こんにちは。霊視鑑定のアリスです。


良き因果と悪しき因果の判定についてお話しします。



良き因果を作りましょう、悪い因果は作らないようにしましょうと言われますが、因果という言葉自体が曖昧なため良し悪しの区別がついていない方もいると思います。


霊界が良し悪しを決める基準は動機です。

行為の動機が自分のためであれば悪い因果、見返りを求めない真に他者のためであれば良い因果です。



具体的な例を挙げてお話ししていきます。


例えば落ち込んでいる人がいて親身に励ます、これは行動だけ見ると良い因果のように見えます。


ですが、動機が親切にしている自分に酔っていたり、自分はいい人だと思われたいという願望が根底にあったり、また落ち込む理由が相手の自業自得であった場合ただ励ますことは相手のためになりません。

これらは悪い因果となり、打算的もしくは身勝手な相手に苦しめられるという結果で返ってきます。



また例えば年老いた親の面倒を見る、これは親切で優しく思えますが動機次第ではただ悪い因果を作るだけの行為になります。


いい子供だと思われたい、面倒をみないと親戚からの目が怖いというのは代表的な悪い因果を生み出す動機です。

親が自分に感謝しないと文句を言いながら介護している人が多いですが、それは根底に自分がいい人に見られたい理解されたいという身勝手な動機があることに気がつかなければなりません。

だらだらと親子でお互いに文句を言い合いながら一緒に生活しているのは、ただお互いに悪い因果を作り出し続けている不毛な行為です。



では良き因果とはどういったものなのでしょうか。

それは動機に打算や見返りがなく、相手にとって本当に必要な行為であった場合です。


人は自分の動機を深く見つめません。いい人に思われたい、感謝されたいというのは代表的で、その他にも承認欲求を満たしたい、楽をしたいなど挙げたらキリがありません。相手の幸せのためにというのも、その裏側には自身の安心や相手から好かれたいというエゴが隠されていることもあります。

動機が自身優先であった場合、霊界は悪しき因果としてカウントします。



相手にとって本当に必要な行為であった場合ですが、これには霊的な目線が必要不可欠です。


面倒を見たり肯定することが必ずしも相手のためになるわけではありません。全許容と自己犠牲は、最も自覚なく悪しき因果を作り出す原因です。

ギャンブル依存症で生活苦の人にすべきなのはお金を渡すことではなく治療を受けさせることのように、時には突き放すことが相手のためになることもあります。


また相手が年をとっているから、逆に子供だからと何でも先回りしてやることは本人のためになりません。親切にされることが当たり前と勘違いしたり、出来ることを自身の力でやる努力をしなくなるからです。

本当に相手のためにやるべきことなのか、世間の価値観や情に流されていないか、冷静な目線を持つようにしてください。頼まれたら断れないという裏側には、いい人に思われたい願望があることに気がついていない人がとても多いのです。


因果を作り出すのは動機です。行為そのものではありません。

何かをする際には自身の心を見つめて動機を知ってから行うようにしてください。