こんにちは。霊視鑑定のアリスです。

 

看取られた側の気持ちについてお話します。

 

 

子供や孫に囲まれて手を握られながら穏やかに亡くなるのが良い亡くなり方で、死に気が付かれず腐乱死体となって発見されるような亡くなり方は良くないという風潮があります。

ですがこれは亡くなれば分かるのですが実は大して違いはなく、例えるなら今日のお昼は和風にするか、洋風にするかといった程度の違いです。

 

子供や孫に囲まれて所謂理想の亡くなり方をした魂とも会話したことがありますが、大抵は病の苦しみで誰がいるとか気に掛ける余裕がなかったとかお腹がすいていた、喉が渇いていてそればかり思っていた、そもそも意識が無かったから死後にこんなに人がいたと気が付いたとか、自分は理想の死に方で穏やかに逝けたと死の場で思う魂に会ったことはありません。

 

また、見世物みたいで嫌だったとか普段会いに来ない奴が何で今更来るんだと思っても、その場では言えず飲み込んで亡くなったという魂もいました。

 

逆に事後処理が大変な亡くなり方をした魂でも、自分は誰にも看取られないって分かっていたから何も思わなかったとか、意識を失っていつの間にか死んでいたから孤独死がどうとか考えなかったとあっけらかんとしている魂がほとんどです。

中には、一人で死ぬなんてと死の間際にあがいた魂もいましたが、亡くなってしまえばそれはそれでと受け入れるものです。

 

余談ですが、孤独死は事故物件として扱われますが、一人で生活していて病で亡くなったというケースは事故物件扱いする必要はないのではないかと思うくらい故人の魂の浄化は早いものです。最初から誰も供養しないと分かっている魂は地上に未練が無く、長く留まることが滅多に無いからです。

 

 

良いとされる亡くなり方、悪いとされる亡くなり方、そのどちらの声も聞いたことがありますが、共通しているのは「死を体験するのは一人」ということです。

絶対に自宅で亡くなりたいと希望し、家族や子供に囲まれ死の苦しみもなく理想通りに逝けた魂の声で印象に残っているメッセージがあります。それは「一人で死にたくないと思っていたけれど、人は絶対に一人で死んでいくものだと死後に理解できた。死んだ今、死に方にこだわっていたことを恥ずかしく思う」というものです。

 

こういう看取り方にしてあげたかったとか一人で死なせてしまって申し訳なかったという後悔は、実は故人にとっては既に終わったどうでもいい出来事です。気に病むあなたを見て、気にする必要はないと笑っているでしょう。

 

 

死の瞬間にどれだけ人がいようとも誰もいなかろうとも、死を体験するのはあくまで1人。人生の最後は絶対に1人なのです。

これはネガティブな考えではありません。人はどこまでいっても1人だからこそ、自分の人生を自己責任で生き、自分はどんな人生にしたいのか問いかけ選び、道を切り拓く権利があるということなのです。

 

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