must and should | Rakuenありす ~自然農園/農薬・化学肥料不使用

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孵卵器で孵ったペキンバンタムとポーリッシュの雛ダンテ。
生まれて初めて育児ノイローゼを体験したヒヨコ育て。
ダンテの娘アビーは神経質で、
乱暴者で大食いいたずら坊主の南部かしわ鶏。
棲息生物の方が運営者より強い「Rakuen」日誌です。

2019年8月19日

 

must and should

 

 日本人っておそらく「want」ではなく「must and should」で生きてきた、そして今も生きている民族だよなぁ、と思う。そういう意味で言えば、朱鷺(shuro)も、種族は鳥類(ですらないかも?)でも、日本人の血が流れているというか、縁はあったんだろうなぁ、としみじみるのであるが。

 お金も「want」にではなく「need」にしか使えないのは、単に自由になるお金の絶対量の問題かも知れないが、時々夢見る、ほら、宝くじの一等当選! (買わなきゃ当たらんぞ!)

 でもな、もし数億円のクジが当選し、無事に換金して自らの口座に入金出来たとしても。まぁ、必要な場合は使うが、おそらく生活水準自体は変わらないだろうな、と思う。使い慣れてない金額を使うとこころがすり減る。それに、必要以上のお金はやはり要らんもんだから、そのまま寝かせておくか、あちこちに寄付しまくるか…あるいは、あれだね、「野良猫の夢」を細々と始めてみるか、だろな。

 実は、お金を使うっても、ものすごいエネルギーの要ることだと最近気付いた。ほんとうに自分がすり減る。

 すり減るほどの金がなくて良かったのかも知れん。(負け惜しみ~)

 

 さて、must and shouldは、どこまで我慢すべきなのか。今まで生きてきて、朱鷺(shuro)は、ほぼそれのみで遂行してきたような気がする。それ自体に疲れたわけではないと思うのだが、ある頃から、限界の閾値を超えると吐き気を催すようになった。無理しているつもりはなかったのだが、ほんとうはそうではなかったのだろうか、と茫然としてしまう。

 今回の、インタビュー記事に関する相手からの、むしろ、ごく当然の反応に、もう「無理!」サインが出てしまった。それを押して自ら推敲し直すことはほんとうに不可能か? と言ったら、もしかして、出来るのかも知れない。やってみたらそれほどではなかったわぁ♪ となるかも知れない。(でも、たぶん、無理!)

 と、何度か考えて原稿を開こうとするのだが、嘔吐までいかずとも、心身ともに害することだけはなんとなく予想出来て、…結局出来なかった。

 何故だろう? と考えてみる。

 プライドを傷つけられた?(つまり、それはイコール存在否定になるんじゃよ。)

 ま、それは確かにあるが、これって、そういう問題じゃないハナシであろう。

 無償で行うことに限界を感じた?

 これは、ある。だけど、今まではそれでまったく問題なく遂行出来ていた。いや、そもそも、その今までもすでに無理していたんだろうか?(なんで自分で分からんのか分からない…(--;)

 ということで、実は、未だに何がそんなに朱鷺(shuro)を怒らせ、意気消沈させ、鬱に至らせたのかが判然としない。

 must and shouldで言えば、完全に反しているのだが、限界を我慢することも正しいことではないので、もう止めた。

 以前、限界を超えていたのにそれに気付かず、あろうことかある会場でぼろぼろ泣いてしまった。あんな風に自分を制御出来なくなる事態は避けたい。

 

 もう一件の方は、解決しつつある。なんのことはない。相手が忙しかっただけらしいと分かった。

 

 朱鷺(shuro)の寿命はあと19年。

 であれば、9年サイクルがあと2回経験出来るはず。(ほんとか?)

 種まきは何にもしていなかったから、今年刈り取る収穫物はほぼないに等しいであろう。であれば、来年の冬支度と共に体調を整えて、次なる種のために構想を練ろうかなぁ、とぼんやり思うのだが。

 もう、気力・体力とも限界を知るようになり、別にあと19年も要らんかなぁ、と思い始める今日この頃。