アリスどん、きばりやんせ! | 続・阿蘇の国のアリス
「熊本城は、この青竹で、
ひとたたきでごわす」

西南戦争において、
桐野だけではなく、
薩軍は自分たちの強さを
信じて疑いませんでした。


しかし、
百姓や町人を徴兵制であつめた
政府軍は奮闘しました。


もっとも激戦となったのが
ここ、「田原坂」でした。


田原坂は、
麓から一ノ坂、二ノ坂、
三ノ坂とわけられますが、
戦闘は三ノ坂に集中しました。


今は斜面にみかん畑が広がる、
のどかな風景ですが、
当時は来る日も来る日も雨で、
軍備で劣る薩軍は
ますます不利となりました。


「雨は降る降る人馬は濡れる、
越すに越されぬ田原坂、か...」


田原坂戦当時の写真


「ところで、
パパは車から降りて、
どこにいったのかな...」


「どこ~!」


「...いた、何してるの?」


「見ればわかるでしょう。
小銃弾を探してるの」

「バカじゃない」


政府軍が田原坂の戦闘で
消費した弾薬は、
1日平均約32万発
といわれています。
(日露戦争は1日30万発)


弾痕の家(復元)




出土した薬莢


薩軍の軍装




昭和50年代、
父と一緒に
坂の上の一軒の家を
訪ねたことがあります。

その家の壁には
無数の弾痕がのこっていたことを
今でもはっきりと覚えています。


双方の小銃弾が
空中で衝突した
「ゆきあい弾」を
みせてもらいました。

ぼくが夢中になって
家人の話しを聞いている間、
父は大クスのまえで
ずっと待っていました。


ぼくが田原坂を
忘れられないのは、
そこに行けばいつでも、
父と会話ができるからです。


「戦争の話しが、
そんなにおもしろいかい?」

「ううん、帰りたくないだけ」


ここからは、
三人の西郷隆盛です。




「アリスどん、きばりやんせ!」


あの日も、
父とこの店のチャンポンを
たべました。




「お父さん、一緒にたべよう」