流産の手術には、きよしくんはついてきてくれました。
麻酔から覚めて、二人で診察室にはいりました。
小さな小さな容器に、赤ちゃんがはいっているようでした。
「見せてください」とは言えませんでした。
先生は
育たなかったのは、私のせいではないということ、
初めから育つ力のなかった子なので、自分を責めないでください。と言ってくれました。
そして、着床したということは、大きな前進ですよ。とも。
そう思うことにしました。
体を少し休めて、3~4ヵ月後くらいにまたチャレンジしよう。
帰り道、きよしくんにそのことを話しました。
「こゆきちゃんの気の済むまでしたらいいよー。
こゆきちゃんに車1台買ったと思えばいいんでしょ。
・・・カローラくらい?クラウンはしないよね・・・?」
論点がズレているというか、現実主義というのか・・・。笑えますよね。
上司には流産のことはメールで報告しました。
失礼だとは思いましたが、泣いてしまいそうでこわかったから。そう書きました。
その日一日は寝て、翌日出勤しました。
でも体が本調子ではなく、初めて医務室というところで少し休みました。
それでもやっぱり仕事を休まなかったのは、
何も言わない上司に対しての精一杯の抵抗だったのかもしれません。
あるとき上司は私にこういいました。
「仕事やめたほうがいいんじゃないの」
辞めろということか、そう思いました。悔しくて帰って泣きました。
今思えば、言葉足らずの人だったんだろうと思います。
あと3回がんばろう。
そう決心していましたが
急に体のリズムが狂いだしました。
あきらかに今までと違う感じ。
クリニックに行っても、ホルモン値があがらず、治療を見送る日々。
増える薬。長年の治療のための薬のせいなのか、年齢的なものなのか。
私の体は悪くなかったんじゃないの?
何のためにこんなに薬を飲まなくっちゃいけないの?
あるとき、薬を拒否しました。
「もう、やめよう。」そう決心していました。
きよしくんに話してみました。
「こゆきちゃんが思うようにしたらいいよ。
ぼくは、こゆきちゃんといられるだけでいいんだよー。」
それで決定。
あれから、もうすぐ2年。あのまま治療を続けてたら・・・とか
あと3回できるのに・・とかまだやっぱり迷うときはあるけれど
おそらく、もう治療をすることはないでしょう。
ただ、この経験は。
負け惜しみではなく、失敗したけれども「やらなければよかった」とはまったく思っていません。
赤ちゃんができるということが、どれだけの複雑な過程を経ているのか。
どんなに奇跡的な確率で生命が誕生するのか。
それが、自分の体で体験できたから。
そして、子供が欲しいのにできない、という夫婦がどれだけ多いかということも知りました。
だから、私は政府の「少子化対策」に違和感を感じずにはいられません。
ここに、こんなに子供が欲しい人たちがいるのに。
保険も利かない高い治療費と莫大な労力と精神力を使ってでも、子供が欲しい人がこんなにいるのに。
どうして、政府は問題の根本から解決しようと思わないのか。
生まれてくる子供のための支援ももちろん必要です。そのうえで、
願わくば
不妊治療に保険が適応されて
私の上司のように子供をつくることと働くことは両立できないという考えの人がいなくなって
治療のために何かを捨てなければならない、なんてことがなくなって
願わくば
一人でも多くの子供の欲しい人たちに、子供が授かりますように。
そう願って止みません。