大学入学の記事を先に書いてしまったので、順番が逆になりましたが…。
3月7日 娘無事Y学園を卒業いたしました。
当初、保護者は来校2人まで、参列1人まで(もう1人は教室でライブ映像を流す)でしたが政府からの発表をうけ、2人参列、式の間卒業生は点と斉唱時以外はマスクは自由となりました。
お天気にも恵まれ、とても暖かく穏やかな日で朝には、同じバスケ部の同輩とみんなで写真を撮りましたが、みんな晴れやかな表情で式に臨んでいきました。
4日にバスケ部の母娘でご飯会をしてみんなの進路を報告しあったばかりでしたが、その時点で第一志望の結果待ちが2人いて、そのうち1人は、卒業式の朝、会ったときに 合格の報告をしてくれました。もう1人は卒業式当日が発表で…帰宅した娘から無事合格の報告を受けました。バスケ部すごい!
みんな本当に良かった。
娘は、いわゆる中二病的な時期もあり、遅刻、成績低迷、課題を出さない、など頭を悩ませた時期もありましたが中1からずっと学級委員を務め、中3からは生徒会の役員も務め、部活もやって、卒業にあたっては進路決定者が中心となって準備した謝恩会の総副責任者も務め、更には、同窓会の委員を引き受けて卒業…。
誰よりも学校大好きで、学園を楽しみつくした6年間でした。
いろいろなことがありました。
生活態度も成績もよくない娘がなぜ学級委員に選ばれることが納得いかない担任の先生に、面談で『なんでか選ばれちゃったんですよねぇ…』と心底嫌そうにため息をつかれ『なんか、すみません』としか言えなかった中学1年生の頃。
すごく生徒をよく見てくださる担任に当たり、少しずつ落ち着き始めた中学2年。
家でも英語の単語テストなどの準備をバトルになっても、手伝ってさぼらないようにだいぶ手をかけました。
学校からは、娘封じ?なのか3学期だけ学級委員を決める際に「1,2学期やってない人に」という謎ルールができ、娘は「1,2学期に準備して、結果だけ横取りされる」とぼやいてもいました。
だいぶ生活態度も落ち着き、高校へ向けて文理で迷ったりしつつ、部活ではだいぶ先輩らしくなったものの、最後はコロナ禍で自宅待機からそのまま卒業式もできなかった中学3年。
ちらほらマスクをしたほうがよさそうな空気が世の中に漂いだした2月の初めに実施された合唱祭が、通常通り行われた最後の行事でした。
卒業式で校長先生が「あれは奇跡の合唱祭だったと思います」とおっしゃったのが印象的でした。
自宅待機になった当初は、まだオンライン授業の環境も整っておらず、ちょうど授業に導入が始まったタブレットで連絡事項を確認して、送られてきた課題を印刷して、仕上げて、期日までに学校に郵送したのを覚えています。
そこから徐々に、オンラインの環境が整いオンライン授業での高校1年生開始。
画面越しにでもお友達の顔が見れた時のうれしそうな様子を覚えています。
私も隔日でのリモート勤務になり、仕事をする私の横で娘は授業を受けているという貴重な時間も過ごしました。
高校1年生の6月ごろ、分散登校開始。
学校に行けること、お友達と会えることを心待ちにして登校していきました。
しばらくぶりに登校した初日は涙が出そうだったそうです。
高校2の学園祭、もし、コロナ禍がなかったら、例年通りの学園祭で、楽しんで終わったかもしれないけれど、制限の中で何ができるか、「どこまでならできますか?」「何ならやっていいですか?」「こうしたら許可してもらえますか?」学校に、先生に食い下がって可能な限り楽しくしようと工夫していました。
クラスの中心となり、先生にも被写体として協力してもらってクラス展示の動画を作り(先生出演の動画を見せる喫茶店みたいなものをやった)夜中まで動画編集をしていました。
先輩たちのまねではなく、新しい形態のクラス展示を生み出したことで、思い出だけじゃなくて自信になったんじゃないかと思います。
生徒会役員としては税理士さんの講習を受け、今まで生徒には許可されていなかった物販も実現しました。
卒業式で在校生からの送辞で『学園祭での物販を実現してくださってありがとうございます』という文言があり、娘たちが頑張ったことを後輩もちゃんと受け止めてくれているんだと嬉しくなりました。
高校3では、AO入試で一足早く始まった娘の受験、出願の為に夏休み明け早々休んで提出書類作成をしていたら担任からさんざん電話で圧力がかかり、「いやがらせか?!」と思うレベルでイライラもしました。
もともと学校がAO入試をあまり推奨していなかったのでやりづらい部分もありましたが、信念を曲げずに結果を出せたので…結果オーライです。(この辺りの話はまたいずれ、入試の振り返りで記事に書きます)
卒業生代表の答辞の中で
コロナ禍で制限のある高校生活で、大人からはよくかわいそうといわれるけど、コロナ禍があったから、学校に来られること、友達と会えること、つらいときに誰かがそばにいてくれることが当たり前のことではないのだと知ることができました。
とあり、コロナ禍さえも、彼女たちの青春の一部なのだと思いました。
思春期の6年間を過ごす場所として、偏差値よりも進学実績よりも 本人の気に入る、空気の合う学校ということを最優先して中学受験をした結果の『卒業式』。
この日を迎えてやっと、娘の中学受験が本当に成功だったんだなと実感しました。