海外生活、最後の日。 | A seed of joy ~乳がんと闘うワタシの日記~

A seed of joy ~乳がんと闘うワタシの日記~

今まで、のほほーんと暮らしてきた30代半ばの子なし主婦が、
2013年2月に乳がんの告知を受けました。
ステージ2b、トリプルポジティブだそうで。。。
病気になっても、日常の小さな歓びの種を見逃さないよう、
ささやかな幸せを感じて日々大切に過ごしていきたいです。

2013年2月21日(木)


乳がん告知から一晩が明け、

約1年半過ごした東南アジア某国での最後の日。

あまりにも突然すぎて実感も何もない。。。


夫の話では、会社側も「帰任願」を受け入れてくれて

早ければ3月末で夫も本帰国できるとのこと。

そうすると、引っ越し作業は夫ひとりに任せることになってしまう。

さすがにそれは申し訳なさすぎるので、

夫が見てすぐ分かるように、日本へ送るもの・捨てるものなど

私の荷物を出来る限り整理していくことに。


駐在生活というのは数年間の仮住まいのため、

当初から物はあまり増やさないよう努力していたので、

朝から作業を始めて午後3時ごろには大体終了。


ちょうど作業が終わる頃、

前日にメールで本当のことを打ち明けていたお友達が

わざわざ家までお別れの挨拶に来てくれました。

本来なら私の方から伺うべきなのに。

彼女は駐在生活がもう5年になる大先輩。

「おそらく今年中に本帰国になると思うから、

そしたらまた日本で会おうね」と優しい言葉に、涙涙。。。


夕方、最後の晩餐ってことで、夫と街へ。

私と違って夫は東南アジア料理が大嫌いなのだけど、

最後は好きなお店にどこでも付き合うと言ってくれたので、

去年の私の誕生日に行ったお店でディナー。


あの国で、最後に撮った写真。
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00:30発のフライトに合わせて空港へ。

「飛行機の中では泣くな!」と夫。


この場所を去るのが名残惜しいという気持ちはなくて、

ただただ、早く日本に帰りたい。

日本の病院に行きたい。


・・・そんな気持ちでした。