私が仕事を辞めたのは昨年の末。
創業60年弱の老舗の生花店。
私はそこに3年いた。
実質上の倒産。
時期が時期だったので、私は正月休み中。
気がついたら会社が潰れている、といった感じだった。
不謹慎にも、私はその時喜んでしまった。
勿論、一生懸命勤めて、花と接客が好きで
毎日楽しく頑張っていた仕事だったのだけれど、
アリスのそばにいてあげられるということが何よりも大きくて、
その先の未来は不安に思うどころか、幸せに思えた。
私自身物心つく前から、夜は家でいつも一人だった。
一緒にくらしていた時もあった祖母は、母と衝突してすぐに出て行ってしまった。
母は夜の仕事だった。
夜の7~8時に出て行く。帰ってくるのは翌朝3時か4時。
それまで、まだ5~6歳の子供がたった独りで家にポツン。
ご飯は何もない。
お風呂にも一人じゃ入れない。
何も出来ない。
待つことしか出来なかった。
家中を染め上げていく真っ黒な空。
いつも、夜が母を連れて行ってしまう。
不安で、恐ろしくて、心細くて、
たくさん気味の悪い恐怖が、意識全体を覆い隠してきて、
私に一人だということをいやでもわからせる。
芯まで怯えきって、どれだけ泣いても、誰もなだめてはくれない。
だから、『一人』が恐かった。
母が仕事に行くまでは泣くのをこらえて、母の足あとが聞こえなくなって思い切り声をあげて泣く。
毎日、毎日、家中のガラスが割れそうなくらい大きな声をあげて泣いていた。
なぜ母がいなくなった後に泣くのか?
母に迷惑を掛けたくなくて、
母を困らせたくなかった。
アリスを置いて仕事場へ向かうとき、ふいに見つめるアリスの瞳に
小さい時、自分が淋しくて泣くのをこらえていたときの気持ちがよみがえる。
私がどこにもいないことを察知すると、
のどが潰れてしまうくらい泣き叫ぶアリスが、たまらなく不憫で、悲しくて、辛い。
こんなに淋しい思いをさせるくらいなら、
アリスは私に出会わなかったほうが良かったのではないか?とさえ思ったこともあった。
だから、今だに仕事をしていない(探してもいない)私は、
アリスのそばにいられることを心から幸せに思える。
私の自己満足かもしれない。
でも、アリスが悲しい声を出すことがめっきりなくなった今は、
その事実だけで充分幸福なのだ。
大人になった私は、あの、暗くて淋しいだけの思い出にすら感謝してやまない。
母にも、祖母にも。
こんな私を理解してくれているダンナにも。
みんな、みんな、ありがとう。