今では、中国東北部の中でも特に目覚しい経済的発展を遂げており、著名な港湾、工業、貿易、観光都市であり、渤海環状経済圏の中核都市である。日本の企業も多く進出している。


第一の目的は、大連理工大学への表敬訪問だ。
ここの教授が、以前「スマートハイブリッドマンションALFY橋本」や「アクアクララ水製造プラント」へ見学に来られたことがある。
自らは金属材料について大学で研究されており、太陽光発電の実証もされている。
そのような関連性で、日本の民間企業が取り組んでいるエネルギー自立型災害対応住宅システムに興味を持ってもらったようだ。
その縁で今回、大学を訪問し、彼らの研究に触れ、話しを伺った。同行した若い社員にとっては、非常に良い経験となっただろう。
若い人たちは、自分の行っていることだけに固執せず、周りを見渡し、色々なことに興味を持つことがとても大切だ。もっと広い世界を見て、見聞を広めて欲しい。
そして旅順、203高地に登った。

ここは、日露戦争で激戦地の一つとなった地だ。
70年前、15歳の私は、陸軍部隊に入隊し、三ヶ月の訓練期間の後、満州(現材の中国東北部)へ渡った。
日本を発つ前に遺書を書き、髪と爪を共に封筒へ入れた。生きて帰れぬかもしれない、そんな想いを抱え、辿り着いた満州は、人間が生活をしていることに驚きを感じるほど寒かった。
この地で理不尽な訓練に耐え、涙を幾度となく流しただろう。
もし終戦があとひと月先だったら、私は中国大陸で戦死していたと思う。
満州のチチハルを出で、最前線の南京に向かい上海で終戦を迎えたとき、今となっても生きて帰れたことの運命に不思議さを感じる。
そんな15~17歳の多感な時期を過ごしたこの大地での記憶は、今でも心の底に深く刻まれている。




