子も混じって十何人という集団で公園だったり誰かのお家に上がり込んでいたり…。

hiroは仕事をしていますから日中家にはいないわけです。帰りも夜なわけです。
おじぃ、おばぁ、だけでは何を言っても…な状態になり。

17時には帰ってくるように約束させてもとにかく帰ってこない。むかっ
19時過ぎまで公園で走り回っていたりするわけです。叫び

さらに、娘には小さいころに練習用で自転車を買い与えていましたが、その自転車が小さくなってからは、おばぁが交通事故を心配して絶対に嫌だというので自転車を与えていませんでした。

周りのお友達が自転車であちらこちらに行くのに一緒に遊びに行きたい娘は、お友達のaちゃんの家に自転車を借りに行っていたようですドンッ

aちゃんのお家では毎回快くお兄ちゃんの自転車を貸してくださっていたようなのですが…。
謝恩会でaちゃんママにお聞きするまで知りませんでした…。あせる

aちゃんはというと、毎回一緒に遊びに行くわけでもなく一緒に行っても結構早めに帰宅していたようです。

皆がまだ遊んでいたから!

と娘は言い張るのですが、時間になると徐々にみんなそれぞれの門限に合わせて帰っていき人数が減る中、最後のメンバーまで残って遊んでいたみたいなんですね…。

そんな状態が卒業式近くまで続きました。

あんまり、電話やメールで帰宅を催促すると、携帯を持たずに出かけるという暴挙に出るので…叫び
それで居場所がわからない、いざというときに助けが呼べなくなっては意味がないので、仕事中、夕方になると子供携帯(まもりーの)のGPSで居場所を確認してはイライラする毎日でした。むかっむかっむかっ

塾通いの時は、自習室に21時、22時近くまでいて、それから帰ってくるというのもあって、夜で歩く事に抵抗が無くなっているのもあり、本当にこの時期の門限破りはいくら言っても改善されず大変でした。汗

事故や事件に巻き込まれずに済んで本当によかったですが。受験終わったのに気が休まらない日々でした。