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Always smile

めぐりあえた世界に感謝をこめて…


Met


海の向こうへの旅の扉が開き始めてきましたあし

次なる訪問地はようやくのアメリカ。


そうです、ニューヨークです。

もちろん9.11の前の平和な時代。


旅のきっかけは、学生時代の先輩のニューヨーク駐在が決まったこと。

「遊びにおいで」

という言葉にそのまま乗っかり、友人を誘ってニューヨークへ飛行機

このときのプランが「ANA指定、専用車で送迎するウォルドルフ・アストリアの旅・5日間」。

たしか9月でした。

成田を午前に出発して12時間強。

JFK空港に到着するのが同日の午前。

このときは知る由もなかったヨーロッパ旅とは次元の違う時差の恐怖。

まんまとひっかかり、総じてぼんやりとした旅になってしまいました。

先輩に何度指導されたことか…得意げ

学生時代や週末の記憶の中の先輩が、スーツを着て颯爽とロビーに現れたときは

正直、とても驚きました。

「あ、社会人!」と。

ランチタイムに抜け出してきてくれた先輩が、

「なかなか旨いコーヒーを出す」

と連れて行ってくれたのがホテル近くのスタバでしたコーヒー

この頃の私はコーヒーを飲むとお腹をこわしていたころです。

でもコーヒーの良い香りと、初めて接するスタバのスタイルはとても新鮮でした。

ロックフェラーセンターにセントラルパーク、

五番街にメトロポリタン美術館、ウォールストリート、

バッテリーパーク、国連本部にもてくてく歩いて出かけました走る人

トークン片手に地下鉄に乗車してみたり。

ミュージカルにも出かけました。トニー賞をとったばかりの「Titanic演劇

先輩がチケットをとるのを手伝ってくれました。

危険な街のイメージが強かったニューヨーク。

そしてまだまだ「何かあったらどうしよう」という思いが強く

危うきに近寄らずを徹底した旅になりました。

まぁ、あの時差ボケでウロウロしていたことが、

何より「危うき」だったのですね、今思えば。

このとき購入したエルメスのグリーンのプチスカーフプレゼント

今も大切にオレンジボックスに入っています。


初めてのニューヨーク。

私の印象は「何だか東京みたい」でしたにひひ

先輩の案内という後ろ盾もあり、気を許した友人との旅でもあり、

特に「これぞ!ニューヨーク」という気持ちにならなかったのでしょう。

初めまして…のニューヨークで、もう訪れることはないだろうなぁと思っていました。


だから、このとき、自分がこの地を再び訪れることになるとも、

そして、この地に救われることになるとも、全く予想すらしていませんでした。


人生とは分からないものですね。

ツアーについていたせいか、深く考えることなく決めたこのとき滞在したホテル。

これまた素晴らしいホテルでした。そして続けて分不相応な。

この記憶は次の機会に…。

その最初の滞在は確か5月でした。


妹と一緒の旅。

既に香港旅を経験していた妹がガイド役でした。


成田を飛び立ち、4時間ほどのフライト飛行機

あの市内中心地へのランディングで有名だった啓徳空港にアプローチしたときの

ちょっとしたドキドキ感を覚えています。


最初の訪問時、宿泊したのはペニンシュラホテルの隣に建つKowloon Hotel

ペニンシュラ系列のホテルでまだまだ新しいホテルで、とても快適なステイでしたチューリップ赤


スターフェリーに乗って九龍から香港島に渡ったり船

地下鉄を試したり、

ケーブルカーに乗って有名な100万ドルの夜景星空?を見に行ったり、

風水を取り入れた高層ビルが立ち並ぶのを見上げたり、

一方では市場で人々の生活に触れたり。

初めてのアジア旅は、刺激でいっぱいでした。

何しろ、街がいつもEnergyでいっぱいニコニコ


海老が大好きな私は、

ガイド片手に「海老粥」を食べようと実際に訪ねてみると、メニューにはなかったり。

漢字のメニューを理解したつもりで、オーダーしたらこれ何???だったり。

紅茶を頼んだら、ものすごい量のレモンが入っていて、ビックリしたことも。

でもそれがかなり美味しくて、その後は滞在の度にいただきました音譜


その後、この街を訪れること10回ほどに虹

友人との滞在、また現地で友人たちと待ち合わせてみたり。

時には気分転換に12日の旅だったり。

そのときどきの記憶は、またの機会に。








paris

初めてのパリ滞在、宿泊はルグラン・インチ―コンチネンタル。

1862年創業の歴史あるホテルですラブラブ


フランスはナポレオンⅢ世による統治の時代。

(ナポレオンⅢ世はフランス皇帝ナポレオンの弟の子)

第二帝政期は、その最も華やかなる時代には経済や産業の発展によって潤いに満ち、

パリ改造計画が実行されるなどしました。

今のパリの街の原型が築かれた時代、ともいえるでしょうかメモ


一方、1860年代といえば、日本は江戸時代から明治時代へと歴史が大きく変わる頃。

ペリーが来航して日本に開国を要求、日米和親条約が締結されたのが1854年。

徳川将軍家は第13代家定が没し、14代に家茂が就きます。

そして続いたのが最後の将軍となる15代慶喜。

尊王攘夷の風潮が高まり、井伊直弼が桜田門外に散り、

各藩で新体制を求める動きがいよいよ活発になる、まさに「幕末」。

「維新」の嵐のなかにある頃です。


1867年に開かれたパリ万国博覧会への賓客らの宿泊先として

ナポレオンが建設を命じたのがそもそものルーツとか。

この年、日本では大政奉還が行われ、王政復古の大号令。


当然のことながら将軍慶喜がパリを訪ねる時勢であるはずもなく、

かわって渡欧したのが慶喜の弟・昭武。

昭武ら遣欧特使団が滞在したのが、このLe Grand Hotelでした。


歴史の深さをそこかしこに感じさせる重厚な造り。

年数の経過をみれば最新のホテルというわけにはいきませんが、

歴史の中に宿泊出来た旅でもありました。

今、思うとグロブナーハウスに引き続き、

「ホテルの格」をまだまだ知らずにいたからこそ出来たチャレンジだったのかも。

(小娘の泊まるホテルでは当然のことながらありませんでしたね。)



ルームサービスでお願いしておいた朝食で忘れ得ぬシーンがありました。

‘’Bonjour!Madame”の挨拶とともに運ばれてきたのは、


シルバープレートに配されたコーヒー、クロワッサン、フルーツにヨーグルトなどなど…。

そしてそこにはピンクのバラが一輪。

そのバラの美しかったこと!

窓を少し開けて、パリの朝焼けを窓越しに見やり、

ふと目を落としたときに気づかされたこと。

重なり開く花のあの煌きは、今も私の心に鮮やかに残っていますブーケ2




ガーン






paris1


ロンドンに続いて翌年、私はフランス・パリへ飛行機


同じ旅行会社にお願いして

ANA利用のルグラン・インターコンチルンタルに宿泊するパリ6日間の旅。


凱旋門、ノートルダム寺院、モンマルトル、

オペラ座、ルーブル美術館にヴェルサイユなどなどなど、

さすがは世界の観光都市パリ!ベル


セーヌ河の流れとともに、そこにかかる橋の美しさも絶景でした。

そんな中でもマドレーヌ寺院、

そして夕景のコンコルド広場から見たエッフェル塔の眺めは今もはっきりと憶えています。


どの場所から写真を撮っても絵になる街であることも、この街の持つ魅力の一つかもしれないですカメラ


そして、買い物が楽しみで仕方なかったこの頃。

フォーブル・サントノーレ通り、ヴァンドーム広場に繰り出しては

ショッピング!ショッピング!そしてまたショッピング!!ワンピース


SOLDEの文字に誘われて、見るもの全てが「パリらしく」て買い物の衝動が抑えきれず…。

楽しかったなぁラブラブ!ラブラブ!


このとき、膨れすぎた荷物のために購入したLONGCHAMPのバッグは、

その後の旅で何度となく「魔法のバッグ」として活躍してくれました。

日本円で5000円しなかったかなぁ。

今は大人気で価格もお高めですが、

当時はまだそれほどでもなく、ゆっくりお買いもの出来ました。

エルメスでベルト購入したのもこのとき。

これも、もちろん今も活躍してくれています音譜


確かな品質のものを長く丁寧に使っている。

華やかな街だけれど、道行く人たちは決して「派手」ではなく、

地に足のついた印象を受けました。


次回はそんなパリの印象深かったシーンを幾つか…ニコニコ





london


「イギリスは女王様の国で、二階建てバスが走っているんだよ。」

幼いころ、祖父が語りかけてくれた言葉を今も鮮やかに覚えている。



いつかは必ず訪れたい、訪れるであろうと思っていた国の一つだったチョキ



そして機会は訪れた。
ANA指定・グロブナーハウスに泊まるロンドン6日間フリープラン・送迎付き」

ABロードで見つけたこのプランを利用して、

休みの合った職場の先輩と1月の寒い寒いロンドンへ旅立つことになった。

初の本格的な海外旅の始まりである飛行機



見るもの全てが慣れない、初めてで新鮮ながら反面少しの畏れ、

あっちを向いて、こっちを向いてを繰り返した。

全てのことが初めての経験ばかりガーン

機内の気圧の変化に驚き、出国・入国に手続きに緊張し、時差を経験し、両替にあたふたし…。

旅というものは、いろいろな手続きを経て構成されていくことに初めて気づいた。



ホテルはハイドパークに程近い老舗のホテル。

あとあと考えると分不相応なほどのホテルだったようだ目

このときはホテルに★によるランクがあることは知っていたが、

それがどういうことかを思慮するなどなかった。



1月のロンドンは日照時間も少なく、10時頃になってもまだ明けない朝もある。

凍える寒さは格別で、午後も3時を過ぎればまったりと日が暮れていく雪の結晶



食事は「…」バーガーキングが一番美味しかったなぁ。



何しろ何をするにも躊躇いがちで、「挑戦」することが出来なかったむっ

Tubeに乗って市内を巡ることは出来たものの、バスに乗る勇気もなく、

もちろん郊外への旅など出られるわけもなく。

紅茶好きがせっかく紅茶の国に来たというのに、アフターヌーンティーにもトライ出来ず。




それでも、SALEの時期ブーケ1

ショッピングはロイヤルアルバートの陶磁器やカップ、紅茶、そしてリバティプリントなどなどを楽しんだ。

欠けて処分してしまったものもあるが、今も私の大切なコレクションの一部に残っている。

いつかそれらを眺めて旅を振り返れるだろう。




そうそう、この旅。

バゲージもスーツケースを持って居なかったので、

ボストンでは使い勝手が悪くロンドンで購入したくらいである。



「おそるおそる」の旅シラー

初旅はまさにそれにつきた。

お次の旅はさてどこへ。