レモンガスを作った男の挑戦「夢をかたちに」 -3ページ目

レモンガスを作った男の挑戦「夢をかたちに」

レモンガスを作った男「赤津一二」が独自の視点で語る公式ブログです。

先日、2泊3日の短い時間だが、旧市街と近代的な街並みが象徴となり、今なお私がノスタルジーに浸る街、大連に訪れた。

今では、中国東北部の中でも特に目覚しい経済的発展を遂げており、著名な港湾、工業、貿易、観光都市であり、渤海環状経済圏の中核都市である。日本の企業も多く進出している。

街並み2

街並み1



第一の目的は、大連理工大学への表敬訪問だ。
ここの教授が、以前「スマートハイブリッドマンションALFY橋本」や「アクアクララ水製造プラント」へ見学に来られたことがある。
自らは金属材料について大学で研究されており、太陽光発電の実証もされている。
そのような関連性で、日本の民間企業が取り組んでいるエネルギー自立型災害対応住宅システムに興味を持ってもらったようだ。

その縁で今回、大学を訪問し、彼らの研究に触れ、話しを伺った。同行した若い社員にとっては、非常に良い経験となっただろう。
若い人たちは、自分の行っていることだけに固執せず、周りを見渡し、色々なことに興味を持つことがとても大切だ。もっと広い世界を見て、見聞を広めて欲しい。

そして旅順、203高地に登った。

203景区


ここは、日露戦争で激戦地の一つとなった地だ。
70年前、15歳の私は、陸軍部隊に入隊し、三ヶ月の訓練期間の後、満州(現材の中国東北部)へ渡った。
日本を発つ前に遺書を書き、髪と爪を共に封筒へ入れた。生きて帰れぬかもしれない、そんな想いを抱え、辿り着いた満州は、人間が生活をしていることに驚きを感じるほど寒かった。

この地で理不尽な訓練に耐え、涙を幾度となく流しただろう。
もし終戦があとひと月先だったら、私は中国大陸で戦死していたと思う。
満州のチチハルを出で、最前線の南京に向かい上海で終戦を迎えたとき、今となっても生きて帰れたことの運命に不思議さを感じる。

そんな15~17歳の多感な時期を過ごしたこの大地での記憶は、今でも心の底に深く刻まれている。

関東軍司令部址博物館


会見所


春が本格的にやってきた。
それだけでもフットワークが軽くなったような気がするが、「春爛漫の京都・桜に埋もれる花見旅」に行ってきた。
これは、今回の旅行を企画した社員がつけた旅のタイトルだが、直前まで心配していた桜も見事満開となり、タイトルに負けない、素晴らしい春を味わえた。

京都には、何度も訪れているが、こんなに桜に埋もれた春は初めてだろう。
有名な花見どころは数あれど、今回の目玉は、醍醐寺だ。
ここは有名な枝垂れ桜「土牛の桜」があるが、花見客は、その迫力に圧倒されたことだろう。斯く言う私もその一人だ。

この醍醐寺は、慶長3年3月15日(1598年4月20日)、豊臣秀吉がその最晩年に三宝院裏の山麓において催した花見の宴が有名だ。
北政所・淀殿ら近親のものを初めてとして、約1300人の女性を召し従えた盛大な宴で、花見に招かれた男性は、秀吉・秀頼の他に前田利家くらいだったそうだ。
想像を絶するような豪華絢爛で艶やかな宴だったのだろう。

縁あって、三宝院の書院で食事をすることができた。その昔、盛大に行われた宴を想像し、桜の匂いに酔ってみた。
日本人は、桜を見て自然と心奪われる。
綺麗な花なら桜以外にもたくさんあるが、日本人にとって桜は特別な存在だと思う。
いちどにぱっと咲いて、さっと散ってしまう姿は、日本人の好む、潔さや儚さといったものに通じているのだろう。
こういう時は、やはり日本人なのだなと思うと共に日本人で良かったと思う。

この日は、醍醐寺の境内を1時間から1時間半程度かけて歩き廻ったが、苦も無く歩き続けることができた。
きっと春の暖かな陽気と見事な桜に夢中だったからだろう。
この季節は、人の心も身体も軽くするようだ。


京都・醍醐寺の桜1


京都・醍醐寺の桜2


















古くからの友人に誘われ、初めてのオペラを体験した。

小澤征爾が指揮をするモーツァルトの喜劇「フィガロの結婚」だ。
正式名称を「ラ・フォル・ジュルネ(狂った一日)あるいはフィガロの結婚」という。

これは、ロッシーニがオペラにした喜劇「セビリアの理髪師」の続編で、正劇「罪ある母」と共にフィガロ三部作と呼ばれている。

18世紀半ば、スペインのセビリアを舞台に、伯爵の従者フィガロと、同じく伯爵家の女中スザンナの結婚をめぐり、当時の貴族への批判を伏線に男と女の様をおもしろおかしく描いている。

「フィガロの結婚」というタイトルは何度か耳にしたことはあるが、その程度のため、インターネットで前もって調べてもらった。喜劇ということも今更ながら知った。
また、私と同年代(少しだけ若いが)の世界的指揮者「小澤征爾」の指揮を執る姿にも興味を惹かれた。
当日は、残念ながら立って指揮棒を振る彼の姿を観ることはできなかったが(座っての指揮だった)、優雅で軽快、コミカルな旋律に酔うことができた。

当のオペラは、というと、会話のほとんどが歌で進められていくことにくすぐったさを感じながらも、迫力のある歌声に感嘆した。2300席程ある会場内は、若い人から年配の方、また男女比おなじくらいでほぼ満席状態だ。
また、オペラの拍手喝采は熱狂的な物を感じた。

私は、というと、休憩が何回か入ったが、6時開演で10時過ぎまでかかったこの長丁場に、終演後疲れが押し寄せ、早々に家路についた。

おそらく、自分から率先してオペラを観ることはないだろうが、初めての世界に出会い、この年齢になっても刺激を受けることができた。

本格的な春が来て、外出するのも億劫では無くなった。皆さんも様々な刺激を楽しんでみるのもいいだろう。












前回にお金の使い道について書いたので、今回はお金と人生がどうかかわっているか、を自分なりの考えで書いてみたいと思う。

先日出版された私の著書「人生は84歳から」でも話しているが、生き方を考える時、お金の事も併せて考えるべきだ。
人生にとって、決してお金が全てではない。裕福でなくとも満足し一生を終える人もたくさんいる。
だが、経済的に余裕を持つことは人生を豊かにする方法のひとつであるのは間違いない。
経済的余裕があることで、自分の知性や感性を磨くことができる。
また、平均寿命が延び、定年後も20年30年と第二の人生を歩いていくことになる。当然、その間の経済的なことも大きな問題となる。

そこで社会人となったら、まず、お金を貯めることを勧める。ただ漫然と貯めるのではなく、100万、500万といった具体的な金額の目標を持つことが大事だ。
スタートラインに立ったときに何をするかで、その後の人生が大きく変わっていくものだ。
未来の自分はどうありたいか、を考えながら人生を生きていく事はとても必要だ。

今の若い世代は、全ての人ではないが、今が良ければいいという考え方が横行している。
だが、貯めるか、使うかで30年後に大きな差が出てくる。

貯蓄

以前、経営の神様と呼ばれたパナソニック創業者の松下幸之助さんが「コップ一杯の水を貯めなさい」と勉強会で話された。コップに水が一杯になるまでは我慢して、コップが一杯になって水が溢れたら、その溢れた水を飲む。そうすれば、コップ一杯の水はずっと残り続ける。
お金を貯める方法をコップの水になぞらえたもので、この話を聞いた時には、なるほどいい例えだな、と感心した記憶がある。以来、当社の社員にも、この話を聞かせている。
参考にされては如何だろうか。
































最近、よく考えていることは、お金をどうやって使おうか・・・ということだ。

周りにいる社員に「あの世にはお金は持っていけないから、もうすぐ逝っちゃうから、死ぬ前に早く使わないと・・・」と言っているのだから、なんて返答していいのか・・・いつも困っているようだ。
意地の悪いことを言って、その状況を楽しんでいるということもある。

これまでは事業を拡げ、会社を大きくすることに邁進してきた。
だから今まで自分が働いて稼いできた分については、自由にさせて貰ってもいいのではないかと考えている。

“あの世”には持っていけないのだから、“この世”で使うしかないだろうと思う。

その手段として旅行をすることが多くなった。
一度は行ってみたいと思っていた場所、昔旅行で訪れて再訪したいと思っていた場所、取り敢えず行ってみたら意外に良かった場所など様々だ。そのうち、このブログでも取り上げてみたいとも思う。

他の使い道としてだが、これまで会社が大きくなってきたのは、わたしが引っ張るその後について頑張って来てくれた社員のおかげでもあるので、この会社の拡大や業績向上に貢献してくれた社員については、わたし個人の思いとして多少なりとも還元できないかと考えている。

私は、毎日、東京にある事務所に出勤しているので、ここの社員とは当然面識がある。だが、出先の支店になると1年に一回も顔を合わせない社員もいる。その中にも頑張ってくれている社員がいると思う。
頑張ってくれている社員には、平等に還元する機会があればいいと思う。

今までにも何度か皆さんにお話したことはあるのだが、お金は自分のためでなく、人が喜ぶことに使う。そうすることによりお金は巡りめぐって、形を変えて自分の下へ戻ってくるのだろう。

さて、どのような形で還元しようか。
まずは春の穏やかな気候になったころに、私主催の社内ゴルフコンペでも開催しようか。
全員とはいかないが、参加できる社員には思い切り楽しんでもらおう。