検査結果&乳がん告知。 | A seed of joy ~乳がんと闘うワタシの日記~

A seed of joy ~乳がんと闘うワタシの日記~

今まで、のほほーんと暮らしてきた30代半ばの子なし主婦が、
2013年2月に乳がんの告知を受けました。
ステージ2b、トリプルポジティブだそうで。。。
病気になっても、日常の小さな歓びの種を見逃さないよう、
ささやかな幸せを感じて日々大切に過ごしていきたいです。

2013年2月20日(水)


1週間の旧正月休みも終わり、

先日の検査結果を聞きに行く日。


部屋に入ると、先生がこう話し始めました。

“The result is・・・not good.”

予想もしていなかったこのひとことに耳を疑う私。


通訳の日本人看護師さんが申し訳なさそうに、

「・・・よくない結果が出ました」と。

その後、先生が説明してくれたことを通訳してもらうと、


・しこりは悪性、つまり乳がんである

・しこりの大きさは約3cm、ステージ2

・ER(+) PR(-) HER2(+++)

・早急に手術が必要、できれば3週間以内

・まだ35歳と若いから、がん細胞が全身に回るのが早い

・手術後は抗がん剤やホルモン療法など、治療がかなり長期に渡る

・この国でも治療はできるけれど、日本での治療を勧める


もう何が何だか分からなくて、この時点では涙も出てこず

ただただ呆然としてた。。。

「すぐに日本に帰ります」と言うのが精いっぱい。


その後、仕事中の夫にも急きょ病院に来てもらい、

通訳の看護師さんから事情を説明してもらうことに。

夫の顔を見たら、涙がとめどなく溢れてきて、

一気に恐怖と不安が襲ってきました。


看護師さんに向かって、

「この国は医療面でかなり遅れているから、

検査結果が間違ってるってことはないですか?」と聞く夫。

当然のようにそれは否定されてしまったけれど、

やっぱり彼も受け入れられなかったんだろうなぁ。


私たち夫婦は日本では持ち家がないため、

私はしばらく自分の実家に身を寄せることにし、

実家近くで治療が可能な病院を探すことにしました。
それまで通訳をしてくれていた看護師さんの他に

もう一人日本人の看護師さんがいて、

なんと、日本にいた時に働いていた病院が私の実家近くだそう。

しかもその病院には、乳腺外科専門の看護師さんもいるとのこと。

普通であれば迷うであろう病院選びだけど、

この不思議なご縁のおかげで、すぐに決心がつきました。


病院から家に戻ってきて、まずは航空券の手配。

翌日の深夜に出発する便が空いていたので片道で予約。

いつもだったら航空券は往復で購入するのに、

片道=もうこの国には戻って来ないということ。


「こんな急に本帰国なんて、友達になんて言おう・・・。

あ、明日のランチの約束、断らなきゃ」と、軽くパニック状態。

結局、一番お世話になったお友達には本当のことをメールで伝え、

その他の友達には「急きょ日本に帰るけれど、

いつ戻って来れるかは分からない」とウソをつくことに。


事が事のため、夫も会社に報告しないといけないそうで。

「近いうちに帰任させてもらえるよう頼んでみる」という夫に、

本当に申し訳ない気持ちでいっぱい。


それから、私の実家にも夫から連絡してもらうことに。

途中で電話をかわってもらったのだけれど、

泣きながら母に「ごめんなさい」と言うことしかできなくて・・・。

母も、きっとものすごくショックだったろうけれど、

しっかりした声で、「大丈夫だから、お母さんがついているから。

一緒に病院にも行くし、安心して帰ってきなさい」と。

母は強いって言うけれど、本当だなぁと実感しました。