熊野で感じた自然のエネルギー☆
山の神のエネルギー☆と
火の神のエネルギー☆
熊野から帰って、どうやら、
『いのちの種』金の素粒子金の種自分の原点の学びと、
ある一部の稲荷大明神と言われるエネルギーの交差する所に面白いものを見つけた
そして、調べていると、興味深い情報に行き着いた
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「光を放つこと火の如く熾んなり」
これはイナリが火の神でもあり
太陽の神でもあるという事なのだと考える。
また「湧泉」との記述があり
また「湧泉」との記述があり
この神を祀り神社の中に泉が湧いて
「民疫癘有らば、禱って癒す」という
原義は時代的に考えれば
「物部文書」などで紹介されている
「布留之言」からのものではないだろうか?
つまり「ふるへふるへ、ゆらゆらとふるへ、そうすれば死者も生き返る。」
との物部氏の教義に通じるものだろう。
ならば、このイナリ信仰、
そして頂にある巌に降臨する火の神、
太陽神は、物部氏の祖であるニギハヤヒに繋がるのではないか?
そしてそこには「聖なる泉」の信仰も
重なる事から、物部氏も信仰した水神もいたというのが理解できる。
前に書き記した、山燈・龍燈は
前に書き記した、山燈・龍燈は
山神や竜神の発する火であった。
それは山に鎮座し、
火を放つものと共に、当然竜神も
鎮座している事から水をも発生させる。
つまり山とは、水神が鎮座する地であり、
そしてそこには巌に降臨する太陽神が
依り憑く地でもあったのだろう。
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これを読んで、なんか私が熊野で受けたレッスンをまとめている様な内容だ…
ここで、又、ニギハヤヒの十種の神宝の
生命の秘密が出てきた
そして、玉置神社☆で山の神と水の神の融合で『いのちの源』に繋がって、
そして、山の神と火の神( 太陽と炎 )の融合で、
豊穣豊かさのエネルギー☆になり、
自分の『いのちの種』を
それらの自然の神々のエネルギー☆に
呼応して、芽吹かせる
ここで、ふと思い出した(u_u)
熊野の旅☆の最終日
闘鷄神社☆で、混乱した私
市杵島姫命から貰ったメッセージの内容が信じられず、困ってしまったのだ
自分の中の『いのちの種』の存在に気付き、
本当の自分の『いのちの種』の問いかけに耳をすませ、魂に正直になる…
この事で、グンと、自分の周りの
金の素粒子金の種が、現実化に向けて形づくられるスピードが加速する…
そして、周りの存在達が総動員で
サポートを始める
こんな感じの仕組みだ
なんか…すごいな…(u_u)…
どんどん繋がってくる
これから、もっと加速しそうな予感
自然の神さまと『いのちの種』の秘密もっと、もっと探究したいなと思いました
つづく